「お父さん、チェンジアップ覚えたから」|【君は心ふるえているか?】オサナイ編
帰省をすると、野球ユニホーム姿のお父さんに出迎えられる。
ということに、私はいちいち驚いたりしない。
お父さんが、土日祝日や長期休みにユニホーム姿になるのは、私が小山内家に生まれる前からの我が家の日常だから。
新生もとくらのコンセプトは、「君は心ふるえているか」。編集部のメンバーが交代で、心ふるえたエピソードを公開しています。立花さん、小松崎さんに続き、今日は私・オサナイにバトンが回ってきました。
お父さんは50年選手を地で行く、野球選手だ。
野球選手といっても、1度もプロの世界でやったことはない。大学野球、社会人野球を経て、今は草野球チームで野球をしている。長いこと高校野球のコーチやリトルシニアのコーチをしたりもしていたので、私が地元にいた頃は、街で知らない子どものお母さんに「息子がお世話になってます」なんて声をかけられることも珍しくなかった。
社会人1年目の夏に帰省したときも、お父さんはユニホーム姿だった。
世間の帰省シーズンは我が父にとっては野球シーズン。ユニホーム姿の彼は、ちょうど今から野球の試合に行く準備をしているところだった。
背番号は18、エースナンバーだ。
「お父さん、まだ投げてるの?」
東京から持ってきたキャリーバッグをリビングで横にするなり私が言うと、お父さんは「もちろん」と力強く答えた。
お父さんの投げている姿をはじめて見たのはいつだっただろうか、もう記憶にない。彼は気づいたらマウンドにいた。
子どもの頃は、休日によくお母さんの車で、まだ言葉もうまく喋れない弟と一緒に球場に向かった。球場では社会人野球の試合が行われていて、マウンドにはいつも父の姿。
今でも覚えているのは、若かったお父さんがバッターを次々と三振に仕留めていく光景。私にとってのお父さんのイメージ「オーバーハンドの速球派の投手」は、子どもの頃に形成されたものだ。
お父さんはどんなことがあっても投げ続けた。
仕事が救急救命士から大学病院勤務や市役所職員に変わっても、東日本大震災があったときも、投げることだけはやめなかった。彼が一番恐れているのは、家庭の崩壊や子どもが非行に走ることより、マウンドに立てなくなることなんじゃないかと思ったこともある。
そんなお父さんは数年前から、勝てない投手になった。
理由は、彼の自慢のストレートが見事に捉えられるようになったから。今年53歳になるオジサンのボールは、ついこの間まで高校球児だった若者たちにはめっきり通用しなくなったらしかった。
我が家の畳の部屋には、お父さんの野球コーナーがあって、トロフィーや写真やらが飾られてある。社会人野球や軟式野球で優勝したときの写真たち、輝かしい栄光の記録。それらがぜんぶ、もう何年も前のものであることに私はずっと前から気づいていた。
お父さんの、野球とともに歩んだあまりの悲しみを、私はたくさん知っている。
23歳で亡くなった双子のお兄さんから、最後までエースナンバーを奪えなかったこと。野球選手になりたくて、就職してほしい親から逃げ回って上京したこと。東京で土木の仕事をしながらトライアウトを狙ったこと。ソフトボール部で投手になった私が、お父さんよりも元プロの意見をずっと聞いていたこと。そして老いとともに、持ち味だった力押しの投球が通用しなくなってしまったこと。
話を戻そう。
身支度を整え、「いざ試合へ」と玄関でアップシューズを履くお父さんの背中に、
「勝てるといいね」
と声をかけた。いつもは玄関先まで見送りに出たりしないけど、社会人1年目の夏に帰省したその日は、なぜかちゃんと彼の後ろ姿をこの目に納めておきたくなった。
するとお父さんはふり向き、「絶対勝てる」とニヤリと笑った。
そしてこう続けた。
「お父さん、チェンジアップ覚えたから」
聞けば、最近のお父さんは独自で編み出したシンカーのような握り方で投げる遅球・チェンジアップで、順調に勝ち星を挙げているらしい。
スライダーやカーブといった変化球は詰まったり先っぽでもヒットになることがあるけど(金属バッドの場合)、奥行きの変化球・チェンジアップは平面で捉えられないので、打ち取れる確率が上がるのだとか。遅球の錯覚効果でストレートをより速くみせることもできる、という理論にも納得した。
「まだまだ若者には負けられないからね」と言って、お父さんは家を出た。
人は身体の老いに逆らえない。でも長くなにかの道を続けていれば、老いを凌ぐ技を持つことができる。
それを体現してくれたのは、とても身近な存在だった。お父さんは力勝負を捨てたけど、それは同時に、彼が投げ続ける道を選んだということだと思った。
昔、お父さんと一緒にプロ野球を観に行ったとき「やっぱりプロはすごいよなぁ」と少し寂しそうに呟いた姿を覚えている。
私はといえば、今でもよく野球観戦に球場に足を運んで、一流選手の打った守ったの一瞬一瞬に心ふるわせているけれど。
でも私にとって、いちばん驚きと感動をくれる野球人は、お父さんなんだよね。
……なんて、本人に言うのはあまりに恥ずかしいのでこんな機会に書いてみた。
心ふるえる瞬間に立ち会えたことは、日々観察する目を向けた私への、野球の神様からのプレゼントかも。
(もとくら編集部・ミキオサナイ)
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