見出し画像

質的研究における厳密性と倫理

この記事は,理科教育・科学教育を専門とする研究者で行っている「質的研究勉強会」で発表した内容です。また,理科教育Advent Calendar 2022の24日目の記事でもあります。

質的研究勉強会では『質的研究法:その理論と方法ー健康・社会科学分野における展開と展望ー』をテキストにして,各章を担当者が発表し,それをもとに参加者で議論をしています。参加者は,質的研究を主に行っている研究者だけではなく,量的研究を主に行っている参加者もいます(実はこちらの方が多い)。それぞれの参加者の主義(実証主義,解釈主義など)にもとづいて活発な意見交換がなされています。
この記事は,テキストの「第2章 質的研究における厳密性と倫理」の内容をまとめたものです。

概要(時間のない人向けに)

この章の概要です。
お忙しい方はここの概要だけでも読んでくださるとうれしいです。

質的研究者は,研究をする上で「厳密性を高めなければいけない!」という思いを抱きます。これは客観性を重視する実証主義科学からの圧力によるものです。しかし,客観性よりも主観性を重視することこそが質的研究の醍醐味(そして強み)ですので,実証主義科学と同じ基準で判断することは不可能です。そうは言っても,質的研究でも研究の信頼性や妥当性を拒否する態度はとってはいけません。努力はするべきです。
質的研究における基準:信憑性,外挿可能性,確実性,確認可能性
厳密性を高める方法:方法論の選択,長い関わりとフィールドワーク,分厚い記述,解釈とエビデンス,再帰性,トライアンギュレーション,メンバーチェック,ピアレビュー,監査証跡

主観性が重視されると言うと,なんでもありのように感じます(「それってあなたの感想ですよね」と言われてしまう)。質的研究が有意義であるためには,研究の成果が「自分たちの理解を広げ,より確かな情報に基づく,より人間的な考え方や行動を促すような,何か意味のあるものであること」が求められます。研究成果の意味するものであったり,波及効果についても質的研究者は考える責任があります。

このような質的研究の厳密性の捉え方は,質的研究の発展や進化によって今後変わっていく可能性があります。むしろ変化させていくことで,質的研究自体が盛り上がって発展します。質的研究には多様なアプローチがありますが(本当にたくさんある!),自分の研究に相応しいアプローチを選択していく必要があります。

質的研究の倫理については,研究参加者が危害を加えられたり,搾取されたりすることが決してないようにしなければなりません。研究者が研究成果のためだけに,研究を進めようとするとこのようなことが起こりえます。
もう一点,質的研究は研究者と参加者とが密接にかかわるアプローチが多いですが,研究期間中に状況が刻一刻と変わっていくことが予想されます。何らかの害が生じた場合の対応をあらかじめ準備しておくことが必要です。
倫理的配慮の方法:インフォームドコンセント,守秘,リスクと危害


質的研究における厳密性

実証主義科学では,「信頼性」「妥当性」の基準で判断がされます。
(「信頼性」→結果の安定性(再現性),「妥当性」→結果が真の結果である程度)
例えば,学校の授業で考えれば,教師が変われば全く違う授業になりえますし,学習者集団が変われば全く違う授業になりえます(今日は授業がどうしてかうまくいったな!昨日は違うクラスではだめだったけど・・・と思うことがありますよね)。ですので,授業で全く同じ結果を再現することは不可能です。質的研究で授業研究をしたときに,再現性の基準ではやはり判断や評価ができません。

質的研究における基準

質的研究にあった基準が必要です。以下の4つが提案されています。

  1. 信憑性:記述されたデータと解釈との間に食い違いはないか,記述自体が信用できるか

  2. 外挿可能性:研究結果が,それが実施された文脈以外の文脈における,ものの見方の理解にどれほど役に立つか

  3. 確実性:時間が経っても,研究者や方法が異なっても,一貫した研究成果が得られるか

  4. 確認可能性:研究結果が研究者のバイアス,意図,興味,視点ではなく,研究参加者(対象者)の経験や視点,研究が行われた条件を反映している度合い

ここで注意が必要なのは4つの基準すべて満たしていなければ,研究として認められないということではありません。実証主義科学の「信頼性」「妥当性」のようにガチガチな規則とみなしてはいけません。
4つの基準をガチガチな規則としてみなせば,質的研究の発展が見込めなくなります。規則に縛られ,挑戦的な研究や解釈が行われなくなりますし,そのような挑戦的な研究の価値が認められなくなります。
4つの基準を目安程度のものとし,(しかし,その基準を大事にしながら)挑戦的な研究を目指していきたいものです。


