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INFJから見たENFJ(特徴や長所、自己投影)

はじめに

現実のENFJ情報少なすぎる!!」(特にENTJも本当に…)
と思っていた中、

近頃、初めてENFJと思われる人を現実で見かけた。
とても興味深かったので、ここに書き残しておこうと思った。

*ENFJという言葉一つで、人間を表すことはできないのは事実。
言葉で表すのに難しい部分をMBTIを使って表すだけだ。
これから書くことは個人的体験であり、エンタメ感覚で書いてく。

⚠︎過去の記事の再投稿。
長文なので目次を推奨します。


第一印象

「S型か?ただの陽キャじゃん」

私はまずそう思った。まず話し方が普通なのだ。
例えば。N的発言も出ていないし、背筋も伸びて、笑顔が眩しくて、声がデカい。

…一見するとESFPに見えたのだ。
しかし、その推測を見事に裏切ったのがそのENFJである。
最初は、完全にESFPまたはESFJに”擬態“したかのように思えるが、その後段々とS型のノリとズレていくのだ。

特徴

「ん?周囲とは何かノリが違う…」と感じたENFJの特徴を箇条書きにしていく。

•「たとえ話」や「比喩」が明らかに多い

-話し方や態度こそS型とは似ているが、ENFJの言葉はより率直で独特のたとえ話が多い。
SよりN強めだと、物事の関連性に強くなるので、話の途中で関係のない話題に無理やりこじつけたりできてしまうからだ。

本人の中で“関係のある”話題でも、S型にとっては“どうでもいい部分”だったりするので、早速ノリはズレてく。

•芯を突くような優しさ

-ESFJの優しさとは違う種類の優しさ。
ENFJは気づかない内に本来、相手に必要だった言葉や態度をかけてると思う。INFJよりも自身の見抜き(Ni)に無意識•無自覚なので、ナチュラル人たらし。

ENFJはFeが主機能なので、他人に優先度がいってることが多い。
同じFe主機能にはESFJもいるが、ENFJとは明確に異なる優しさの定義だとは思う。
ESFJは「僕がーであの人が今ーだからーしよう」という感じのある意味、筋の通った責任感や優しさがあるんだけど、
ENFJは「あ、そこの人困ってるから優しくしなきゃ!」みたいな、無謀さというか突発的な優しさが心の根元に植え付けられてる感じする…

同じFeでも、そこでどう機能が動くかは全く違う。
Fe-Seの組み合わせが、優しさの行動原理のための単純さや素直さを生んでいて、ENFJの「気づいたら体が動いてた・言っちゃってた」みたいな状態を生み出してるのかもしれない。

•出る言葉が素直“すぎる”

-「自分素直すぎるんだよ〜」と自分で言うほど素直。
正直、自分で自分を素直と言う人間を見て、こちらは驚いた。

-「思ったこと、そのまま言っちゃうんだよ〜」と言ってるのも聞いて、いや本当にその言葉の通りだよと思った。
発言した後に、「あ、ごめん!」や「ごめん、さっきの適当に返事してた!」と天然ムーブをたまにかますこともある。

ここがINFJとは違うところかな。私は発言する前に、考えまくるが(Ni-Fe-Ti)、ENFJは発言した後に、考え直してる(Fe-Ni-Se)

•会話中に独特の「ラグ」がある

ENFJは話すとき、もちろん「素直な言葉」を出す。
しかし、その言葉の裏にも「シュミレーション」がしっかりなされていると私は思った。(=先、未来を予測するN)
なぜなら、ENFJは、互いが気持ち良くなれる話の「着地点」をしっかり意識してるからだ。

よく言えば、「相手を傷つけないため」、意地悪に言えば「自分が良く思われるため」の会話を事前に予測して、ある程度それに沿ったコミュニケーションがとれる。(XNXJにも共通する)

だから、相手との会話や関係が想定外のルートに進むと、機転があまり利かないこともある。想定外の状況が急にやってくると、頭の中と外で「ラグ」が発生して、相手とズレてしまう。

