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漫画「ドラえもん」を買い直す

漫画「ドラえもん」に育ててもらったと言っても過言ではない程、何回も何回も、それを読み返しました。

幼少の頃、右の頬の中に、何かシコリができている事が発覚し、近くの病院から紹介をされて、倉敷市の大きな病院に通うようになりました。そのシコリは良性腫瘍であると、幼い私に分かるように、病院の先生と両親が説明してくれました。

それで、その倉敷市までは山陽本線で通っていました。病院からの帰りに、決まって、父と、うどんか何かの軽食を取って、その後、駅前の小さな書店で、漫画の単行本「ドラえもん」を、一巻ずつ、買ってもらっていました。

おそらく「ドラえもん」は、国民的な有名漫画にまで成長を遂げたので、あまりよく知らないと言う方もいらっしゃるかも知れないですが、ほとんどの方が、それが何であるかのご理解はされているのではないかと思っています。
私が漫画を描き始めたのは「ドラえもん」との出会いよりも前の時代でしたが、アフタードラ(A.D.)の時代になると、そこから漫画のコンテクストとコンテントというものを無意識に吸収し始めたものと思われます。
特にコンテクスト(文体)は、コマ割りの方法から、オチの付け方まで、まあ小学生ですから真似をしまくるのに罪はないですから、学ぶ事が本当に多く、現在に至るまでその基本的な漫画への対し方は変わっていないと思います。

そして、幼少時に、そんな優れた漫画を買ってもらっていた事に感謝しつつ、その頃の事に話を戻しますと、私の良性腫瘍は、放置していてもいい事はないので、手術して摘出しますか?という話になり、まだ小学2年生だった私には、手術の何たるかもよく分かっていなかったので、首を縦に振りました。
ただ、全身麻酔か、部分麻酔かで、少し迷った私は、全身麻酔だと入院が必要になるし、一時的に意識がなくなるのが少し怖く感じて、部分麻酔の方を希望しました。小学2年生でよくそんな事をスパスパ決めたな、と思いますが、本当の事だから仕方がないです。

手術の日、緑色の手術衣に着替えた私は、看護師さんに「九九はどこまで習うたん?」と聞かれ「もう七の段まで言えます」と答えたのを覚えています。「それなら大丈夫!」と、看護師さんに勇気づけられ、手術室に入ると、それはもう間もなく始まり、麻酔の注射を頬に打ってもらって、しかるのち、針のような物でツンツンされました。しかし既に薬が効いて、全然痛くなかったので、そのように答え、手術が始まりました。
私は、手術中、ずっと意識があるものだとばかり予想していたのに、いつの間にか、眠っていました。それは、待合室の父も同じだったようで、スゲえイビキをかいて眠っていたそうです。

目が覚めた時、手術が成功した事を聞かされて、私は一安心しました。でも、これで通院は終わりではなく、術後の経過を診たり、抜糸したりすると聞いて、ちょっとだけ残念に思いはしました。しかし、父に「ドラえもん」を買ってもらう事を希望にして、その後また、1年間位は、尾道と倉敷の間を行き来しました。

ある時「ドラえもん」第22巻を、電車内で読んでいたら、何か電車に酔ってしまって、思い切り嘔吐しました。しもうた!と思っても後の祭りです。しかし、優しいおばちゃんが登場して、父と共に、後始末をして下さいました。おばちゃんは、金光教の信者さんだったと記憶しています。まあ、倉敷駅と尾道駅の間に金光駅があるので、何の不思議もないですが、とてもありがたかったと、今でも思っています。

こうして、漫画「ドラえもん」は、いつしか30巻を越え、もうボロボロになる位、読み返していました。中学生になると、今度は父が、水木しげる「敗走記」や五味川純平・石森章太郎「人間の條件」等を買い与えてくれて、またある時には、明日が試験の日であるにもかかわらず、藤子不二雄A「愛蔵版まんが道」全巻を買ってきたりと、なかなかに愉快で恵まれた環境下に置かれていました。

高校に進むと、もう私は自分で白土三平「スガル」やつげ義春「紅い花」を買って読むようになり、しばらく「ドラえもん」の世界から離れました。
この間、余計な事に、母が、近所の子供に「ドラえもん」を全巻あげてしまいました。

その後、私と同じく「ドラえもん」で育った弟が、少しずつ、それを買い直しているのを知り、自分の浅薄・薄情さをも知ってしまいました。
懺悔のつもりか、知的探究心を伴ってか、自分の担当を自覚した私は「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄の、別の作品をコンプリートし始めました。すなわちそれは「SF短編集」であったり「パーマン」であったり「ウメ星デンカ」であったりした訳です。全ての漫画が面白かったので、F大先生の力量に驚くと共に、笑いながら読んで、これは大人ほど読んだ方がいいんじゃないかと感じられました。

そして、おととい、確定申告を寸前に控えつつ、私は「ドラえもん+」の第7巻を、書店で購入するに至りました。そして早速読むと、何だかすごく、キャラクタがハイテンションなのに気付き、一方で、ストーリーは流れるように進み、含蓄のあるテーマばかりでオチも面白く、ハッキリ言って、ものすごく笑ってしまいました。面白いですから。

繰り返しになりますが、これは大人こそ読むべき話なんじゃないかと思われて、これから事あるごとに、一度は失われた「ドラえもん」の欠けたピースを埋める作業を始めたいと思いました。なに、最早、恥ずかしさとかいう感情など全くありません。誇りしかない。

今回も最後までご拝読頂きありがとうございます。また書きます。

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