【編集部の日記|立花】シンクロナイズドもとくら
環境が人を変えるのか。
はたまた、人が環境を変えるのか。
ニワトリタマゴだけれど、いずれにせよ変化の途上で生まれた切実な「思い」だとか「感情」は、どれもかえがたい。
しかもその「思い」や「感情」は、示し合わせたものではないから、唐突に産声を上げる。
産声をあげたそれらを育む場所として、もとくらは生まれ変わろうとしている。
そして唐突に生まれた「思い」や「感情」について、それぞれがnoteで書いている。
言葉を使うのはたしかに人間だけど、人間である私は、意外と言葉の一面を知らないな、って。(上記noteより引用)
オサナイさんの問いは「言葉」に対する「思い」から生まれた。
ちいさな動物や植物たちをひっくるめて好きだからこそこの違和感と向き合いたいし、お互いにとってちょうどいい距離感をもって生活したい。その姿を思い描くと、胸が高鳴るし、やらねばという気持ちが湧いてきます。(上記noteより引用)
小松崎さんの「自然と人間の心地よい距離感」に対する問いは、ベルリン生活から呼び覚まされた記憶から生まれた。
オサナイさんの「言葉の一面」のnoteを読むと、わたしの大好きなアーティスト・椎名林檎の「本能」という曲の一節を思い出す。
どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか
太陽 酸素 海 風
もう充分だった筈でしょう(椎名林檎「本能」より)
充分だったはずだけど、言葉の一面を知りたいというオサナイさんは優しいと、わたしは思う。
言葉と向き合うことは、他者と向き合うことだとも思うから。
小松崎さんの「自然と人間の心地よい距離感」のnoteを読むと、わたしが北海道で暮らし始めて日々感じている、圧倒的自然の存在感が立ち上がってくる。
わたしは時折「自然に呑まれそう」と思うけれど、小松崎さんの探る“距離感”にはもう少しひと気がある。
北海道とベルリンという地理の違いもあるし、ベルリンでの生活そのものの特集にもなりそうで、より実践的な内容なのかなと勝手にイメージしている。
「思い」と「感情」のゆらぎが、それぞれ違った観点で生まれるからおもしろい。
ただ、切り口やジャンルが違うだけで、それぞれの特集や問い、「思い」や「感情」のゆらぎは、どこかでシンクロしている気もする。
その接点が「時代性」なのかもしれないし「編集部の個性」なのかもしれない。
ということで、新生もとくらは、ぜひ横断していろいろな記事を読んでいただけると、わたしもとても、うれしいです。
(編集部 立花)
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