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こっそり、ブラジルに行ってました

最近、こっそりブラジルに行っていました。ブラジルでの経験をまとめていきます

ブラジルの食べ物・飲み物

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サトウキビジュース

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パステル

パステルとサトウキビジュースは沖縄からの移民が発明して、ブラジルでとても人気になった食べ物らしいです。

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マーケットではさまざまな食材を買うことができます。フルーツやお肉、野菜、お魚、豆など。ほとんどの食材はまとめ買いしかできないので、大量に買わなければなりませんが、スーパーよりもかなり安く食材を手に入れることができます。ストリートマーケットの文化は、パリや台湾、タイでも見たことがあります。イギリスではストリートマーケットはあまり見ませんでした。

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マンジオカとライスと肉

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すき家

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街の至る所で購入することができるココナッツジュースです。ココナッツジュースの価格は120円ぐらいで、味は薄甘い水っていう感じです。ブラジルのスウィーツはとても甘いものばかりなので、僕にとってはココナッツジュースの薄い味はちょうど良いと感じます。ココナッツジュースの殻は普通に道のゴミ箱に捨てることができますが、道に放置されている光景もよく見かけます。

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まあまあ高めのレストランでのブラジル料理(1食2000~3000円)
上の写真は牛肉とパスタ。下の写真は豚肉と豆料理。豚肉はとても柔らかく、まるで別の動物なのかと思えるほど、美味しかったです。

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まとめ
さまざまなブラジル料理を食べてみて感じたことは、ブラジル料理は、カロリーは高めかもしれませんが、塩分は控えめということでした。ブラジル料理はすでに十分美味しいのですが、日本人にとっては、「ケッチャプや醤油をつけたら、もっと美味しくなるかも!」と思ってしまうかもしれません。日本人は塩分の高い食事を摂りすぎているのかも・・・

日系の話

おじいちゃんの話
あんなちゃんのおじいちゃんは日系2世。彼は日本で少年期を過ごしたが、その後の人生のほとんどはブラジルで過ごしています。彼が小さい頃は、家では日本語を話していたため、あまりポルトガル語を話すことはできませんでした。しかし、大学進学や仕事のために、少しずつポルトガル語を学び、大人になってからポルトガル語を話せるようになったそうです。彼のお話によると、日本からブラジルへ移民した人々は当初、2・3年をブラジルで働き、その後日本にすぐ帰るつもりだったそうです。ただ、移住生活はそう簡単にうまくいくわけではなく、利益を出すことは非常に難しく、借金を抱える人も多かったそうです。ただ、次第に農業で成功する人や、会社経営や歯医者や会計士などの専門職で成功する人も増えていったそうです。

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移民が多かった都道府県

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日本からブラジルに渡った人々は、熊本、福岡、沖縄からの移民が多いそうです。そして意外にも北海道からの移民は多かったらしいです。北海道の冬は厳しく北海道が嫌になってしまったのでしょうか。それとも、さらなる刺激を求め、新たな土地で人生を始めたかったのでしょうか。

博物館では、移民の名前を検索するPCがありました。興味本意で、私の苗字、鬼頭を検索してみました。すると、意外にも鬼頭さんを発見! 日本からブラジルに移住した人々の中に、鬼頭さんもいたんですね。鬼頭家は、元々、愛知県に多く住んでいる一族でした。ただ、僕の祖先は愛知県から北海道に移住した家族です。鬼頭という苗字は珍しいで、ブラジルに移住した家族と僕は近い親戚のはずです。僕の祖先は北海道だけでなく、ブラジルにも移住していたんですね。全く知らなかったです。もしかしたら、皆さんの親戚にもブラジルに移住した人はいるかもしれません。

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日系人がブラジルに与えた影響
サンパウロには日系人によってつくられたHIROTAというスーパーが至る所にあります。そして、そこではふりかけや、おたふくソースなどの日本の食材が多く売っています。また、日系企業によるブラジル限定の食品(さくら醤油やYoki)なども販売しています。



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