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難病になって気がついたこと

今年の2月末、県内の大学病院で指定難病*1の一つであるSLE(全身性エリテマトーデス)*2との診断を受けた。
3月頭から約1ヶ月の入院を経て、4月から現在に至るまでの約2ヶ月半を自宅療養期間として過ごしている。

*1:指定難病とは
1)発病の機構が明らかでなく、2)治療方法が確立していない、3)希少な疾患であって、4)⻑期の療養を必要とする、5)患者数が本邦において一定の人数(人口の約0.1%程度)に達しないこと、6)客観的な診断基準(またはそれに準ずるもの)が成立している疾患。

難病・指定難病に関するわかりやすい説明は以下を参照
https://snabi.jp/article/45#9sglu

*2:SLE(全身性エリテマトーデス)とは

本来は細菌やウイルスなどから自分自身を守る役割を果たす免疫系が自分の細胞や組織を攻撃するようになり、全身にさまざまな炎症を引き起こす自己免疫疾患。
詳細は以下を参照
http://www.nanbyou.or.jp/entry/53

先に言っておくと、今現在は治療がうまくいっており、年初〜入院時に苦しめられた関節痛や発熱といった症状も一切なく、いわゆる「普通」の人と同じような生活が送れている。
数十年前までは5年生存率が50%台と低い病気だったが、医学の進歩により現在その率は95%を超えている。
なので、今日や明日いきなり死ぬ可能性は同じ年代のSLEではない人たちと比べてほとんど変わらない。
ただ、SLEは寛解(症状が落ち着くこと)と再燃(症状が悪化・進行すること)を繰り返す病気だ。
次にいつ再燃が起き、どんな症状が身体のどこに出て結果どうなるかは全くわからない。
そのため主に薬で病気をコントロールし、薬の副作用をうまくやり過ごしながら、一生付き合っていくことになる。

「難病になった」というと、落ち込んでいたり、毎日不安や恐怖に苛まれていたりするのではと思われるかもしれない。
でも不思議なことに、私はこの病気の診断を受けてから今現在まで、正直落ちこんだことがない。
それどころか、あまり信じてもらえないかもしれないけど、私は今とても幸せだ。
病気になる前よりも心はとても穏やかで、日々の小さな出来事にも生きている喜びを感じる。
いろんなことが起こる私の人生を心の底からまるっと愛せるようになった。
私は、この病気になったことを感謝している。

病気になったことでやっと気づけた大切なことがいくつかあった。
冗長で下手くそな文章ではあるけれど、以下にまとめてみた。

① 自分が今日生きていてよかったと思えるように、毎日を生きたい

人は心臓が止まればあっさりと死んでしまうし、でも案外死なない。

昨年末、10ヶ月の姪が乳幼児突然死症候群で亡くなった。
生まれてから亡くなる前日まで大きな病気にかかることもなく、元気だった。ほっぺがぷくぷくで、私に似てよく食べる可愛い子だった。
でもある日の朝、気がついたらもう息をしていなかったそうだ。
自分より小さい子どもがなんの前触れもなく突然亡くなってしまうことなど全く想像もしていなかったから、とてもショックだった。
姪が待つ病院に向かうまでの間、電車の中で人目も憚らずびゅうびゅう泣いた。

これまで私は、自分が80歳くらいまで生きることを漠然と、そして当たり前に信じていた。
たしかに平均寿命はどんどん伸びているし、人生100年時代と言われるようになって久しい。
だけど、姪の死や自分が病気になったことによって、それは幻想に過ぎないということを知った。
人は心臓が止まれば死ぬ。次の瞬間車が突っ込んできたり、地震で屋根が落ちてきたり、脳梗塞や心臓発作が起こって死ぬ可能性もある。全然ある。

