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2022年4月 浜通り旅1

 初日
 早朝に東京を発つ。上野駅より特急ひたちに乗り込み、北へ。
 駅弁はちょっと迷ったが、東北福興弁当なるものを購入。東北6県の食材がふんだんに使われたお弁当らしいが、何でもかんでも復興というのはちょっと苦手というか、敬遠したくなるけれど、まぁせっかくなら旅先と関係のあるものを食べたいので。というわけで向かう先は福島県浜通りです。
 列車内は日曜ということで、全窓際の席が埋まるほどの混み具合。自分も車窓の変化を楽しみます。けれどなぜか自分の隣にだけ別の乗客さん。早々に降りるようならとも思ったが、そんな感じでもないので、静かにお弁当をいただく(いや普段も静かに食べてるけれど)。ワクチン3回目済だし、3日前とはいえ役所でやってる無料PCRで陰性も確認したけれど、まぁ旅先に迷惑をかけることだけはしたくないので、これまで通り気をつけて旅してきます。

 で、福興弁当。めっちゃ美味かった。全二十品の東北産を活用した料理が詰め込まれていたけれど、一品一品に手が込んでやがる。佃煮やら、味噌やら、肉やら魚やら、箸で摘まむどれもが美味い。すごい。
 そんなこんなで窓の外に田んぼが増えてきたなぁとか何とか思っていたら、いわき駅に到着。そうしてそのままホーム向かいの常磐線に乗り換える。
 常磐線。東京でも割と馴染みのある路線です。それが遠く離れたここでも走っていることに何だか変な感じを覚えるが、目にする車内広告の内容が東京のそれと多分ほとんど同じで、けれど車内はがらがらで、窓の外は田畑やら緑いっぱいやらで、可笑しな感じ。
 広野(ひろの)駅に到着。実は5年前にも浜通りを旅したことがあって、そのときは広野駅で下車して、てくてくと2駅くらい先まで歩きました。が、今日はそのまま乗り続ける。そうして竜田(たつた)駅。5年前はここから先、常磐線は不通でした。国道6号をバスで北上するしか手段がありませんでした。無論、原発事故の影響です。けれど今はもう震災前同様に、仙台まで行くことができます(この旅では行かんけど)。
 そうしてとことこ進みたどり着いた、双葉駅。原発から直線距離にして約4kmの位置です。ここが本日の目的地です。が、suicaをタッチする機械が立っているだけの改札。おトクな切符を利用してきたので、いわき~双葉の切符がなく、精算しようかと思っていたが無人。インターホンを押して、どこにいるのか分からない駅員さんと話す。そしたら目の前の台に切符を置くよう言われ、遠隔で切符の内容を確認され、次にsuicaを置いて不足分をこれまた遠隔でお支払い。「ほー」と感心しながら、無事改札を出る。何かすごい。そして、いやっほう、双葉駅に来たぞ。駅舎が新しいぞ、風が強いぞ、割と寒いぞ。

 まずは隣接しているコミュニティセンターで、道案内を請う。町のガイドマップもいくつかもらう。双葉町の無料じゃらんまであった。というわけで目的地のある海方面に向かう。そしたら何やら複数の建物の壁面に大きな顔が描かれている。どうやらアートで双葉町を盛り上げようみたいなプロジェクトのようで。歩いている人は見かけないけれど、国道6号線を車がひっきりなしに行き交っている。ここは地下道を潜り、6号線の向こう側へ。割と大きな病院の前を通る。どうやら閉鎖されているよう。空き地も多い。が、建設中の建物がちらほらある。側溝に嵌められた鉄柵が盛り上がっていて、ちょっとつまずく。これも震災の影響だろうか。

 頭上で小さな鳥が千代千代わめきながら真っ青な空を、飛んでいる──というより、風が強くあまり進んでいないので、ホバリングしている。
 そうして見通しが良くなる。建造物のない、田畑のエリア。きれいに刈り取られている。今は何も栽培していないのだろうか。それとも種を植えたばかりだろうか。いやしかし海方面──東からの風が強い。ちょっと寒いのでフードを被って歩く。やがて、屋根が左肩下がりのなかなかいかしたデザインの建築に出くわす。ちょっと覗きたくなったが、看板も何も出てなく、何これ状態。その後も何だか新しい建物が続いている(このあたりは企業を誘致しているエリアのようで)。
 振り返れば、双葉の町並みの向こうに、なだらかな山々の姿。空が青く、広い。風はあるが、とてもいい天気で。やがてお目当ての建物が見えてくる。美術館のようなシンプルな外観。「東日本大震災・原子力災害伝承館」ここに、来たかった。

