平泉が世界遺産で鎌倉が世界遺産じゃない理由

 幕府が置かれた鎌倉は世界遺産じゃないのに、4代で途絶え見どころが中尊寺金色堂しかない平泉が世界遺産である理由がずっとわからなかった。
だが、奥州藤原氏のことを勉強すると、平泉の魅力がわかる。

 後三年合戦に勝利した藤原清衡は、平泉に居を構え、後三年合戦とその前の前九年合戦の死者を敵味方区別なく供養し、争いのない世界を目指すために中尊寺を創建した。金色堂には初代清衡、2代基衡、3代秀衡のミイラが安置されており、3人の身長や血液型(清衡は160cm AB型、基衡は168cm A型、秀衡は164cm AB型)が解明されている、とても貴重な遺産である。
 毛越寺は2代基衡が建立した寺院で、1573年に伽藍は完全焼失したが、創建当時は最大級の規模を誇り、庭園は特別名勝に指定されている。
 無量光院跡は3代秀衡が平等院鳳凰堂を模して建立したと『吾妻鏡』に記されており、発掘調査でもそれを支持する結果となった(毛越寺にも平等院のような建物はあったとされる)。浄土思想の強い平等院を模すのは、極楽浄土を表現したい意思の表れとされる。
 平泉は奥州藤原氏によって約100年に渡り栄華を極め、当時は東北一の都市どころか日本全体でも平安京に次ぐ大都市であった。そして、このような浄土を表した仏教資産は大変価値のあるもので、世界遺産に相応しい。

 ではなぜ、鎌倉は世界遺産じゃないのか。「武家の古都・鎌倉」の構成資産は鶴岡八幡宮、建長寺、円覚寺、鎌倉大仏、法華堂跡など、平泉と同じように寺社などの仏教資産が多くを占めるが、鎌倉幕府の政治的建造物がなく、武家の都としての都市計画や経済生活を示す資産がないため、ICOMOSは不登録とした。
 鎌倉時代は「鎌倉仏教」というように、浄土宗、浄土真宗、臨済宗などの宗派が生まれ、日本の宗教史においてかなり重要な時代ではあるのだが、宗教としての都ではなく、幕府が置かれた武家としての都市で世界遺産を目指す鎌倉は、かなりの苦戦を強いられているようだ。

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