厳密性を高める方法

質的研究において厳密性を高める方法について,「研究デザインとプロセスに関わる方法」と「研究参加者,同僚研究者,外部者を含めた方法」の2つの側面から説明をします。

研究デザインとプロセスに関わる方法

研究デザインとプロセスに関わる方法は以下の6つが提案されています。

1.方法論の選択
方法論的枠組みを明確に決めることによって,研究方法の選択に強固な基盤を与えることです(自分の研究方法の理論的な基盤をしっかりともつことです,何となくではだめです)。論文や報告書で,方法論的枠組みと選択した方法を詳細に説明することで,それらが適応していることを読者に示すことが大切です。
※方法論的枠組みの詳細はテキスト『質的研究法:その理論と方法ー健康・社会科学分野における展開と展望ー』の第1章に書かれています。

2.長い関わりとフィードバック
フィールドに関わる期間が長ければ長いほど,より正確なデータが得られる可能性が高まります
例えば,授業を1回観に行くことと,1年間継続して同じ教室に観に行くことでは,得られるデータの量も質も異なります。また,分析者の解釈の質にも影響します。分析者が教室で観察した現象が,たまたま起こったものなのか,それともいつも起きているものなのかの判断ができるようになります(1回授業を観に行っただけでは判断ができないことも判断できるようになります)。

3.分厚い記述
研究の構想,研究参加者(対象者はどのような人なのか),方法,研究プロセスを詳細に記述することです。詳細に記述することで,それを読んだ読者が,その研究を再現できるようになります(質的研究では研究成果に再現性を求めずに,研究方法に再現性を求めます)。どんな些細な情報であったとしても,必要ないと判断せずに,できるだけ詳しく記述することが大切です。

4.解釈とエビデンス
質的研究では,対象者の語ったことばを解釈してくことが行われます。その際に,対象者のことばをそのまま引用して示すことが必要です。たとえ言い間違いがあったとしても,そのまま引用します。研究者のことばで言い換えること,きれいな文章に修正することはしてはいけません。

5.再帰性
研究者のあり方(研究者はどのような人間か)が研究結果に影響することを認め,批判的に自己省察をすることです。研究結果に影響を与えるような,研究者の経験や信念,ヒストリーを論文や報告書に記述します。
これをバイアスの源として扱うのではなく,研究のリソースとして扱うことが推奨されます。
論文や報告書では,最後に「研究の限界」として自己省察の内容を記述すると良いと思います。

6.トライアンギュレーション
1つの情報や側面から分析・解釈をするのではなく,複数の情報源からの情報を併せて解釈することです(日常生活でも生きていくうえでやっていると思います)。信憑性を高めることにつながります。
トライアンギュレーションはいろいろな種類があります。方法トライアンギュレーション,理論トライアンギュレーション,データトライアンギュレーション,研究者トライアンギュレーション,学際的トライアンギュレーションです。詳しい説明は以下です。

トライアンギュレーションの種類

トライアンギュレーションは,膨大な時間と費用がかかります。また,結果が一致しなくても,それぞれが無意味という訳ではありません。トライアンギュレーションを行った結果は,収束,補完的,不一致の3つがかんがえられます。以下です。

トライアンギュレーションの結果


研究参加者,同僚研究者,外部者を含めた方法

研究参加者,同僚研究者,外部者を含めた方法は3つ提案されています。

1.メンバーチェック
メンバーとは研究参加者(対象者)のことをさしていて,研究者が対象者に解釈内容を確認することです。研究者が勝手に解釈をするのではなく,それが現実として間違っていないかを対象者に確認してもらいます。また,対象者にとって,分析してほしくないデータや公開してほしくないデータの有無を確認し,あればそれを削除することも大切です。
難しいのは,対象者が以前に語ったことを翻すことがあることです。どうして以前と気持ちや考えが変わったのかをしっかり確認すること(研究者と対象者の対話が重要です)も大切になります。その上で,以前に取得したデータをどうするか判断をします。
悩ましいのは,対象者の意見を何でも受け入れてしまってはだめということです。どこまで受け入れて,どこまでは研究者の分析を採用するのか,誰の解釈がより尊重されるべきなのか…。研究者は悩みながら,研究を進めていくことになります。

