文学と探偵小説に関する覚え書Ⅱ

(承前)


 文学というものは必ずしも《人間を描く》ものではない。確かに《人間を描く》ことを目標とする文学もあり得る。しかし、それは文学の一面であって、全面ではあり得ない。

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 文学を文学として成立させるものは、実験である。よって、文学と呼び得る小説は、凡て実験小説である。しかし、ここでいう実験小説は、単にタイポグラフィックな小説、言葉遊びに徹したような小説、大量の注釈を挿入した小説といった実験らしさを装った小説を指すのではない。小説という実験室の中で、作者の企みが、文体が、物語が、状況が、世界が、引き出し得るその可能性をその極限まで引き出し得たもの、それが真に文学の名に値する。

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 よって、エラリー・クイーンの辿った道は真に文学的である。

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 賢者たちは次のようにいう。「アメリカにおけるエラリー・クイーンはすでに過去の作家だ」と。だからなんだというのか。クイーンが取り組んだ文学的な、あまりにも文学的なその主題を、鋭敏に嗅ぎ取った私たちの感性をなぜ信じようとしないのか。

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 しかし、文学はあくまでも文学に過ぎない。もし私が文学を金科玉条の如く扱っているように見えたのなら、当然それは錯覚である。

(続)

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