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ゴジラKOMのレビュー

 さて、劇場まで見に行ってきました、この映画。久々のゴジラ映画ということで、しかもキングギドラやモスラ、ラドンなど有名な怪獣が総出演ということで、ある程度の期待もして見に行ったのだが・・・

結果から言うと、期待外れだった・・・


 1.人間パートがあまりにクソ過ぎる
 もはやこれ以上言うことはないだろうか。まずは女科学者が出てくるのだが、これが途中で「人間は地球のガンなので、怪獣ワクチンで駆逐する!」みたいなことを言い出す。この時に、一緒に見に行った友人が「またこれかよ・・・」とつぶやいていたのが一番印象的でした。
 90年代くらいに環境保護ブームがあって、その時にこんな環境論をぶちまける悪役は出てきたが、今さらそれをやるのは無理があるだろう。
 何より一番クソなのは、この女科学者は「人類を駆逐する」なんていう割には自分の娘が死にそうになったら助けに行ったりと、悪役としても善役としても非常に中途半端なところだ。バイオ5のウェスカーも最後に環境論みたいなことを言っていたが、少なくとも悪役としては女社長を使い捨てにしたりなど、一応悪役には徹していた。この女科学者にはそれすらない。

 この女科学者は環境テロリストと手を組むのだが、このテロリストというのが特に大した働きをしない。ぶっちゃけいてもいなくてもそこまで話の大筋に絡んでこないので、要らなかったのではないだろうか。
 これは一緒に見に行った友人たちと話しているときに出たことだが、テロリストなど出さずとも、モナークの内部分裂で十分に説得力があるし、その方が話もスッキリすると思う。
 例えば、モナークの中で「怪獣抹殺派」と「怪獣保護派」で分裂して、抹殺派は同じような思想の米軍と手を組んでキングギドラを復活させてゴジラ抹殺を企む。しかし保護派は守護者モスラを復活させて、怪獣と人間の共存を探っていく。
 明確にどっちが悪役、ということはできないが、そうやってどっちにも意見やす長がある、とした方がむしろポリコレ的にも配慮できるし、いいのではないだろうか。

 あと、最後の場面で渡辺謙扮した芹沢博士がゴジラに原爆を宅急便するシーンがあるのだが、これも不自然と思った。
 黒人の女大佐がいるのだから、そいつが持っていくとばかり思っていた。むしろ軍人の方が武器の使用になれているのだし、万が一のトラブルにも対処できると思われるからだ。
 そもそも世界的な怪獣の権威である科学者である芹沢は、替えのきかない存在なのに、そんな簡単に使い捨てていいのだろうか・・・

