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『デルタの悲劇』浦賀和宏

短いのにはワケがある。二重三重の企みを秘めた小傑作。【80】

 無論、一つひとつのアイディアに独創性はない。全体の構成も(90年代初頭ならいざ知らず)現代的な観点でみれば決して空前絶後とはいえない。それは、作品の趣向にも同じことがいえ、その結末も別段驚天動地ではない。それでも本作が傑作だといえるのは、そこに“書く”という行為の“業”を秘めているからだ。通常、私は“業”や“愛”、“敬意”といった抽象的且つ叙情的な賛辞は好まないが、本作に限っては、そのように表現するしかない。ここには自嘲によって読者の嗤いを誘うような自己言及性もなければ、ナルシスティックな自己劇化による文学的陶酔も存在しない。ここに存在するものは、まるで実験動物を扱うかのように自らを小説の仕掛けの中に組み入れてしまう計算高い冷徹さである。そして、このメンタリティは島崎藤村や近松秋江に近似している。つまり、本作は極めてフィクショナルな私小説であるのだ。

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