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早稲田卒ニート155日目〜赤のバツか青のマルか〜

「小学生はみんな、なぜ、間違った問題を一度消して正答に書き直してそこに青マルを付けるのか」という話が校舎でなされていた。確かに小学生は、間違った問題に赤でバツを付けたり正答を書き込んだりせず、消してから鉛筆で書き直し、青でマルを付ける者が多い。これについて私の意見はあるが、敢えて沈黙してその会話に耳をそばだてていた。すると、どうやら学校でそうするように指導されることもあるらしい。

定期テストなり模擬試験なりを受けた後は、誰も彼も口酸っぱく「よく復習せよ」と説く。が、本気で復習している奴は少ない。自分の間違いの存在がまさしく目の前の答案の上に如実にあって、復習は間違いを反省の主役に置く以上、復習をするというのは自分の間違いと向き合うということになる。間違いとは、試験問題による私たちの理性の否定である。「お前は間違っている」。

間違いと向き合うことは自己否定と対峙することであり、間違いを受け入れることは自己否定を受容するということである。とするならば、これは少なからぬ苦痛が伴うだろうし、どうしたって精神年齢が求められもする。しかしまた、それゆえこれは乗り越えるに値するとも言える。

間違いは消してから青マルで書き直す。自分が間違った問題がどれであるかということが把握できればそれでよいのなら、青のマルでも構わない。赤のバツではなく青のマル。しかしそれは、こちらに向けられた自己否定の鋭いトゲを和らげているのである。即ち、自己否定の受容に対する消極的な姿勢の表れである。

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