ENFJの場合、たまたま相手との対話が”ズレてしまった”時にも、相手の評価(好評も批評も)を全て正当に受け入れる方なので、心が傷つきやすいと思う。

ENFJの「素直な態度と言葉」と対の「想定して言葉を用意してる」という感覚は、相反する特徴に思えるかもしれないが、どちらもENFJは持ち得ると思う。(その構造が興味深い)

INFJである私は、「想定して言葉を用意する」という事でまず、「自分を守り固める」体勢でいることが多いので、「素直な態度」でいることが難しい。その両方を同時にすることは少ない。

•人を信じてるので騙されやすい

-立派な大人だが、心が青年のように真っ直ぐなので、(ああ、あと人に対する理想や期待も高いから)巧妙な嘘には騙されやすい方と思う。

嘘を見抜く能力が全く“ない ”という訳ではなく、相手が嘘をついていたとしても、本気で“信じてしまう”本人なりの優しさがあるのだと思う。

-おそらく無条件に人を信じているんだよね。「上も下も関係なく平等にできるべきだよ!」みたいな発言もしてたし、下の人を切り捨てたりしない。

-ENFJの懐を利用してやろうという人間もいる。なぜなら彼らは騙すには少し楽すぎるくらい、人の事を疑ってないからだ。(Ti劣)
私はNi -Tiでまず疑ってしまうことが多いので、あまりそんなことはないが。
ENFJはもう少しそこで感じた「大変さ」を周囲に主張できたら、認めてくれる周りがもっと守ってくれるのではないか。そして、もう少し楽ができるのでは。

•自分の体調に無自覚

周囲の人より少しばかり「時間」や「規則」「自己管理」に対して鈍感。
ENXPほどではないが、ENFJもSと比べると結構「正確さ」に欠けている。(私もだが)

それは多分重視しているものが違うから。

XNXJはおそらく
「本質が同じなら過程や方法はなんでもいいんじゃない?」
って思う機会は多い。だから、そう言う面が疎かになってしまう。

それにENFJはF意識が他人に向かってるので、自分の体調よりも「思ってる事」や「すべき事」がたくさんありすぎるかな?なんて。

ENFJの少し自分の時間や規則に鈍感な部分は、「天然」と捉えられやすいと思う。(XNXJに共通するかも、S的部分が決して完璧ではないJ型)

ENFJはFeーSeで多少S型の人たちと歩幅を合わせられる分、その「鈍感さ」が出た時に他から天然と思われやすいのかな。

ENFJのSeも一応弱めなので、無理に外で人と合わせてFe-Seで最大限フル回転して生活してると、「あれ自分何考えてたんだっけ?」って自意識がぶっ飛ぶ時がありそう。

自分が何を考えているか、何を思ってるのか、何をしようと思っていたかが、わからなくなってどっか飛んでっちゃう感じ。

•「なんで?」という疑問が多め

これはNi持ちに共通すること。
疑問が止まらないんだよね。特にENFJなんかは、他人の行動や感情に対する疑問が多いんじゃないかな?今みんなはどう思う?的な問いが多し。

「あの人はなんで怒ってるのかな?」
「なんでそんなことしたんだい?」
的な発言も実際多いのでは…

実際怒ったら「なんで?」って詰めるタイプだと思うと、そのENFJ本人は言ってたな。今そこにいる人間に対する疑問が止まらないので、相手によってはそれがおせっかいになったり、しつこいところにもなったりするかもね。

私は人間関係や過去、文献など少しあやふやな事への疑問が多い。そして、1人で考え込んで、そこまで論理的じゃない哲学的な思考ループに入る。
けれど、ENFJは目に見えてる世界への純粋な疑問が多い。そして疑問に思ったら、素直にその場で口に出せる。(←すごいことだよ!

