壊せそうもない壁を感じて息苦しくなる 〜同性婚集団訴訟〜

2月14日のバレンタインの日、13組の同性カップルが、同性婚が認められないことについての集団訴訟を起こした。

「「同性婚認められないのは憲法違反」同性婚めぐり初の集団訴訟 | NHK NEWS WEB」
「「選択肢すらなく不平等」=原告カップル、差別解消訴えー同性婚一斉提訴 | 時事ドットコム」
「「配偶者」の耐えられない重さ 結婚でしかできないことを問われて | BuzzFeed News」

この訴訟に伴い、署名運動も行われている。私も参加した。

「日本でも同性婚を!「誰もが愛する人との結婚」を選べる社会にするために、私たちの訴訟を応援してください! | change.org」

同性婚の是非については、当事者の中でも意見が分かれる。私自身は「婚姻制度への違和感があるから、個人として利用する可能性は低いけど、選択肢としてはあるべき」と考える。なので、今回の訴訟に関わった皆さまには本当に感謝である。

まず一歩を

今回の訴訟で例えば違憲判決が出たとしても、それですぐに法律が変わることはないだろう。それでもまず法的手続きを踏んで訴えを起こす、そうすることで議論を深める土壌を作ることが大切。私が死ぬまでには、同性婚ができるようになってるといいな〜。


悪意と壊せそうもない壁

こういうニュースが出るたびに、一般の方も含めたいろんな意見がネットに溢れる。LGBT案件についてはやっと認知されてきたところなので、私にはとてつもなく差別的に感じる意見も目にする。

LGBT案件だけでなく育児問題、女性差別、国籍差別など、「こちらとあちら」を意識してしまう問題に対して、恐ろしいほど冷酷な意見がたくさんあって驚く。そんな意見に見え隠れする(無自覚な)悪意と、私には壊せそうもない壁を感じて息苦しくなる。

時に冷酷な、時に口汚い意見が、どういう動機で書かれるのかわからない。義憤なのか、個人的恨みなのか。ただ「絶対に他者を受け入れない、許さない」強い意思を感じてしまう。

相容れなさと想像力

人と人が完璧に理解し合うことはない、それでも理解し合う努力をすることが大切、私はそう思っている。相容れない人や意見を「自分とは違うから」と捨て置くことは簡単だけど、それでは回らないのが社会というものだし、「なるべくならひとりでも多くの人が幸せに」と願うことが偽善だとも思えない。

私自身も、自分と違う人や意見に攻撃的になってしまうことがある。それが私を害してないにも関わらず、だ。そしてそんな迂闊な自分に気づくのは、多くは今回のような「悪意や壁」に触れた時。

世界にはたくさんの壊せそうもない壁がある。私は「いつかそれも取り払われるよ」と夢見ることができないでいる。それでも私側からは壁を作りたくはないので、想像力の翼をいつも忘れず携えていたいと思う。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。