2.ピアレビュー
研究には直接的には関わりはない人で,研究内容や質的研究の方法に一般的な理解のある人に,分析内容をチェックしてもらうことです。
研究者ごとにバックグラウンドが異なるため,なかなか合意形成は難しいです。確認してもらう際には,研究の価値について判断してもらうのではなく(〇か×で研究を判断してもらうのではなく),データが正しく解釈に反映されているか,説得力がある記述をしているか,読者の納得のいく記述になっているかどうかを評価してもらうことが推奨されています。

3.監査証跡
研究に関わりのない人に監査してもらうことです。
研究のプロセスが一貫していて論理的であるかどうか評価をしてもらいます。論文の査読審査のようにです。


「研究デザインとプロセスに関わる方法」6つと「研究参加者,同僚研究者,外部者を含めた方法」3つ,説明をしました。
厳密性を高めるために少なくとも2つ以上の方法を用いることが推奨されています。


倫理的配慮

過去には「タスキギー梅毒実験」など,ショッキングな人体実験が行われたことがありました。このような実験が問題視され,国際レベル・国家レベルで倫理規約が開発されてきました。
倫理規約はたくさんありますが,以下の内容はどれも共通です。
参加予定者は参加することによって,自分に何が起こるのか知る権利があり,参加者は公式に参加を同意しなければならない。

倫理規約に関して,以下の3つを大切にすることで,研究参加者を守ることができます。

1.インフォームド・コンセント
インフォームドコンセントは「人が,研究目的,含まれる手順,可能性のあるリスクや利益,選択の余地等の情報を理解し,研究に参加するか,参加し続けるかを,自発的に決定できるように,情報を提供すること」と一般的に定義されています。
大事なことは,参加が拒否できること(拒否しても不利益を被ることがないこと),一度承諾しても途中で参加をやめる権利があることを伝えることです。
授業研究の場合,教師も学習者も「研究の参加を途中でやめられる権利を自分はもっていんだ」ということをなかなか意識できていないように感じます。しっかり,研究開始前に説明をする必要があります。

2.守秘
データ収集のできるだけ初期から研究参加者(対象者)の名前や個人の特定につながる情報をデータから削除することです。
授業研究の場合は,たとえば,1班のAさん(1A)などと,名前を置き換えてデータを管理します。または,まったく異なる名前(偽名)で表記します。その際,実名と偽名(記号)の対応表を作成するのですが,そのデータの管理は厳重に行います。
外付けSSDなどにパスワードをかけて保存し,鍵のかかるキャビネットで保管する必要があります。

3.リスクと危害
参加者が自由に途中でやめられる状況や雰囲気をつくることです。
授業研究ではあまり考えられませんが,研究に参加することで(主義や主張で)敵対する存在から攻撃されることもありえます。
リスクと危害について,研究者と参加者とで話し合うことが大切になります。もしも研究終了後に,参加者が被害を被った場合は,研究者は適切な組織や人を紹介することでフォローすることも考えなければなりません。


おわりに

ここまで,質的研究における厳密性と倫理について説明をしてきました。
この記事を読んだだけではなかなか理解が進まないかと思います(説明が下手ということは棚に上げます)。ぜひ,質的研究を始めてみて,この記事の内容を振り返りながら理解を深め,研究を進めて頂ければうれしく思います。
質的研究をする方が増え,研究方法がどんどん発展することを願います。
記事の最初に紹介した理科教育・科学教育を主に専門とする研究者で行っている「質的研究勉強会」にご興味をもった方は,ぜひぜひご連絡ください!
ご参加をお待ちしております。

なお,質的研究会は現在シーズン2の途中です。ちなみにシーズン1のテキストは以下でした。
プラサド,P.(箕浦康子監訳)(2018)『質的研究のための理論入門ーポスト実証主義の系譜ー』ナカニシヤ出版.
本の詳細はこちら

今回紹介した内容が書かれている文献

木原雅子・木原正博監訳(2022)『質的研究法:その理論と方法―健康・社会科学分野における展開と展望―』メディカル・サイエンス・インターナショナル,27-51.
本の詳細はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?