全国まちづくり交流会今年は与論島で開催(『報徳』2023年8月号巻頭言)

与論島へ

 第十九回「全国まちづくり交流会」が六月十七日(土) 十八日(日)、鹿児島県の与論島で開催されました。鹿児島まで新幹線で行き、そこから空路一時間半で与論島へ。
 与論島は、沖縄の北二〇キロにある島で、鹿児島から六〇〇キロ。東京までの距離と同じですから、遥けくも来つる与論島と、感慨もひとしおでした。
 帰りはフェリーで、与論島を昼の十二時に出港して、沖永良部島、徳之島に寄り、奄美大島に着いたのが夜の八時。それからは屋久島、種子島には寄らず、朝八時に鹿児島港に入港。二十時間の船旅でした。
 沖縄と与論島は二〇キロしか離れていないので、昔から繁緊密な往来がありました。しかし戦後、二十七度線で国境が引かれ、沖縄はアメリカに与論島は日本へと引き裂かれ、行き来すれば密入国出国で逮捕されるなど、沖縄返還の一九七二年まで苦渋の歳月を過ごしました。

エメラルドの海、白い砂浜、サトウキビ畑

 与論島は、島の周囲二三キロ、エメラルドグリーンの海に囲まれ、人口五千人、白い砂浜が広がる隆起サンゴ礁の島で、サトウキビを主産業にしています。
 交流会では、与論民俗村の菊秀史村長の「与論島に生まれ育ち思うこと」の講演があり、祖先が守った島をどのように引き継いでいくかを語られました。活動報告ではサスティナブルコーディネーターの柳田真希さんが、「観光のための地域づくりではなく、地域のための観光まちづくり」と題して、与論島の取り組みを報告しました。
 観光客は五十年前の一九七五年には一万五千人だったのが、十年後の一九八五年には十倍の十五万人になった。その後は七万人ほどで安定していたが、コロナで激減した。回復途上にあるが、来る人が増えればいいのではなく、観光の質の高さと豊かさを目指しているとのこと。一過性でなく、愛着をもってリピートする持続可能な観光をどう構築していか、和歌山大学とも連携し、経済的な側面、文化的な側面、環境的な側面から島の豊かさと魅力を引き出したいとのことでした。

再会と交流

 交流会の楽しみと歓びは、地域活動家の皆さんと再会、交流できることです。昨年の交流会は高知県馬路村でしたが、馬路村ゆず産業を牽引した東谷望史さん。報徳の考え方でホタテ漁業をリードする北海道サロマ湖の船木耕二さん、真如智子さん、室井公裕さん、室井隆治さん、檜垣久美子さん。湯布院や静岡県小山町や茨城県境町などの地域おこしに奮闘し、今は小田原で活動している溝口久さん。熊本のトマト農家の吉田富明さん。観光学研究者の捧富雄・雅代夫妻。恵那市観光協会の田口優一さん、田口巧さん。こうした皆さんとの再会と交歓で、また新しい刺激を頂きました。
 別府市の地域文化や建築の保全に尽力されている岸川多恵子さん、埼玉県北本市で市民運動をされている西村一孝さん、上田市で林業や地域の樹木管理をされている水野俊哲さんなどとも親しくなり、それぞれの活動を伺い、異業種のみなさんと地域活動の一点で交流できる豊かさと幸せを味わいました。
 その中で、与論島の若い活動家の池田理恵さんから「今の社会で問題を感ずると二宮尊徳に行き着きます」と話しかけられたのは、うれしい不意打ちでした。

子どもの無限の力――自然の中で遊んで摂理を感ずる深い心

 池田さんは、保育教諭をして「子どもたちにどのような学びが必要か」の達成カリキュラムに取り組み、この指導が何のために必要か、出来るように促す言葉がけをどうするかなどの指導案作りに追われていたといいます。個々の子どもの成長の差は様々で、一人ひとりに合うものと全体に必要なものとのバランスも課題でした。
 そんな時、ドイツのシュタイナー教育に出逢い、自然が子どもに与える深い力と、自発的に発見し解決していく子どもたちの自主自在の学びの在り方に啓示を受けたと言います。 子どもたちは何でも挑戦したがるし、失敗を失敗とも思っていない。工夫したり発展させたり、独自の世界観を友達と融合させたり、離れたりして、「大人に負けない時代の最先端社会を築き上げている」ことに池田さんは気づきます。
 特に自然の中での発見は素晴らしく、どこにでもあるものも一瞬にして宝物になり、触れて、感じて、自然の摂理を遊びの中で身に着けている。
 大人は何かに価値を置き、何かが出来るようにさせようとする。そんな「べき・ねばならない」の固定観念に縛られていた自分が恥ずかしくなったといいます。
 しかし、保育の可能性を引き出す自然が壊されている。持続可能とは逆行を選び続けている社会の構図に愕然とし、自然の素晴しさを後世に残し、この子達のためになんとかしなければという気持ちに追い込まれ、そこから必死にいろいろな学びを始めたといいます。

