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初めて付き合ったのは2番目に好きなひとだった


 「とんがりボウシと魔法の365日」というゲームがある。小学生の頃、同級生たちが、学校終わりにおいでよどうぶつの森を遊んでいるなか、その輪に入れず、狂ったように私が没頭していたゲームだった。

 2008年に発売されたニンテンドーDS専用ゲームで、主人公(プレイヤー)がなかまたちと魔法学校で魔法を学び、魔法が絡んだり、伝説が絡んだ事件を解決したり、空の綺麗な海で屋台ラーメンを食べたり、お化け屋敷で秘密の部屋を探したり、アルバイトをしたり、着飾ったり、無口で静謐なタクシー運転手の運転で孤島に行ったりできた。

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 当時、時を同じくして私の周りで流行っていた、おいでよどうぶつの森とどこか雰囲気は似ていて、この世界ではどうぶつや電子機械がモチーフの住人が住んでいて、コミュニケーションをとったりすることもできたし、一緒に授業を受けたりして、仲間意識を強固に育むこともできた。

 特に、魔法学校というシステムが、私にとっては宝物庫の扉を開けたような気分にさせる最高のゲームで、授業毎に新しく覚える魔法の呪文やアイテムについてを必死に会得した。楽しかった。まほうつかいというものが、とても好きだったのだろう。

 校長先生がロマンチックだった。昼間は明るく暖かい優しい太陽の姿をしていて、夜になるとミステリアスでやわらかいアンニュイな目をした月の姿になる。


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 校長先生は、普段は学校というよりは、「とう」と呼ばれる塔にいて、そこには「むしのしょ」「さかなのしょ」という生きた図鑑が鎖に繋がれていた。むしのしょ、さかなのしょ、は、捕まえた虫や魚を与えることで、そのサイズに準じてレアなアイテムをくれたりした。
「むしのしょ」は少し乱暴で、しかし優しさが滲む、目が月の姿の校長先生に似ていた。「さかなのしょ」は堅実で物腰の柔らかく、彼も目が太陽の姿の校長先生に似ていた。わたしは、むしのしょがときどき見せてくれる優しさが、たまらなく好きで、ずっとどきどきしていた。たまにアクアマリンをくれるむしのしょを、愛しく思っていた。今思えば、好きだったのはむしのしょのことだったのかもしれない。


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 このゲームには、これほど魅力あふれるキャラクターやシステムに留まらず、「恋人」を作ることができた。ともだちから、親友へ、そして恋人になることが可能で、「こいびとみさき」と呼ばれるロマンチックでちょっと怪しい岬が海の向こうにあった。そこで決まった時間に鳴る鐘の音をきくと、意中の相手と結ばれるというのだ。

 私にも、好きな相手がいた。ソルベという少年だった。名の通りソルベのように爽やかな少年で、当時親友だったカルシウムという少年の間で私の心は揺れていた。カルシウムは優しくてかわいらしい男の子だったので、そばにいてあげたいと思っていた。ソルベは爽やかで優しくて、私にとってはこんなひとになりたいとさえ思うくらいに、憧れているひとだったので、なんだかどちらを好きになっても、心がカラカラになってしまう予感がずっとしていた。小学生のくせに、ゲームのなかでませた恋をしていた。

 当時わたしは、攻略本を読んだりしたりすることはしなかった。というのも、攻略本などがこの世に存在していることさえ知らなかったので、いつもゲームは手探りだった。だからもちろん、告白の仕方も知らなかった。あなたが好きです、ということを、言う方法を知らなかった。だから常にドキドキハラハラで、ソルベと海に行ったりラーメンを食べたり、洞窟で釣りをしたりすることだけが、好きを伝える手段だった。

 そんなある日、純情な小学生わたなべ少女に思いもよらぬことが起きる。
  寮の屋上で親友のカルシウムとお茶をしていたときのことだ。なんと彼は、頭上にやたらめったらピンク色のデカデカしたハートを飛ばしてきたと思えば、つぎに私に「恋人になって欲しい」という旨の告白をなさった。もうこのときのこと、忘れられないんだな、言葉がおかしくなっちまいそうなくらい、ショッキングな出来事だったんだわね。

