安心したい。
わたしは無意識下で、かなり強烈にそう思う傾向にある。
「安心」って、何だろう。
調べてみた中で、1番納得感のあったのがこれ。
①心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこと。
② (形動) 心が安らかで心配のないこと。また、そのさま。
③ (あんじん) 仏語。信仰によって、心が不動の境地に達すること。浄土教では、特に阿彌陀仏を信じて疑わないこと。
④ 内心のくふうをすること。奥義に達するための心づかい。
そうそう、心が落ち着いてなくて、ざわついているのよ。
心がざわつくのは、わたしの場合はこんなとき。
<仕事>
・わたしのタスクを理由がわからず取られる(必要ないと感じる+わたしの達成感を得られる瞬間を奪われる)
・当初の計画とずれた決断が理由もわからずズイズイ進んで、今までやってきたことが水の泡(今までのことをなかったことにされる哀しみ)
<恋愛>
・一方的と感じる理論を並べられた時(自分さえよければそれでよくて、そこに「わたし」がいない哀しみ)
・わたしのアクションにリアクションがない or 事務的なリアクション(わたしは居ても居なくて同じじゃないかと感じる哀しさ)
これって、全部コミュニケーションじゃないか。
「哀しみ」に振り回されないようには、気をつけないといけない。
けど、哀しいものは、哀しい。
哀しいと感じる心を否定したら、そりゃ苦しいよ。
感情を置いておいて仕事ができるのが、「大人」なのかしら。
そしたらきっと、わたしは一生「大人」になれない気がする。
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わたしは小学生から大学生までバスケ部に所属していたが
最初からうまくいっていたケースなんかひとつもない。
けれど、最後には必ず「最高のチーム」になる。
それぞれの思惑、それぞれの考え方、それぞれの価値観
それらがぶつかって、問題が起きて、その度に話して
イライラしても納得してなくても、一緒に居続ける。
それが、いつの間にか、「最高のチーム」となる。
小学校、中学校、高校、大学
それぞれのステージで、同じ道を通ってきたんだ、と今思う。
①本音で話す。嫌だと思うこと、哀しいと思うことも全部言う。
②それがそのとき、納得できなくても一旦受け入れる。それでも一緒に過ごす。
③自分が変われるところは、プライドに執着せず変える。
若かりし頃ではあるので荒療治なところもあるけれど
こうやって歩み寄っていったなと思う。
これらがひとつでも欠けてたら、きっとうまくいかなかっただろうとも感じる。
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今はある程度歳を重ねて、コミュニケーションの選択肢を持てるようになった。
選択肢を持てるようになったとしても、ぶつかることを怖がって避けることは
人生において大切なものを遠ざける。
きっと、コミュニケーションひとつで
わたしは周りを哀しませることも、ハッピーにすることも、できるのだろう。
周りをハッピーにするコミュニケーション
自分からも相手からも逃げないコミュニケーション
それを常にできるようになりたい。
哀しみは、受けとめよう
苦しみは、くそくらえ
わたしとコミュニケーションを取って下さっている人で、ハッピーじゃなかったら、遠慮なく教えてほしい。
「今、わたし哀しくなったよ」って。
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