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おじさんと私〜第6話〜

【M-1予選】

大先生に怒られたり何だりしながら、M-1の予選の日はやってきた。

おじさんは大先生に怒られるとすぐにネタを変える。
結局、M-1に挑戦するネタも予選の日の1週間前に仕上がった。

良く言えば一貫したくだらなさが持ち味のきくばやしでも、ネタが仕上がるまではそれはもうピリピリしていた。
笑いのツボが違いすぎて、言葉を交わさなくてもそこに微かに憎しみが芽生えはじめていることはお互いの目が物語っていた。

カラオケ店でのネタの練習中、あまりの苛立ちにそばに置いてある陽気な柄のマラカスに何度手を伸ばしそうになったことか。
そんなことさえも今となっては素晴らしい思い出である。

M-1予選の当日、会場は渋谷にあるビルの8階だった。
緊張のせいか私は8階に上がるまでのエレベーターのほぼ各階のボタンを押してしまい、当たり前だがその都度扉は開き、女装したおじさんだけが現れてはゆっくり消えていくという現象が各階で起きてしまった。(私はとっさの判断でこれ以上ないほど身をひねり隠れることに成功した。)

そのビルはオフィスも入っており、どの階だったかエレベーターの扉が開いた瞬間、目の前のテーブルで真剣な表情で打ち合わせをしている男性2人組と相見えた。
2人組はいきなり現れた女装おじさんにとっさに一礼をしていた。
良い会社だ。

おじさんは仁王立ちのまま、軽く片手を上げていた。

8階で受付を済ませ、ビルの入り口に貼られてあるポスター前で記念写真を撮ろうということになったのだが、1階に降りるにあたり私はまたしてもエレベーターのほぼ各階のボタンを押してしまった。
本当に悪戯心などは微塵もなく、緊張のせいに他ならなかった。
優しいおじさんもさすがに苛立ちを見せ、「閉」ボタンを高速で連打していた。

そして先ほど打ち合わせ中だった男性2人組はやはりまだ打ち合わせ中で、再び現れた女装おじさんにやはり一礼していた。

おじさんが「デジャヴ?」と口を開く。

違う。

控えブースで尼神インターを見かけ、
「わーすごいですねぇ」とミーハーな私がこっそり言うと
「わーすごい格好の人だねぇ。あの格好で舞台に立つ気かな?その前に女の人?男の人?」とこっそり答えるおじさん。

そのセリフ、そっくりそのままお返しする。

やさしいズを見かけ、
「わーやさしいズだ。坊主の方、私の夫にそっくりなんです」とミーハーな私がこっそり言うと
「それで?」と普通よりやや大きめの音量で真顔で答えるおじさん。

ごめんなさい、しか言えない。

そうこうしているうちに、あっという間に我々の出番はやってきた。
司会進行を務める芸人さんが、コンビ名を叫ぶ 。

「2860番、きくばやしーーーー!!!!」

笑顔で飛び出すきくばやし。

目の前で観覧している中年男性が、まるで仕込みの人かと錯覚するほどに我々の一つ一つのギャグに声を上げて笑ってくれている。(※目は笑っていない。)

そのせいか、おじさんも調子が良い。
今までのおじさんとのいざこざが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

おじさん・・・良かったね・・・!
本当に良かったね・・・!!
隣でアドレナリンと輝きを放ちながらギャグを連発するおじさんに対し、
漫才中にもかかわらず熱いものがこみ上げてくる。

ふと客席を見ると、仕事で近くに来ていた夫が昼休みを利用して見に来ているではないか。

幼い子どもを託児所に預け、おじさんと舞台に立つ私をどう思っていますか?
結婚を後悔してはいませんか?
今日の私のツッコミはさえていますか?

またしても様々な想いが頭をよぎったが、我々は無事やりきった。
私もおじさんも一回ずつ噛んだ。
それでも我々にしては上出来だと思った。

「こりゃ二回戦行ったね!」おじさんが言う。
おじさんのキラキラした目を見ていたら、私もだんだんそんな気がしてきた。

確かに少しばかり笑いがあったような…。
夫も「いつも通り、決して面白くはなかったけど他もなかなかやったで。確かに他より笑いは起きてたかもしれん。」と言うではないか。

もし突破してしまったらどうしよう・・・などと要らぬ心配をしながら結果を見ると、我々のグループはプロの1組を除いて根こそぎみんな落選していた。

「俺の感性がおかしいだけで、きくばやしってもしかして面白いのか?」と夫が錯覚するほど、その日そのグループは根こそぎ調子が悪かったようだ。
(※悲しいことにきくばやしにいたっては十二分に実力を発揮した結果である)

予選終了後、我が身を心配してくれていた友人に「明日からまた平穏な日々が戻ってくるよ」と報告したところ

【きくばやしの今後に期待してね!どんどんライブするよ!】

というおじさんの更新したばかりのSNSのスクリーンショットが送られてきた。

以下、予選終了後のおじさんとの会話である。

私   「M-1で有名になって西野カナさんに会うのはかなり難しい気がします」
おじさん「あ、今後はキングオブコントでってこと?」
私   「あ、全然そういうことじゃないです」
おじさん「R-1もあるよ」
おじさん「女芸人No.1決定戦ていうのもあるよ」
おじさん「とにかく“おはスタ”に出たいんだよね」
おじさん「でもやっぱりまずは深夜枠なのかなぁ。道のりは長いね」
おじさん「でも・・・○△×□」

私   「とりあえず、無事終わったことですし一段落ですね! 」
おじさん「何が?何も終わってないし何も始まっていないよ?」
私   「あ、そうですかー…」
おじさん「え、だって、西野カナさんに会えていないし。そもそもそこゴールだし。」

・・・。

その後、ローカルテレビ局やラジオ局に営業をかけてみて、と言われ、千葉県のローカルテレビにおじさんという人物をプッシュするメールを送ってみたが秒で断られた。

M-1への挑戦は終わったが、おじさんと私の個人レベルでの新たな戦いは始まりそうだ。
(何度も言うが対戦カードは「おじさん」対「私」である。)

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