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どうにもならないこともある、それでも理性は失わない/伏見ふしぎ


私意外と私じゃないの?

自分でどうにかなることは大抵自分で決め、自分でなんとかする人生を送って来た。
勉強、習い事のピアノ、部活、受験。友達との関係、恋愛。就活、仕事、そして結婚生活。基本的に自分のできる範囲のことは全て自力で乗り越えて来た。何の根拠もなく他力をあてにしたり、自分で何かせず真っ先に他人の援助を求めることは一度としてなかったように思う。そういう人間が陥りがちな思考が、「不出来は自分の力が至らぬ結果である」。

そんな私の人生はこの度、新たなフェーズに突入した。妊娠だ。

妊娠生活は自分の体調と細やかに向き合うことが多い。ホルモンバランスによりバカになった食欲を押さえつけ、体重増加と戦う日々。だるい体を引きずりながら、どうしても仕事をしなければならない日もあった。自力でなんとか乗り越えて…といきたいところだったが、すぐにあることに気づいた。
自分の思った以上に無理・勝手が利かないのだ。

元々体重増減が激しい方ではなかったが、いままで食べていた量のままで体重がぐんぐん増加する。ダイエットを心してもお構いなしに体重増加。

体が少ししんどくても、これぐらいならまだまだ、と思った矢先にダウン。ベッドから一歩も起き上がれなくなったり、外出先ではベンチに座り込んでしばらく動けなかったり。

明らかに違う。もはや、私の知るいままでの私ではなくなっている。
私が妊娠を深く深く思い知ったのは、エコーで豆のような胎児を見たときでも、その心音を聞いたときでもなく、これまでの自分では太刀打ちできない変化に直面した時だった。

引きこもりとの格闘~出産までの記録~

それでもどうにかこうにか妊娠生活を送り、いざ臨月。この奇妙な体型ともお別れか、と清々するような少し寂しいような気持ちでいたが、週数が進んでも一向に生まれる兆候がなかった。
お腹の中の人は大きめだったので、あまり育ちすぎると難産になる。検診のたびに病院では「お産を進めるためにもっと動いてくださいね」と言われる。
は?言われるまでもなくすでに動いてるわ。産休がヒマすぎて妊婦に必要な情報はあらかたネットで収集済みだ。とにかく動けと書いてあったため、まずは1日4キロのウォーキングを開始。さらに朝晩のスクワットを30回ずつ。さらに1日数回乳頭マッサージ。
それでも検診のたびに「赤ちゃんが全然下がっていませんね。これではお産が長引きますよ」と警告される。なんだよ、まだ私の努力不足なのか。それならばと休日には10キロのウォーキングを追加し、マンション9階の自宅まで階段を使うようにした。脳内BGMは「ロッキーのテーマ」だ。
しかし相変わらず、予定日を過ぎても産まれる気配はなかった。かわりに今まで発症しなかったマタニティブルーが滑り込みで表れ、ソファに座って窓の外をぼんやり眺めたまま数時間経過していたり、夫に産まれない産まれないと毎日鬱ラインを送り続けたりするようになった。

なんでだよ。出来ることは全てやっているのに。なぜ産まれてこない。
ネットで「何にもしてないのに突然陣痛来ちゃって2時間でスピード出産☆」的な記事を読むたび、自分が報われない頑張りをしていると思い知らされるようでつらかった。

私の身体であり、私の努力が必要不可欠なお産。しかし努力したからといって産まれるとは限らない。そんな当時の私からすると理不尽な論理に叩きのめされていた。


相変わらず産まれる気配ゼロなある日。半ば自暴自棄になった私は、数駅先の大好きなパスタ屋に向かった。よりによって満員電車。お腹がパンパンの妊婦が無理やり乗車したため、周囲の乗客がドン引きしていた。ついでにゴディバでショコリキサーも飲んだ。体重増加?そんなんもう知らん。どうせしばらく産まれないし、明日は大好きなパン屋に行こう…そう思って床に就いた夜半に、いままでとは違う痛みに襲われた。
マジか。なんでよりによって今日なのか。
その日は土曜の深夜。
分娩予定の病院は、休日や深夜の出産の場合料金が跳ね上がるのだ。
気のせいだと無理やり寝ようとするが15分おきに痛いのでうまく寝られない。
これは噂の陣痛だ…あれだけ待ち望んでいたはずなのだが…今か…

なんとか誤魔化しながら朝まで粘り、一応入院準備しておくかと起き上がると、その弾みで破水した。
マジか。もう誤魔化せないやつだこれ。

タクシーで病院に向かうと、破水した妊婦は車椅子で運ぶ決まりらしく、ヨロヨロのおじいちゃん警備員に車椅子を押されて病棟へ。全然歩けるのにすいません…。

その後入院手続きやらを済ませ(結局立たされ歩かされる)陣痛室に収容される。破水してるから安静にとのこと。その頃には昨夜から来ていたはずの陣痛は消え、ただただ暇な時間が流れる。時間になると運ばれてくる三食を食べ、小部屋で寝る。卵産む雌鶏のようだ。まあ私も産むんだけど。
内診すると、あんなに苦労して動き回ってたはずなのにまだお産が遠いとの報告。嘘だろ。破水したら産まれるんじゃないんかい。仕方なく無理やり子宮口を開くらしい。医者「水分を含むと膨らむ『カイソウ』の棒を子宮口に差し込みます」。カイソウって言った?「『カイソウ』って海藻の事ですか?」「そうです」。海藻にそんな使い方があったのか。瞬く間に海藻棒を十何本か突っ込まれ、体内で増えるわかめちゃんを想像しながらまた小部屋に帰る。

