JAZZMASTERを手に取るまで①

フットサル終わりの足の痙攣に近い筋肉痛が早くも来ており眠るに寝付けないのでコラムのような自分のちょっとした自分の話を書こうと思った。
ちなみにこの文章は最後で完結に至らなかった。
何故なら明日のためにもう寝ないとと言う危機感のため、である。(最後描き終わりの後冒頭にやってきた)

自分は16歳の高校一年の時に初めてライブハウスを訪れた。
それまではCDでBUMP OF CHIKENやかじりたての洋楽を聴いたりしていた。

その日見た光景に圧倒されたのは今の自分に通づる道の始まりの1日目だった。

自分も楽器をやりたくなった。
実はドラムの前に一瞬だけギターを手に取った時がある。
初心者セットのやつを当時学校にバレないように美容室でアシスタントをして稼いだ金で島村楽器で買った。

確かグリーンデイのバンドスコアをちょっとなぞって、諦めた。
理由は弦を抑える指が痛いから、そしてパワーコードとオープンコードの違いが分からなかった。

その初心者セットは初心者の心を砕いて、ギターがめっちゃ沿って、マジで弾けなくなってそっと粗大ゴミに出すまでが「初心者セット」だった。
俺の場合は。

その数年後20歳手前にギターをやっぱりやってみたいと思い中古楽器屋ですんげー謎の紫色のレスポールを買った。
すごく見た目が黄金虫のようなギンギンの。

色んな人にダサすぎと言われ、中古屋で8000円で売った。

そしてあれは東日本大震災の少し後の頃だろうか。
当時駅前のアティは営業できず、イオンタウンに島村楽器が移転営業していた頃だ。

自分はプラプラと眺めていた。
その時の記憶を辿ると、1番欲しいギターはギブソンのSG、ポールウェラーが使ってるやつが欲しかった。あれ何十万もするよね。

でもそんなの買えないけど、その次になんとなく「太い音が出るギターが欲しい」ってのが1番にあった。

なんのこっちゃすぎてアレだが当時は楽器屋の店員が「何をお探しですか?」って聞かれると「太い音の出るギターが欲しくて…」と悩ましげに玄人みたいな感じで言っていた。ググレカス。

そんな時に店員にJAZZMASTERを勧められる。
色んな説明は忘れたが、ルックスがやけに好みだった。

そしてついこないだまで使っていたホワイトのジャズマスを買った。fender japanの。jm66b。

その時はまだjazzmasterの歴史やなんたるかは知らなかったが、

椎名林檎の旦那が無罪モラトリアムの時に使用、ナンバガの田淵ひさ子が使用、そこから少し洋楽に飛んでソニックユースやダイナソーjrなど少しずつ掘っていった。あとはノーベンバーズとかかな。

その過程でそのルーツや弦落ちする問題、トレモロ取れやすい問題、ブリッジはムスタングで、ばずすとっぱー、後はスイッチを片方ボリュームを0にしてカチカチとやるとなんかいかちい感じのやつができるとか、いっぱいGoogle先生から学んだ。

知れば知るほどjazzmasterの不器用なのに(ジャズを目的に作ったのに結局サーフ系のミュージシャンが安価を理由に使い始めそこで火がつく過程とか、作りのこととか)魅力が詰まりまくってることに愛着が湧いた。

ライブではほぼ使うことはなかったが、スタジオで1人ニルバーナや1人オルタナティブをやって極まっていたあの頃は忘れられない。

JAZZMASTERを買ったことで聴くことのないジャンルを案内された気がする。それまではパンクロックやラップコア、ミクスチャー、ハードロックがメインで調べていた洋楽に、少し浮遊感のあるオルタナティブ(この区分け喉のへんを指しているかは察して欲しい)、そこからちょっとジリジリとするグランジを調べたり、シューゲイザーを調べたり聴いてみた。

また、そこから数年後佐藤漂白剤を福島市のイベントで対バンした時は度肝を抜かれたと同時に最高にJAZZMASTERしてるバンドだとなった。

1番はファズを踏んで6弦を1フレットから上げて「グモォーーー!」とするあのプレイングは最高にカッコよかった。

ナンバーガールの田淵ひさ子がOMOIDE IN MY HEADをラストでやる時にもイントロでグモォー!!とやったあと!ハイフレット1弦をかき鳴らしまるで悲鳴のようなサウンドも最高にカッコいい。

とこのあたりでそろそろ寝ないと明日起きれなさそうなのでおやすみなさい。

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