•文章や人の「まとめ」がうまい

そのENFJの文章を拝見した時、この人は「必要なこと」をピンポイントで取り出し、それを並べ替えるのがうまいのだと思った。(XNXJも同じかな)

おそらく抽出作業が上手い。そして、Feで相手に気を使った配置、段落なども心がけられるので、わかりやすく伝えられるのだろう。
一つのことにこだわったり、細かな説明に時間を割いたりしないので、大人数の集まりや長い文章も、一つの形にまとめ上げることができる。

「この情報を早めに誰にでもわかりやすい資料にしてください」「次にバラバラのグループで、一つのレクをしてください」と言われたら、まあまあできる方、そういう作業は平気そう。
逆に「一ヶ月くらいこの情報を細部まで突き詰めて、特定の人だけに伝わるように数部に分けて研究しきてね!」と言われたら少し困難する。

•情に弱いし、涙もろい

「そんなことで泣く?」って所で泣いてることが多いのかな?
泣きどころとか、感情的になる点がみんなとは少しズレてる。

感動的な映画はクライマックスで泣く人が多いが、ENFJの場合、映画の冒頭で出てきたいろんな人物への感情移入、もはや映画が終わる前に心打たれて、感動に浸ってるという感じ…?

それはENFJの頭の中の世界は、世間よりもっと率直だからだ。
彼らは他人との境界が薄く、「他人ごと」=「自分ごと」の感覚の中生きてる。
だから、他人の環境や心情、背景を丸ごと受け取ってしまう。
本人より悲しんだり、些細なことにも大げさというほど喜べる。
それはENFJの長所であり、短所であると思う。
INFJ(自分)はENFJほど、情に厚くはない。

他人を無条件に信用して、多くの感情を受け取らざるを得ない感覚の中、生きるENFJを見ると、正直尊敬はする。

けど、同時に心配する。
もっとENFJは「利己的」になってもいい。「利己的」になる事で、ENFJはもっと「自分だけの」体調や思考、感じたことをありのまま受け入れられる。そうすれば、こんな世の中で、もう少しあなたが生きやすくなるはずだ。

•意外と頑固

ENFJ の心の機能

•Seへの憧れ

観察していて薄ら感じとったことがある。
おそらく、そのENFJはSeへの親和性があり、Seへの憧れも同時に持っていると言う事だ。
ENFJは人との旅行やカラオケ、スポーツなどをめいいっぱい楽しんでる。それも、とても素直な感情で。

それを見ると私はとても眩しいのだが、本当に彼は「誰とでも」「どんな場所でも」全力で居られるポテンシャルがあるのだ。

しかし、彼は人と沢山楽しんだ後、少し自分の“ズレた”部分であったり、自分に意識を向けず、前をずっと見てた故の“疲れ”をドッと感じるの時もあるのではないか?(Fe -Ni)
ENFJがそのような面を自覚しているとすれば、やはり…

友達や知り合いと遊んだ後でも、自分の発言を振り返らず、勝手に寝て、翌日にはもう忘れるような“勢い”や他人の感情に流されない“自由さ”を持つESXPに憧れるのでは?

*憧れという感情ではなく、「そうありたい」と思う理想の姿かもしれない。
個人的にINFJとしての自分は、やはりSeよりTiへの憧れが強い。特にINTPへの憧れ。本当はそうありたい。

またENXJはN型の中でも比較的、Sに近い方だから、Sのコミュニティの中での心の中で感じる不具合だったり、Nの中で感じるSへの憧れってあると思う。

外で常識人にも変人にもなりきれない、板挟みの状況にモヤモヤすることもあるかもしれない。私INFJは内向なので、そこら辺の問題はあまりないが、ENFJはきっとそこで感じることがたくさんある方だと思う。

どっちにも馴染めない、自分と似た人があんまいないって感じる人生かもしれないけど、ENXJはやっぱらしく生きてた方が、周囲に結構貢献できると思う。

ENFJのことを理解できるのは、決して同じENXJやXNFJだけではないってことを頭に入れといてほしい。タイプ論をむやみに信じ込まないこと。

どんなタイプであれ、その人がらしく生きてれば、それに惹かれる人がだんだんと集まってくるはずだからさ。それにENFJはINFJより外交的な方だから、多くの人と関わっていれば、そこで得られるものがたくさんあるはず。


