掃除祭__1_

「悪気がない」との距離

「悪気はない」って言って、それを本気で思っていて

人を滅多刺しにして殺したら

ほぼ大多数の人が「悪気がないからってやっていいことと悪いことがあるだろう」になるけれど


「悪気はない」って言って、それを本気で思っていて

本人の"正しさ"を相手に浴びせていたら

それは「価値観の違いだからしょうがないね」になる


どちらかというと「いじめ」への考え方も後者に分類されていると感じていて

それに加えて、落ち度を認めたくない・教育方法を否定されたくない自己防衛に走る外部があるから

いじめている側が護られる傾向にあるのではないか


「悪気はない」が許される範囲があるならば、それはどこだろう

もしそのルールを作ったら、多様性が損なわれるような気もする

これは、思考と感情を持っている人間のバグなのか


大切なことは目には見えないけれど

見えないからこそ、ときに難しく感じるよ、王子さま


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