 2.設定が破綻している箇所がチラホラ・・・
 これも酷いとしか言いようがない。今回の映画、ゴジラが守護者になっている。ゴジラは破壊者であって欲しいし、守護者ならモスラいるんだからモスラ出せよ・・・あと、モスラがただ単にデッカイ蛾にしか見えないのが残念だった。モスラは個人的なイメージで言うと妖精とか精霊とか、そんな感じだと思っていた、というよりこの映画を見てそうだと気づかされた。このあたりは鑑賞者個人の感性の話なので必ずしも絶対ではないが、何にせよ日本人的な妖怪や精霊といった微妙な感覚までハリウッドは再現できたかどうか、微妙なところだろう。
 これは1の話ともかぶるのだが、KOMでは途中でムー大陸の遺跡が出てくる。まあ、これ自体は別にいい。怪獣映画はこういうオカルトもありき、なので。でも、だったらムー大陸の設定は最初から出しても良かったのではないか。例えば怪獣を操る装置が出てくるが、あれはムー大陸の技術が使われていて、それを現代の技術で解析して何とか使えるようにした、とすればこの装置にも説得力が出たと思うのだが・・・何よりもこのムー大陸関係で一番の突っ込みどころは、遺跡の壁にカタカナで「ゴジラ」と書かれているところである。あまりにチープで安っぽい演出と映像に、思わずずっこけた。観光客の落書きじゃないんだから、一応ムー文字とかにしてくんねえかな・・・多分スタッフは「日本のゴジラ、リスペクトしてます!」ということを表現したかったと思われるが、これでは「馬鹿にしてるのかな?」と思われても仕方ない。だいたい、ひらがな、カタカナは漢字を崩したもので、平安時代に発明された文字なのは日本なら常識。ちゃんとした日本の知識や見識がある人間が監修に入ったりはしなかったのだろうか。
 あとはキングギドラとゴジラの最終決戦で、キングギドラが変電所か何かの施設から電力を吸収するシーンがある。しかし、この場所は前作で廃墟と化した町。なぜ廃墟と化した町のど真ん中にある施設に、これだけの電力が通っているのだろうか。だったら復興しかけた町、という設定にして、この場所を中心に描写した方が良かったのではないだろうか。よくある話だが、世界中を舞台にした話というのは、視点が散ってシナリオが散漫になりがちだ。だからキングなどは「一つの町」など、舞台を限定して、描写を密にする。
 最後に、ゴジラが勝って王に君臨したところで、世界中から怪獣が集まってゴジラにひれ伏すシーンがある。これ自体は絵面だけはいいのだが、その中にムートーさんが混じっているのはどういうことだろうか? ムートーはゴジラに寄生して繁殖する、ゴジラの天敵ではなかったか。前作で自分たちで作った怪獣の設定を忘れてしまったのだろうか? ここもこのせいで疑問ばかり湧いて全然映像に入っていけなかった。あと、このシーンでラドンもいたのだが、ラドンはこの前のシーンでモスラに胸を貫かれて倒れている。
 ではこのゴジラ王の前にいるラドンは何なのだろうか? 復活したのか、別個体なのか・・・誰も突っ込まないなか、映画だけは終わってしまう・・・
 そして最後、スタッフロールが流れて、ようやくこの映画が終わる。しかしここでも新聞記事という体裁でいろんな後日談が語られる。その中に「怪獣のフンが燃料に?!」などの記事があった。今までさんざん怪獣の脅威を描いておいて、ちょっと怪獣にもいいところありますよ、みたいに描くのはどうなのだろうか。
 結局、最後まで怪獣という存在が脅威なのか、守護者なのか、何もかも曖昧になってしまっている。映画を二作も作って何も結論を出せていない。あの装置使って操ればいいんかね? もう人類のテクノロジー最強じゃん・・・


 3.原作の破壊が酷い
 まずはオキシジェン・デストロイヤーの扱い。米軍はすでにこの兵器を開発・実装しているようで、すぐさまゴジラに向かって撃ち込む。しかしゴジラはほぼ無傷・・・ODってその程度の兵器だったんですかね・・・? あと、ODを使うと白骨化したと思うけど、特に魚などが白骨化する様子もなし。これはゴジラシリーズ見てないと何が何だか意味不明なやり取りではないだろうか。「ゴジラにきかなかった」は脚本の都合上仕方なかったかもしれないが、だったらODの威力や恐怖くらいはしっかり描写してもらいたいものだ。
 あとは、先にも述べた、芹沢博士が原爆をゴジラに宅急便するシーンである。結局のところ、この映画では原爆を恐怖や脅威ではなく、「ゴジラのランチ」として描いていることになる。さらにゴジラが破壊者ならともかく、結局は守護者なら、原爆の恐怖もへったくれもないのではないか。
 アメ公に原爆の恐怖なんて分からないのか・・・でもフォールアウトシリーズなどを見てると、十分に恐怖してると思うんだけどなぁ・・・何かが足りない、そう、何かが・・・
 あと、登場人物が「ゴジラとモスラは仲良し!」と言っていた。ゴジラ映画をそこまで見てきたわけではないが、「ゴジラとモスラが仲良し」は聞いたことがない話なんだが・・・実際にはそんな作品もあったかもしれないが、基本的には守護神モスラvs破壊神ゴジラ、という構図が主体だったのではないだろうか。けものフレンズかと思ったぞ。いっそのこと怪獣フレンズにでもしてまえや。

 4.ポリコレ
 結局はこれなんだよなぁ・・・テロリストが研究員を頭を打ちぬいても血すらでない、そんな状態で怪獣の恐怖や破壊が描けるとでも思っているのかね? 
 それではやはりダメで、怪獣くらいはポリコレを無視して作ってもいいのではないか。
 結局のところ、KOMって大人向けだと突っ込みでまくるし子供は怪獣プロレスしか面白くないし、ゴジラファンもゴジラ初心者もどっちも入り込めない、中途半端な映画になってると思う。
 3部作ということだが、そうしたいなら前作の監督をそのまま続投させた方がよほど良かったのではないか。前作からの一貫性がなくなっているような気がする。このままだと次回作には期待できない。というか、もう次回作あるの?

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