海藻棒の効果はてきめんで、陣痛が戻って来た。しかも結構痛い。モニターを付けて検査すると、看護師いわく「これはまだ陣痛じゃないですね」。
えー…これ陣痛じゃないの…?
そのまま間隔が短く痛みも増してゆく「陣痛じゃない何か」に結局10時間以上苦しめられ続けた。陣痛じゃないってことはお産もまだ遠いのか…この痛みは無意味なのか…。

翌朝5時頃。さすがにこれ陣痛じゃなかったら何なんだというくらいのヤバすぎる痛みになったので確認のためナースコール。前日とは違う助産師が来て「これ陣痛ですね。結構お産進んでますね」。
ほらーーー!陣痛だったじゃん!!!!
しかし「医者がまだ出勤しておらず人数が足りないので次の処置は8時以降になる」という非情な通告。医者のシフト次第かよ。

8時半すぎ。やっと医者が出勤してきて海藻棒は摘出され、陣痛促進剤も投入された。いよいよ激しくなる陣痛。しかしこの期に及んでも「子供が降りてきてないから、まだいきまないでね!」と言われ続ける。医者「この赤ちゃん、よっぽどお腹の中が好きなのねえ」。いやもう好きとか言ってる段階じゃないぞ。
陣痛の波を逃すためにベッドの柵にしがみついて耐える。これほどベッドに柵があってよかったと思ったことはない。

そのまま数時間。結構耐えたけどどうなんだ。もういきみ逃しも辛くなってきて、陣痛の波とともに何かが出そうな感じが止められない。言うなれば内臓がメリメリ漏れ出そうなイメージ。たまらずナースコールすると助産師が来て内診。「もう赤ちゃん出かかってますね。すぐ分娩室行きましょう」。分娩はまだ先と思われていたのか、突然バタバタし出す現場スタッフ。

「分娩室に行く前にトイレに行けますか?辛かったらカテーテルで抜くけど」と聞かれ、もうかなり辛かったがここにきて持ち前の自力根性が発生し、歩いてトイレへ向かう。そして歩いて分娩室へ…車椅子の用意もあったのだが。最後まで適切に使われなかった車椅子。

分娩台に上がればこっちのフィールドだ。あとは自力で好きなようにいきんで出すのみ。今までのフラストレーションを全て込める。助産師からいきみのたびに角度や力加減のフィードバックがあり、次回のいきみに活かしながらお産を進める。しかしお腹の住人はここでもマイペースで、「赤ちゃんがどっちに向いて出てくるか悩んでるみたいですね〜」。どっちでもいいから早く!出ろ!出ろ!出ろ!!念を送る。
数回のいきみの後、散々モタモタした引きこもり気味の子供がこの世にぬるりと誕生したのだった。

出産後、経過観察のため分娩台の上で2時間寝かされ、横でうごめく子供を見ながら妙に納得していた。「あー、そりゃ私の意思とか完全に関係ないよな…別な生命体だもんな」と。

迷宮入りしないために~出産を終えて~

それにしても、妊娠出産では母体の意思、気持ち、それまでの経験則なんかが軽々無視されるような事態が多々起こる。それは、どの妊婦も多かれ少なかれ同じだと思われる。「全て自分の思い通りいきましたけど何か?」と言い張る女でも、今後同じように思い通りいくとは限らないだろうし。
そして体験して初めて知ったのだが、妊婦出産が医療行為と看做されないことも多い。人の命がけっこうかかっている事案にもかかわらず医療行為じゃないとは何事か、となかなか戸惑った。分娩方法ひとつ取っても、畳の上で座って産むような自然派から、無痛分娩などガチガチの医療機関派?など様々だ。いにしえからの土着民俗学的な薫りがする行事や行為も多かった。戌の日参り、腹帯、陣痛促進のため床を拭けとか。なんだか「超自然的な力」「非科学的な力」が幅を利かせがちなのだ。そしてそんな奴等に頼ってしまうことが多いのが、思い通り行かず悩む女なのだ。

妊娠出産子育てSNSを覗くと、その闇が見える。大小様々な思い通りにならない悩みへの回答を渇望する女たち。科学的見地からの意見と同列に、誰が書いたか分からないウェブメディアや個人の記事が並ぶ。そして非科学的とも思える意見の多さにゾッとする。
ホルモンバランスの乱れによる情緒不安定。何より、自分一人ではない、子供の命がかかっている重圧。それらに耐えられず感情的になり、耳障りのよい非科学的な意見に惑わされたり、迷宮に嵌りがちなのかもしれない。

私自身はどちらかというと冷静な方だが、妊娠出産特有の「思い通りにならなさ」を体験し、何度も真偽が定かではない情報、非科学的な手法に流されそうになった。ずぶずぶと見えない沼にはまっていく感じがした。「どうにもならないことには感情的にならず冷静に対処する」「情報の取捨選択を理性を持って行う」。妊娠前にはできていた当たり前のことなのに、頭がボンヤリして忘れそうになる。

子は先日3ヶ月になった。私とはまったく別の、ひとりの人間の子供だ。
子を産み育てる過程で、上手くいかないことがあっても、いままでのように変に自分を責めなくなった。ほどよく肩の力と手を抜きながら日々を過ごしている。思い通りに行かなくて当たり前だし、それが楽しい、といつまでも思えますように。

伏見ふしぎ(ふしみふしぎ・2010年教育学部卒)

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