•心の内に秘められたTi

私にはENFJのTiが、目に見えない。
ENFJは外で仲間と行動する時、Fe-Seという外面ばかり出してるので、FiやTiが全く表に出てこない。

ある意味「自我がない状態」とでも言えばいいのだろうか。

素直に言葉を発しているように見えて、自分の根本の論理は一切発していない。批判的な意見がない。

「あなたはこのニュースについてどう思いますか?」

と聞かれたら、ニコニコ流暢に答えられるタイプではあるけど、
(Fe故のきづかいやN強の様々な視点から独自の意見を持てる、外交的で出力が得意だから

「あなたはこの問題について反対の立場ですか?なぜそう考えるのか具体的に説明してください。その後、一対一で議論しましょう。」

と言われたら、結構困るタイプではあると思う。

(自分の意見は持っているけど、Feが邪魔をする、自分の中のTiの表現の仕方が分からない。「思いますか?」より「考えますか?(圧)」「〜述べなさい(命令)」の方が喋りづらい。個人的な発言に対する若干の恐ろしさ。)

ENFJは普段から他者や自分の感情には素直だけど、自分の中のルールや意思となると鈍感で、時に頑固な一面がありそうだ。(Ni-Ti)

その一面を見せてはいけないとENFJは思うのかな、それとも自覚してないとか…?

INFJ的には、ENFJはほとんど自分の思考や感情に自覚がないパターンだと思う。

INFJは常に自分のNiーTiに目が入ってるので、そこをうまく言語化できることが多いんだけど、ENFJはそうはいかないこと。

ENFJはSeの中で、自分のNiやTiを中で悶々と感じていて、それはそもそも、うまく形になるものではないということ。

それに対してINFJは無理矢理、よく考えなよ!とか書いてみなよ!って言うべきではないと思うんだよね。同じNFJでも十分違うのだと、想定できることが必要。

ただENFJには静かな助言が必要だと思う。どちらにしても、Jは頑固になりがちなので、意見や押し付けではなく、相手を尊重する助言が必要である。

逆も然り。

INFJがENFJのように、スラスラと会話に入ったり、行動することや、考えずに、現実を生きることできないこと。
それに対してENFJが無理矢理、グイグイ外に引っ張るのではなく、最初はただ相手のスタイルを理解しようとする姿勢を見せることが大事だ。

•IとEの軸の違い

IとEの違いでは、二人三脚に例えると分かりやすいのだが、
INFJの左足をFe-Se,右足をNi -Tiとする。
ENFJの左足をFe-Se,右足をNi -Tiとする。

INFJの右足とENFJの左足を結んで、一緒に走るとする。
二人は同じ足を持っているのだが、利き足(外交か内向かの軸)が違う。

INFJは右足、ENFJは左足が利き足で、どうしてもお互いに利き足が、前に行きがち。
だから、結び目の部分で、文字通り足の引っ張り合いになってしまう。

そこで、どちらかが譲れば、尊重すればうまく円滑に走れるが、どちらも気を使わない、または気を使いすぎると逆に、走りが遅くなる。

そこらへんが、ENFJとINFJの関係性をよく表してるだろう。
ENFJとINFJの二人三脚の場合、ENFJが前に進んでINFJがそこについていけない、そこで気を使って、ENFJが無理にINFJに合わせたり、INFJが最後まで我慢して、ゴール直前で二人三脚の権利を放棄して、一人どっかにいくとかね。

互いに我慢して相手に合わせるタイプだから、苛立ちが溜まりやすい。

XNFJはもっと相手と議論というか、自分の意見を正しく伝え、無駄な気遣いに心の労力を割かない関係性、さっぱりとした業務上の付き合いみたいなものを少しは参考にすべき点もある

IとEは互いに対して、フラストレーション、少し悶々とする部分もあるだろうけど。

うまく情緒と理性を効かせて、エンジンとブレーキを操れるもの同士になれれば、誰よりも円滑に物事を進め、居心地が良くはなるだろう。

•Fe -Niの順序で働く優しさ

「INFJとENFJなんてほとんど同じだろ」と思っていた過去の自分を完全否定したい…

と思うほど、初めて見たENFJの感情は真っ直ぐ突き抜けていた。
•INFJの感情(Fe)は、いつもNi -Tiのダムを通過してる。

•ESFJの感情(Fe)は、いつも世間の常識に則った、自身の制限や範囲を理解した上、ダムを通過してる。

•ENFJの感情(Fe)は、ホントに…際限なしだ…!思考のダムがねえ!
他者との区切り、境界なんてない。ある意味、子供のようである。大人にとってのファンタジー。

ENFJの感情のほとんどは、無自覚の内に放たれてる。
まるで彼らは「口を閉じる」というダムが働かないように。

だからこそ、その感情は思いもよらぬ方へ流れたり、良い方向へ、時に悪い方向へ流れることがある。

だから
ENFJは自身のFe-Niのため、望んでもないのに、
「無自覚に相手を“傷つけたり” 」「相手に理不尽に“傷つけられた”」という感覚に苦しむことがあるかもしれない。