「エシカル」という考え方

 こうして「エシカル」という考え方に行き着きます。「エシカル」とは、地域、環境、社会、人に配慮した消費行動のことで、
この理念に基づいた島の特産品を作りたいと考えます。与論島はサンゴが隆起した島で、ミネラルが豊富な土壌です。
 この島で採れる物を使い、心も体も地球も元気にしていくものは作れないか。「ふりかけ」をつくることが閃き、商品制作に試行錯誤を繰り返します。
 こうして、与論で水揚げされるサガマー(トビウオ)を乾燥粉末させ、自然栽培の野草オオイタビと、与論の海水で作られた塩、熊本産のイワシ粉末をブレンドして「ヨロンだしふりかけ 未来につながる サガマーちゃん」を開発します。
 現代食では摂りにくいミネラルを、かけるだけ・まぜるだけで手軽に摂れるだしふりかけです。オーガニック、環境、商品化、流通と、与論島の自然と社会の在り方全体に工夫を加え、島の財を次世代につなげる総合実践です。

「誠の島」与論島

 島で生き抜くために助け合い精神が当たり前にあり、与論は別名「誠の島」とも言われ、誠をもって取り組めば、恥ずかしいことなしの上首尾と言い伝えられてきたといいます。
 与論島にも二宮金次郎像が立っていて、島の暮らしがどんなに厳しい時でも、「誠」の文化に基づいた「徳」の循環で、今日があるのだと池田さんは語ります。
 農耕中心だった社会から大きく変わった現代社会。様々な分野で疲弊の声が上がっています。この大きな要因は、個の意識が肥大しすぎたからだと池田さんは考えます。
 持続可能な社会であるためには、人々は共に居なければなりません。胸襟を開いて率直に語り合う「いもこじ」が大切です。このような現代社会だからこそ、人々の心にふれる「徳」、そして「誠の島」の「誠」に大きな可能性を感じるとおっしゃっていました。
 お話を聞いた翌日、子どもたちが遊ぶ森を案内していただきました。木の上に小屋が出来つつあり、子どもたちは眼を輝かせて見上げていました。

次回は北海道の津別町

 来年の「交流会」は北海道の津別町で、二十回目を迎えます。二〇〇三年に地域振興で親交を重ねてきた愛知県足助町の佐久間章郎さん、北海道佐呂間町の船木耕二さん、阿波勝浦の国清一治さん、与論島の山本明美さん、遠州森町の村松達雄さんたちが、全国ネットの活動の必要を感じて「全国まちづくり交流会」を始められました。
 発起人の地域を回り、十年程前には遠州森町でも、村松達雄さんを中心に、松本芳廣さんが事務局長となって開催されました。個人、団体の自由参加で、活動報告、実践事例を共有して、地域づくりに大きな刺激を与えて来ましたが、中心メンバーが八十歳台を迎え、第二十回の津別大会で一区切りになるだろうとのことでした。

鹿児島の志布志市と出水市にて

 与論島に発つ前に、馬路村で知り合った志布志湾の又木智子さんをお訪ねしました。民宿経営をされていますが、ご主人は造園業をされ、三〇〇〇坪の宅地には色々な木や石、温室があり、生徒たちの農業体験も引き受け、町の歴史案内も務めておられます。
 職業訓練指導員の資格を取ったご主人は、宅地に寮を作り、高卒の造園希望者を三人ずつ四年間の寝泊りの修業をさせ、国家試験を受けさせたといいます。二十五年間続け、智子さんは三度の食事の世話を毎日されていたとか。
 今は菊の栽培、ふるさと納税のお礼の花木も栽培されており、造園文化、学生の研究教育、地域経済を全面的に担うお二人の生き方、暮らし方に、深い感銘を受けました。
 鹿児島に帰り着いて今度は、出水市の竹崎キヨ子さん宅を訪問しました。鶴の渡来地として有名な所です。多角的な農園経営をされ、中心はカラタチの種から苗木を育て、そこに各種類のミカンを接ぎ木して供給するお仕事で、接ぎ木したミカンの若木の広い農園を拝見しましたが、一本一本接ぎ木するのですから気の遠くなる作業です。「ミカン狩り」や「食と農の体験講座」もされています。
 雑誌『かがり火』は、昨年、二〇〇号て終刊になりましたが、編集長だった菅原歓一さんも同行下さり、岸川多恵子さん、西村一考さん、水野俊哲さんも加わって、竹崎農園の山小屋交流館で「全国まちづくり交流会」の締めにふさわしい語らいの夕べとなりました。
 「輝いている地域には、中央の政策や学者の提言に飛びつかない、誇り高い実践者が必ずいる」「地域の歴史や文化を守り、産業を育ててきたのは、こういう人たちである」と菅原さんは三十四年間にわたって、その姿を掘り起こし発信し続けました。
 想いのこもったお話は、まさに珠玉の言葉の数々で、出水市の地域活動家や県会議員も加わり、こうした地域を支える実践家の皆さんとの議論は、切り口が切実、鮮やかで、またとない大きな刺激と明日への励ましをいただきました。

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