表現してる人、発信してる人の「なんだか素敵な人」感


私のようなただのブログ書きでも、時々お客様からメッセージをいただいたりする。このブログを読み始めたきっかけや記事(というか私と相方の生活)への感想、応援メッセージなどをいただくことが多い。

このブログは「なるべく雑多なテーマで書く」ようにしているので、私が「いろんなことに興味がある人」に見えたりするようだ。「好奇心旺盛でアクティブな人」……そんなことないんだけどなー。

芸と人格

誰かのファンになると、その人のやってること、発信してることの魅力も相まって、「その人自身の人格」までもが魅力的に思えたりする。本来そこには直接の関連はないはずなんだけど、「こんな素敵なことやってる人は、その人自身も素敵なはず」と思ってしまう。

芸能人の私生活での言動がバッシングの対象になったりするが、そこには上記のような思い込みがあるわけだよね?しかし「仕事ができる人が必ずしも人格的に優れてるわけじゃない」なんてことは良くあるわけで、同じことは芸能人にも言えるんじゃない?

もちろん人気商売だから何が理由で嫌われても仕方ないし、人格の良さが芸の魅力に繋がることはある。ただ「必ずしも比例しない」ことはあるじゃんという話。

リアルとイメージの乖離

私ですら「ともみさんって素敵な人ですね!凄いですよね!」的なことを言っていただくことがあり、「そそそそそそんなことないです。全然ダメな人間です」と思う。リアルな私を知ってる人からすれば、「そんなに褒めるほどのことはないよ」ってなるんじゃない?え、そもそも社交辞令だって?えー、そんな〜。

「表現してる人」「発信してる人」を遠くから見てると、見てる側には実際の本人と関係ないイメージができあがる。イメージの中では「誰にでもありそうな嫌なところ」が見えにくいんだろうね。多分どんな素敵な芸能人にもダメなところはあって、人に言いたくないようなブラックな感情もあって、日々そんな自分と戦っているのはみんな同じだと思う。

同じ目線で

素敵な人がみんな徳の高い聖人みたいだったら、「そりゃー素敵で当たり前か」って思わない?そうじゃなく「同じように自分を持て余して、日々悩んでる人」が素敵な活動してることが凄いというか。表現してる、発信してるというだけで、「一段上の人」になるわけじゃない。

というわけで、少なくとも私のことは「むやみに尊敬の眼差しで見ないでね〜」と言いたいのです。ダメなところ全開で生きておりますし、そのありのままをブログでも書いておりますのでね。私のことを少しでも「素敵!」って思ったとしたら、それはそう思えるお客様の感性が「素敵」なのですよ。そうなんですよ!

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。