私にもそれが少しわかる。望んでもないのに、相手へ“身勝手な親切心”が働き、それが勝手に良い方向へ、相手を連れていくこともあれば、自分を突き落とすこともあった。
けれど、それは決して悪いこと“だけ”ではないよ。

ENFJは自分のした言動に対して、
「良かった、悪かった」って思い込んで、
「善悪」をはっきり付けるかもしれないけど、真っ直ぐな感情が出るっていう感覚自体、ホントに魅力的だと思うよ。
だって、そんな人間なかなかいないから。

みんな集団に属していれば、
誰もが、少し汚い嘘や屁理屈も平気でつけるようにはなれるのに、
建前ばかりなのに、少し自己中になれるのに、

ENFJは、
嘘をつかず、良いも悪いも全部包み隠さず、伝達できるから。
目の前の人間に、真っ直ぐな言葉をぶつけるって簡単に見えて、他の人間にとっては案外難しいことだ。

素直でいれること、それだけで本当に凄いんだよ。

だから素直に他人と関わる上で、
無理に全てを頑張ったり、背負ったりしなくても大丈夫。
ENFJはそのままでいい、自分の真っ直ぐさをもっと誇ってもいい。

ENFJは自由に生きている方が自然と周りの人間が寄ってきて、より楽に生きれると思うから。

ENFJの自己理解を増進する作品

ENFJの人生の課題は、「自己理解」ではないか?

ENFJと関わっていて気づいたのが、ENFJの方がもっと、
自分の思考や感情に疎いということ。

その自分の内面への鈍感さを、ENFJの“良さや健全さ”を引き出していることもあるが、
これから良い人生を長期的に送る際に、ENFJには心のバグを避けるために、もっと自分自身のことをわかって欲しいと思う。

自己理解を進めるためにINFJの私ができることといったら、
こういう記事を書くことしかできない。

しかし、もっと自分の理解を深めるようなコンテンツが増えることで、そういう機会がいろんな人に増えれば良いのだ。

私個人がENFJの自己理解を深められそうだなと思う作品が、

Deoroid become humanの
カール(おじさん)とマーカス(アンドロイド)の会話である。

二人ともINFJと見なされることが多い人物である。

カールがINFJであることにまず間違いはないのだが、
しかし。マーカスはより健全で成長度のあるxNFJだと思う。

おそらくENFJはマーカスへの自己投影がしやすいだろう。

私はカールへの自己投影の方が容易であり、マーカスを感情的にまだ初期段階のXNFJと捉えてる。

二人の発する言葉は、とても馴染み、暖かい空間である。

また約束のネバーランドのエマ(ENFJ)とノーマン(INFJ)も、ENFJとINFJの違いをとても考察しやすいだろう。

ヒロアカの緑谷出久(INFJ)とオールマイト(ENFJ)、鬼滅の刃の炭治郎(ENFJ)など、NFJ的な人物が軸となる漫画アニメも多い。

そういう作品を見て、無意識のうちにスッと入った心地のいい言葉を「なんでだろう?」「なんで自分はこの言葉を良いなと思ったのかな?」って考える時間もENFJにはたまあに必要なんじゃないかな。

おわりに

なんか最後に少し感傷的な文章書いてしまった。
けれど、書けてよかった。

「文章を他人に見られる」ことで、緊張で敬語になったり、
「日記」という感覚でタメ口になったり、
…口調が一致にしてないが、どっちも自分なので仕方ない!

もっと自由に、気を抜いてね。

長く書き過ぎました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

NFJの皆さんが、純粋に心地よく、生きれることを望んでいます。