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マイヒーロー

佐賀在住、湘南ベルマーレサポーター

一見関連性のない地域のクラブを応援しているだろう。

神奈川県の伝統あるクラブ、
湘南ベルマーレを応援する佐賀在住の私。

このクラブの応援を始めたきっかけが、22年夏にサガン鳥栖から湘南ベルマーレへ加入した中野嘉大選手だ。

湘南ベルマーレMF 44 中野嘉大 選手

中野嘉大選手は、高校で生まれ育った鹿児島県から佐賀東高校(佐賀の公立高校)へ越境進学。鹿児島県といえば鹿児島実業(鹿実)や神村学園、鹿児島城西高校など選手権常連の名門校を有する。進学した佐賀東高校は、佐賀県内のサッカー部ではずば抜けて強い公立高校。越境進学というわりには、全国的には知名度は劣る。

佐賀東高校から(大学経由で)プロを輩出したのは、(私が知った時から)中原秀人選手(福教大→北九州→福岡→北九州→鹿児島)、赤崎秀平さん(筑波大→鹿島→G大阪→川崎→名古屋→仙台→南葛SC)、中野嘉大選手(筑波大→川崎→仙台→札幌→鳥栖→湘南)、中原優生選手(鹿屋体育大学→鹿児島)、吉田陣平選手(新潟)、宝納拓斗選手(福島)。

全国区の名門校ほどではないが、大学経由を含みJリーガーも輩出している。

佐賀東高校は私が進学した高校から近い位置にある、いわばお隣さん。中野選手は、同世代でその佐賀東高校のサッカー部で活躍した。
地味〜な親近感である。

中野選手は筑波大へ進学、風間八宏氏の元で徹底的に学び、4年時には10番を背負い大卒で名門川崎フロンターレ入団を手にした。川崎は、もちろん多くの日本代表候補選手を擁し今となっては国内タイトル争いの最前線にある強豪クラブ。簡単に入れるクラブではない。同期には熊本の名門大津高校から同じ筑波大に進学した車屋紳太郎選手(川崎)もいる。実際に加入年度もコンスタントに出場を重ねてきたわけではない。それでも加入年度の2015年、G大阪戦では当時の日本代表選手のマークをぶち抜き、プロ初ゴールを記録。今代名詞となっているドリブルがフルに生かされた、最高のゴールだ。(後に購入した雑誌で当時のことを知る)
2017年には仙台に移籍、キャリアハイという記録も残した。

その頃に私は、同じ世代で同じ地区の佐賀東高校出身である中野嘉大選手のことを知った。観に行けるわけではないが、気になる、そのくらいだった。

2019年、コンサドーレ札幌に移籍し、その年のデジっち(今DAZNで配信されているやべっちスタジアムの前身やべっちFCにおける開幕前の個別のキャンプ特集)に新加入選手として紹介された中野選手が、屈託のない笑顔を見せた。その笑顔は印象的だった。

この2019年というのは、私が初めて地元の、J1クラブサガン鳥栖の年間パスを初めて買うほどのめり込むようになったシーズンである。サガン鳥栖は前年2018年に世界的大スター、フェルナンド・トーレスが加入したことで国内サッカーファンを沸かせ、昔は万年J2といわれたが2011年にJ1初昇格を掴んで以降降格を経験していない(J1オリジナル10を除いた)唯一のクラブである。

もちろん私が小学生中学生の頃もちょくちょく観戦には行っていたが、J1に行けるなど夢にも思っていなかった。天皇杯で上位カテゴリと当たれば代表選手を見られるチャンス、そのくらいだった。

2021年、ひょんなことから気になっていた中野選手が札幌から鳥栖に期限付き加入、多くのファンは、どんな選手なのかと気にしている中で私はひとり心踊らされた。背番号は7番。きっと期待の証。

サガン鳥栖に加入した中野嘉大選手
(ホーム鹿島戦後)

加入直後のカップ戦の対戦相手は保有元の札幌ということで契約上出場ができず、次戦のリーグ、アウェーC大阪戦となった。スタメン抜擢も2トップの一角として。本来のポジションとは異なる起用で戸惑いもあり、そしてあまり活躍ができなかった。悔しいことに多くのサポーターから起用への疑問の声も出た。