逆に、人間案外しぶといものだなとも思う。
年明けから入院期間中、「あ、もう私死ぬかもしれない」と思ったことが3回あった。
胸・腰・全身の関節が痛く更に高熱があって自宅のベットから動けなかった夜。胸膜炎によって呼吸をする毎に胸に経験したことのない激痛が走り、このまま呼吸ができなくなるんじゃないかと思った時。入院中朝起きてトイレに行ったら急な目眩と動悸に襲われて脂汗を流しながらぶっ倒れかけた時。
しかし、どの時も私は意識すら失っておらず、今も生きている。

人は心臓が止まったら死ぬし、止まらなかったら死なないのであり、心臓が止まるのは次の瞬間かもしれないし、もっとずっと先かもしれない。
その時がいつになるかは、自分では決められない。
そんな当たり前過ぎることに気がついた時、「ああ、今日一日を生きられてよかったと思えるように、後悔がないように、毎日を過ごしたい」と心から思った。
他人がどう思うかは重要ではなく、自分が今日を過ごせてよかったと納得のいく一日を過ごしたい。
明日死んでも何にも後悔がない、そんな一日一日を積み重ねて生きていたい。

② 全ての人には生きている意味や価値があるということ

SLEになったことで落ちこむかと思いきや、むしろ幸せを感じている自分に、自分でも変な感じがしていた。

なぜ私は幸せを感じているのか。
その理由を考えてみると、SLEになったことを通じて、「全ての人には生きている意味や価値がある」という確信を得られたからだと気がついた。

先ほど触れた姪の死があるからこそ、私は同じ年代の子どもやその親御さんが子育てをするとき、乳幼児突然死症候群の危険性やその予防法について自分の経験に基づいて説明をすることができる。
また、難病患者の治療データは研究開発に役立てられ、未来の難病患者を救う可能性がある。
そう考えると、姪が幼くして亡くなったこと、私のこの身体がSLEという病気になったこと、ひいては私が私という存在であることただそれだけで誰かの命を救うことができる。それだけの価値があるということに気がついた。
これは姪やSLEという病気になった私だけに当てはまる話ではなく、一般化できる話だと思う。

生きている中では誰の身にも嬉しいこと楽しいことだけでなく、辛いことや思いもよらぬことが起こる。
しんどいときや辛いときには「自分が生きる意味ってなんだろう?」とか「自分には生きる価値があるんだろうか?」と考えてしまうこともあると思う。
自分の存在価値がわからなくなって自分はなんの役にも立っていないとか迷惑だと思う人もいるかもしれない。
でも、そんな経験をしたあなたが今この時に存在していることそれ自体が、誰かにとっての希望になったり勇気付ける材料になったり、命を救ったりするかもしれない。
ただそれだけで、一人一人の生には立派な価値があるのだ。


③私の一番の味方は私

SLEは前述したとおり自己免疫疾患という病気の一種で、通常であれば体の外部から侵入してきたウイルスを撃退するはずのシステムが誤って自分自身を攻撃してしまうことにより、発熱や関節痛・臓器障害などのさまざまな症状を引き起こす病気である。

この病気の説明を医師から聞いた時、自分の身体を守るはずのシステムが間違って自分自身を攻撃してしまうというドジっぷり(?)に、なぜか何ともいえぬ愛しさを覚えた。

また、神様か何かが「自分や他の物事に対する向き合い方について、これを機にもう一度考え直してみたら?」と問いかけてくれているのかもしれないとも思った。

心身の変化に敏感になって休みが必要と感じたときにはきちんと休むこと、自分にとって大切なものや時間・関係性を大事に扱うこと。

これまでうまくできていなかったそんな一つ一つを、これからは自分が自分の一番のサポーターとして率先して行っていきたい。

自分の人生の主役は、他の誰でもなく自分だから。

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SLEの経過や受けた治療、考えたことなどは今後も随時noteにまとめていこうと思う。

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長文をお読みいただき、ありがとうございました。
何かあればお気軽にコメントしてください。

#SLE #全身性エリテマトーデス #難病 #指定難病

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