 私は、彼の告白を断るか、断らないかの選択画面のまま、一夜を明かした。寝る前にベッドでちょっとゲームするのが日課だったので、枕に顔をどすんとのせて、DSを食い入るみたいに見つめて、長い時間考えた末寝ていた。朝起きたら、その画面のままだった。充電機を差しっぱなしでよかったと思う。

 私はたいへん、たいへん迷った。なにせ、この頃から優柔不断で、自分で何も決めれない意思の弱い性格は確立していた。カルシウムはかわいい男だ。やさしくて……なによりかわいい。いいや、本当にかわいい男なんだ、カルシウムは。声もかわいい。仕草もかわいい。やさしいし……今思えば優しいとかわいいしか出てこない身分で、告白を、私は受け入れた。そして、晴れて私は2番目に好きなひとと恋人になったのだった。

 その時は、衝動的でもあったし、しかし苦渋の決断でもあったはずなのに、その告白を受けて恋人になってから、私の頭のなかはソルベでいっぱいだった。もうソルベのこと以外考えられなくなり、しかし、恋人のカルシウムに非常に申し訳ない気持ちで溢れ、情緒がめちゃくちゃだった。

 ゲームをするのも怖かった。でも私は一人前の魔法使いになるために、毎日学校に通った。むしのしょに、虫をたくさん食わせた。あいつはいつも裏切らず私を受け入れたし、虫も受け入れたし、お礼のアイテムも絶対にくれた。しかしカルシウムは親友ではなくなった、あいつばかりが私の中で違う生き物になった。

 親友であってかわいい男でやさしいカルシウムを、私は、自らの選択で違う生き物に変えてしまったのだった……。
 悔やんでも悔やみきれないとか、そういう言葉じゃあもう、私のあの絶望は語れない。言うなればギリシア神話、オルペウスの冥府下りの際、妻の顔を思わずみてしまった、次の瞬間くらいの絶望に等しい。知らんけど。

 相変わらずソルベは爽やかに私と会話をしてくれる。こいつも変わらない。私がカルシウムと恋人になったとて、ソルベのなかで私と言う存在はさほど別の意味や、実態、生き物になったりするわけではない。当たり前だ。私は幼いゆえに、その場の決断を誤った。そして、絶望した。2番目に好きなひとだった、とさえカルシウムに対しての認識を改めるようになって、馬鹿ほど絶望した。

 そしてあろうことか、わたしはソルベに自ら告白をした。ソルベは「おまえにはこいびとがいるだろう」と至極真っ当な理由を述べて私の告白を断った。更に絶望した。なにをしているのだろう私は。ばかやろう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と当時の私のほっぺたをしっぱたいてやりたい。

 全てに申し訳なくなった。ソルベにも、カルシウムにも、なぜかむしのしょにも申し訳なくなった。変わったのは私だけだったのだと思う。

 いつだったか、ドラマか映画か、覚えていないが、「2番目に好きな人と結婚した方がうまくいく」という謎理論を耳に挟んだ。

 そのころ、とっくに、いつのまにかゲームをやめていた私だったが、ふとカルシウムのあの声が脳裏でこだました。思わず「アアッ!」と声が出た。初めて付き合った人が2番目に好きだったひとであることを思い出して、また馬鹿ほど絶望した。なぜならあれ以来、なにかに恋することができない。

 ひとであってもものであっても音楽であっても映像であっても、どれかに恋ができない。私は好きに優劣をつけることを恐れて、なにかに執着することもできなくなった。ただ、好きか嫌いかの境目を揺蕩いながら、自分が廃れていく感覚を感じ続けている。なにかを好きになりきるまえに、手を離す術を身に付けた。おかげで、私はなにものにもなれない。突出して、なにかに優れるものもない。きっと、カルシウムとソルベという男に恋した幼い頃の私の絶望が、今も生きているのだ。
 もうめちゃくちゃダヨォ……。

 そして時を経て、ここ半年の話だ。


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 買っちゃった。 


とんがりボウシと魔法の365にち - 任天堂
https://www.nintendo.co.jp/ds/software/ynnj/ 
魔法の世界の住人たち - KONAMI
https://www.konami.com/games/tongari-boushi-machi/character/page01.htmlhttps://www.konami.com/games/tongari-boushi-machi/character/page01.html

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