悪意に染まっちゃった私へ

 最近毎日Twitterやめたいって言ってる気がする。自分でもやめた方がいいと思う。のにやめらんない。これが昨今問題になってる依存症ってやつかーって思ってる。

 先ず持って、私がTwitterやめられない理由は解析するまでもなく、はっきりしてる。人との交流が楽しくて、繋がりを断ちたくなくてやめれないってのもあるし、愚痴垢でだらだら議論するのも楽しいし、絵を見てくれてる人がいるのもほんとに嬉しい。コメントもらったりとか応援してもらったりとかするのは本当に糧になるし、逆に大好きな推しを応援するのもめちゃくちゃ楽しい。

 でもネット社会は悪意に満ちすぎてるなって思う。どんなにブロックしても推しのアンチは湧くし、今日の推し良すぎじゃない!?って気持ちでルンルンTwitterサーチキメたらアンチ湧いててさ~。ね、もうやってらんねぇよってなるよね。アンチのアンチだよこっちは。なんで匿名性が生まれると人ってあんなに攻撃的になるのかな。私も含めて。

 私も結構裏ではやばいこと言うし、汚い言葉もめちゃくちゃ使う。まあどんなに嫌いな奴でも嫌がらせしたら人間的に終わりだから、それはやったことないけど。
 リアルじゃなかなか反論できないから、ムカついたことあったら鍵垢でぐちゃぐちゃ言う。ネットで炎上してる人を娯楽として見て、それについて私は当事者でもその問題に興味がある訳でもないのに、楽しいって気持ちだけで友達と鍵垢で議論して。大分ゴミみたいな人間になったなと思う。
 この行動って多分、日頃のフラストレーションを昇華させるためにやってることで、リアルじゃ大きい声で叫べない意見を声高に叫んで自己承認欲求を満たしてるだけ。それをやらないと私はきっと、ストレスで死んでしまう。
 でも果たしてそうだろうか?だって私は中学生のときTwitterをやっていなかったのだ。やってなかったけど、普通に生きてた。それなりに苦しんで、それなりに楽しく生きてたはず。それは今とは変わらない。中学生の時の自分は正直未熟すぎて思い出す度羞恥に襲われるけど、今みたいにクソな人間性じゃなかったと思う。

  最近気付いたことがあって、私は本を読まなくなった。昔はあんなに貪るように読んでた本を今は全然読んでない。本を開く回数の数十倍数百倍、青い鳥をタップしている。
 Twitterで馬鹿な人を見て議論するよりも、中学の図書室で読書仲間と坂口安吾とかについて議論してたときの方がよっぽど有益で文化的な時間を過ごせていたのかなと思う。最近では、議論する度に虚しさが湧く。(そもそも、これを議論って呼んでいいのかもわからない。)でも私はディベートが好きだから、やめたくてもやってしまう。もちろんちゃんとした議論もある。社会問題だったり、政治だったり。だけどやっぱり議論する時の私の言葉はとても粗雑で乱暴だ。

 やっぱり、人間ってある程度制御が必要なんだろうなと思う。リアルで全裸になったり、やばいこと言ったら、捕まるか社会的に死ぬかのどちらかだから、だから何とかみんな自分をコントロールできてる。悪意を向ければ悪意を返されるかもしれないからみんな自分をある程度制御する。できない人はいるけど、ネットよりかはマシだと思う。
 一方で、ネットみたいに匿名性が生まれると、悪意の矢印が一方通行になる。だから無法地帯になるし、戦争になるし、泣きながら傷ついてどうしようも無くなっちゃう人が毎日毎日秒速で増える。もう仕方の無いことだ。人間ってそういう生き物だし。匿名性がある以上、自分を制御できない人が増えるのは仕方ない。でも、それでも、私は。

 毎日毎日ちょっと時間が出来たらTwitterをスクロールして、おもしろいツイートを見たら笑って、悪意しかない馬鹿げたツイートを見て腹立てて、推しのツイートみて幸せになって、アンチのツイート見てその何倍も不幸せになって。毎日その繰り返し。発言する度に自己承認欲求は膨れ上がって、もしかしたらもう私は手が付けられないとこまで来てるのかもしれない。けど、ネットの悪意に染まってしまった私だけど、もう手遅れでも何でも、Twitterから離れてしまった方が良いと思う。じゃないと、小学生の頃憧れていた、理想の自分とはかけ離れた自分になってしまう。ていうか実際になってる。
 ここまで書いておいて何だけど、私は多分Twitterをやめられない。依存症だから。だけどちゃんと虚しい気持ちを感じ続けて苦しくなって、そんでもって考えて生きていきたいと思う。
 ここまで読んでくれてありがとう。ではまた。

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ワタヌキ

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