 ガラス張りの建物で、陽光がよく入り、館内は明るい。消毒、検温を済ませ、入館料を払い、まずはもうすぐ上映とのことで、シアタールームに通される。真っ白なだだっ広い、円柱型の空間。シンプルなデザインの椅子が並んでいる。先客は3名ほど。ご年配の方が多い。明かりが落とされ、伝承館の意義を語る映像が、壁面に大きく大きく映し出される。ナレーションは福島県出身の西田敏行さん。津波の映像は、配慮してかモノクロになっていた。
 伝承館。その名の通り、伝承するための場所。地震、津波の被害や、原子力災害の悲惨さを後世に伝え、同じ過ちを二度と繰り返さないという目的のために、作られたミュージアム。
 光が戻り、白い空間が再び浮かぶ。そうしてシアタールームを螺旋状に上る通路へと案内される。が、上映時間の関係でチケット購入後即の移動だったので、まずは手洗い、そして旅荷を詰め込んだリュックをロッカーに預ける。今日は閉館まで、一日かけて館内を見回る予定です。

 さて、一人で再びシアタールームへ。そうして先程の緩やかな螺旋通路を上っていく。内側の壁には、この土地の動力の歴史が白黒の写真と文字で描かれ、原子力発電所が建設された経緯について語られている。歩を進めれば時代は進み──2011年3月11日、14時46分。ここから時の動きが鈍くなり、記述も細かく、緻密になる。地震発生、津波到来、全電源喪失、3km、10km、20km圏内の住民の避難、水素爆発、炉心溶融……。
 当時のことを、ひたすらに思い返す。あのときはきっと、自分はどこか楽観視していた。
 少しつらくなる。足を止めて、佇む。通路の外側には休憩所がいくつもある。緩い上り坂ということもあるだろうけれど、きっと、休むことが必要な人のために設けられたのだと思う。
 そうやって螺旋状の通路を上りきる。

 一転、黒い壁。映像と、文字、たくさんの資料が展示されている。
 興味深かったのは、「アトムふくしま」という冊子。ウランちゃんという、イメージキャラクターが表紙に描かれている。原発に対する理解を深めてもらうため、福島県が刷った広報誌。昭和48年から発行されていたとのこと。アトムふくしま。今でこそとんでもないネーミングと片付けられてしまいそうだけれど、当時は原子力発電所があることで雇用機会が生まれ、その地域に住む人々の生活も豊かになったようで、原発は忌避されるものではなかったということが、展示物から伝わってくる。その他にも当時の社会科見学で、原発を見に行った小学生の作文があり、「原発ができたことで、みんなの暮らしが良くなったんだということを学びました」といったことが書かれていたりする。
 その一方で、原発が緊急事態に陥ったとき、住民はどう行動するべきか、風向きによってどこへ避難するか、といった原発のある大熊町が発行したポスターも掲示されていたりする。
 そういう時代が確かにあったのだということを、知っていく。

 大写しの映像。津波の様子。原発建屋の爆発。避難させられる人々。届かない物資。映像の向こうから伝わってくる感情。少し、キツい。
 そうして時刻はお昼。再入場の方法について伺い、展示出口へと向かう。ガラス向こうの芝生広場を眺めつつ館内を抜け、隣接された双葉町産業交流センター(通称F-BICC)という、こちらも真新しい現代的な建物へ。お昼を食べます。が、日曜のため、いくつかある店舗のうち、フードコート内にある浪江焼きそばの店しか開いてなく、既に多くのお客さんが。みなさん結構待たされているっぽい。が、選択肢はここしかないので(近隣に他の飲食店はありません)、まぁ浪江焼きそばなら食べてみたいので、食券購入。待っているあいだ、隣の売店でお土産なんかを見て過ごす。結構待って、出来上がった浪江焼きそば大盛りと、里芋のコロッケ。B級グルメでも有名になった浪江焼きそばは、太麺が売りのソース焼きそば。食すのは初めてです。お味は、うーむ、もっとソースが濃厚だったら好みかなぁ。まぁでも、お腹は満ちました。ごちそうさまでした。

 というわけで再び伝承館へと向かいます。いくつかあるフロアのうち、まだ半分くらいしか見れてないので、やはり一日はかかりそうです(伝承館HPでは所要時間は一時間程度と書かれている)。

 (続→

(撮影の可否は確認しております)


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