言葉の「一面」を知りたい

新卒で働きはじめた頃、いちばん口にしていた言葉は「すみません」だったんじゃないかとふり返る。

社会人1年目のある日、「すみません」とテキストで打ちながらふと、「私って仕事ができないヤツなんだ」と気づいた。

すみませんという言葉に、自分でも気づいてなかった自分の一面を洗い出されたのだ。

とても不思議なことだと思った。

まず自分を把握していて、そこに言葉を当てはめるではなく、まず言葉があって、その言葉に自分を明るみにされる。(その言葉に自分の性質を当てはめている。)

自分のことは自分がいちばんわかっている気になってしまうけど、言葉なしでは自分はどんな人なのかわかりえないのかもしれない。

こんな言葉の一面について気づけた日を、「すみません功労日」と名付けた。すみませんでヘコんだ日々も骨折り損ではなかったな、という気持ちを込めて。

そういえば少し前、仕事が忙しい男友達が「この間恋人に『キミはいつも謝ってばかりだね』と指摘されてはじめて、『自分は仕事ばかりで恋人を大切にできていないのかもしれない』とハッとした」という話をしてくれた。彼の気づきもまた「謝る言葉」ナシでは得られないものだったかもしれない、と思ったりする。

言葉から自分を知る。

この話と合わせてもうひとつ紹介したいのは、『池袋ウェストゲートパーク』や『娼年』で知られる石田衣良さんのエッセイ『傷つきやすくなった世界で』の中で語られている、「新しい言葉」について。

『ぼくはときどき不思議に思うことがある 。格差社会という言葉ができるまで 、社会にたいした格差は存在しなかったのではないか 。あるいは 、負け組という言葉ができるまで 、ほとんどの日本人は自分を中流階級だと単純に信じられたのではないか 。

ある現象が名前を与えられることで 、あとから急激にリアルな現実として立ちあがってくる 。それは言葉が現実を生んでしまう皮肉な逆転現象である。』

まず確認できる現実があって、それを言葉が表しているのではなく、まず言葉があって、その言葉の組み合わせで生まれた新しい言葉によって現実が生まれる。

石田さんの発見は、私にとって目から鱗だった。

中学の歴史の教科書にはたしか、「火と道具と言葉を使うのが人間」と記されていた。

けれど、こうやって言葉について考えたり、調べたりしているうちに、思った。

言葉を使うのはたしかに人間だけど、人間である私は、意外と言葉の一面を知らないな、って。

いや、ほんとうは知っているのかもしれない。けれど、日ごろ言葉の海を泳ぐことに精一杯になって、言葉の力について立ち止まって考えることはあんまりしてこなかったんじゃないかって。

そういえば3年B組金八先生は、

「『歩く』という字は『少し』『止まる』と書く。
急がなくていい、一歩一歩しっかり進んでください」

と言っていた。

なんでこのタイミングで金八先生の台詞を思い出したんだろう。もしかしたら今が言葉について少し立ち止まって観察してみるタイミングなのかもしれない。それをリニューアルする『灯台もと暮らし』ではじめてみるのは、アリかもしれない。

私は言葉の一面を知りたい。

それを知ることが具体的に、どんな自分に近づけるかということはわからない。浅く泳いでいた言葉の海に、潜ってみないとわからない。

けれど言葉の一面を探求することは、言葉と切り離せない未来を生きる私の、きっと何か支えになってくれる。そんな気がしてる。

(もとくら編集部 ミキオサナイ)

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灯台もと暮らし

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