正しさという病 〜Aちゃん家の場合〜

以前に「学歴という病」という記事を書いた。「病」シリーズ、今回は「正しさ」について。シリーズが続くのかは謎。

今回はケースとして友人Aちゃんと旦那さんを取り上げてみようと思う。病というかモラハラかも知れないけど…。


ケース1:Aちゃんの旦那さんY氏

Aちゃん、旦那さんY氏が強烈な人だ。自分のやり方を絶対に曲げない人。職場ではどんなか知らんが、家庭運営、育児、人間関係など全てが徹底していて、それに家族は巻き込まれる。

Aちゃん家は生活の全てがY氏の考えで回っており、またY氏の言うことは大抵理に適っているらしい。細かく言うとキリがないが、「無駄なお金を使わないため、底値でしか買い物しない」「家の補修等、できることは全て自分たちの手でやる」「子供でも義務を果たさないと、相応の報いを受ける」などなど。

自分の信条を生活の隅々まで行き渡らせるエネルギーには関心するが、家族への激烈な態度が気になる。AちゃんからY氏の話を聞いた誰もが「よく結婚する気になったね?」と言う。それくらい息苦しそうな生活をしているAちゃん。結婚してからほとんど自由な時間がないと言っていた。

Y氏のやり方が理に適っていて正しいとしても、家族が積極的に同意していないなら、それは本当に正しいやり方と言えるのか?会うたびに「これで日頃の息抜きができた~」と言うAちゃん、日々がしんどいのはY氏の求める厳しい生活のせいではないのか?


ケース2:家事と育児で余暇がないAちゃん

旦那さんのY氏の「正しさ」に振り回されているAちゃんの中にも、「正しさという病」が見え隠れする。

先日、あまりにもY氏の無体な話ばかりするので、「別れたいと思ったことないの?」と聞いてみた。そしたら「ないことはないけど、子供にとってはいい環境を与えてくれてるしね~」みたいな答えをする。Y氏の育児方針が良いのか、確かにAちゃんの子供達はいい子だ。まだ小さいけど、人前でもお行儀がいい。お父さんのお陰でいろんな経験もできるようだ。

ん?子供がいい子に育っているのはいいとして、Aちゃん自信は幸せなの?夫婦関係と子供のことは切り離しては考えられないものだけど、子供を言い訳にしたらダメなんじゃないの?と思った私。なので「夫婦関係が悪いと子供にも良い影響ないよね?不仲な夫婦のもと育つよりは、シングルで育てる方が子供によくない?」とちょっと出過ぎたことを言ってしまった。

すると急に「最近のお母さんは甘えている」とか言い出したAちゃん。話ズレてるけど。要するに「自分がY氏の考えの下にやっていることは、世間のお母さんが普通にやるべきレベル」「我が家は異常ではない」と言いたいらしい。「最近のお母さんが私と同じようにしてないのは手抜きだ」と言うこと。

うーん、Aちゃん家のやり方が異常とは言ってないし、よく頑張っていると思う。それと他の家庭を比較するのはあまり意味がない。各家庭の運営の仕方はそれぞれあっていいと思うので、AちゃんとY氏の「やり方押し付け問題」とは別の話だと思うけど~。自分の境遇を正当化するために、世のお母さんをこき下ろすのは違うよね。


分析

AちゃんもY氏も「正しい」ことを言ってるんだと思う。でも常に「正しい」ことが「最善」とは限らない。人によって「正しさ」は違うものだし。それなのに伝家の宝刀のように「正しさ」を振り回すのは、いい大人のすることではない。

最近は「正しい」ことってあまり意味がないなーと思う。もちろん「法律を犯してもいい」とかいう話ではない。「正しい」ことではなく「快適な」ことが大切だなーと思うのだ。誰かに迷惑さえかけなければ、人は何をやってもいいはず。一般に「正しい」と言われることが、自分にとっては「息苦しい」「不快」なら、敢えてそれを選択しなくてもいいのかも。

一般に「正しい」と言われることと別の選択をするのには勇気がいる。「なぜそうするの?」と聞かれた時に、なんらかのエクスキューズが求められる。「こういう理由です」といちいち説明するのもなかなか面倒、「人のことは放っといて」と言いたいね。


自分を戒める

私自信も、ともすれば「正しさ」で人を論破しようとしてしまうところがある。何が正しいかは人それぞれ。他人のルールに踏み込んではいけない。相方のこともそう。他人に無関心にならず尊重するのって、なかなか難しいな〜。親しくなればなるほど、自分のやり方を押し付けなるもの。まだまだ修行が必要だ。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。