そしてホームで徳島、鹿島を迎え、最大の武器である変幻自在のドリブルでサイドで躍動、片鱗を見せ多くのサポーターの心を奪った。

加入初得点は名古屋戦。
代行監督指揮下での、ビハインドの試合でカットインからのミドル、ディフレクションでの同点ゴールだった。

天皇杯2回戦熊本戦、変幻自在のドリブルで相手を翻弄する中野選手

それを契機にサポーターの心をグッと引き寄せた。8月アウェー柏戦。私が思う鳥栖でのベストパフォーマンスだった。
絶妙なポジショニングでのシュート(こぼれ球を小屋松選手が押し込み)、追加点。そして鳥栖での最高のプレーであった、3点目の演出、古賀太陽選手のマークを滑らかなキックフェイントでかわしクロス、ディフレクションはあったがゴール前へ向かい小屋松選手が押し込み同点。

得意のドリブルで古巣川崎の守備陣を突破

2022年、完全移行でサガン鳥栖の選手として、スタートした中野選手。開幕戦のアウェー広島戦で途中出場、ルヴァンのアウェー京都戦でスタメン。3月後半、負傷リリース。何の因果か、私は鳥栖のショップへ中野選手のグッズを買いに行く最中であった。とても悔しかった。大好きな選手のプレーがいつまで見られないのか不安でしかなかったから。
復帰は意外と早く、4月半ばホームのルヴァン柏戦だった。その日はテレビで試合を見ていた。続くルヴァンホーム京都戦、そしてリーグ、5月のホームセレッソ戦。
交代出場で、怪我明けとは思えない圧巻のプレーで会場を沸かせた。サイドで3,4人に囲まれても突破し包囲網をぶち抜いた。エンドライン際(結局割ってしまったが)ダブルタッチでアシスト未遂。チャンスメイクが光り同点に追いつくことで貢献した。

圧巻のセレッソ包囲網突破

7月8日。湘南ベルマーレへ完全移籍。
常時とは言わないが、出場もあった中での晴天の霹靂。きっと思うことがあったのかもしれない。何も言えなかった…

今思えば、昨年クラブアンバサダーを務めていた石原直樹さんは、仙台時代に共闘していた。活躍のイメージもしやすかったのだろう。

さて佐賀から湘南。遠い。
どうしたものか。

それでも湘南へ追うとすぐに決めた。
すぐに湘南のことを調べファンクラブ入会も即決、ユニフォーム購入。
気がついたら本気に。
既存の選手はもちろん、スタッフやクラブの変遷、あるいは活動も夢中で調べた。

初めて、大好きになった選手。応援するのに理由なんて要らない

湘南のサポーターさんたちが移籍加入その日のうちに、中野選手について、私にコンタクトを取り話す機会をくださった。私の話を聞いてくれる、中野選手の魅力を伝えられる、ありがたい機会をいただいた。DAZNで湘南の試合もリアタイ観戦するようになった。毎週の楽しみが増えた。

スルーパス、プレス、コーチングと攻守に躍動
会場がどよめくほどのスルーパス

登録直後の試合では途中出場が続きながらも、自分の武器はこれだ、と言わんばかりにサイドを躍動した。そしてきっとベルサポさんの心を掴んだであろう浦和戦。日本代表の酒井宏樹選手とのマッチアップ。臆することなく仕掛け続け、世界を知る日本屈指のサイドバックに真っ向渡り合った。

狭い空間を縫うように侵入する。
線は細いので、当たりに来る選手とは、体をぶつけられない絶妙な距離感と独特なステップでかわす。視線はいつも前。ボールは見ていない。
視線が前だからこそ、相手守備者の背後が見える、動き出す味方も見える。突破もすれば、意表を突いたスルーパスも出す。プレーにはいつも引き出しがある。

攻撃が前掛かりなとき、中野選手はいつもおもしろいところにポジショニングしている。アタッキングサード、セカンドボール回収ができればチャンスになるところにいつもいる。
高校2年で出場した選手権の星稜高校戦でも、いわゆるごっつぁんゴールという形で点を取った。聞こえはよくないが、そこにポジショニングしていたことに意味がある。
(※2023年にも特筆すべきシーンがあるため後述する)

サイドの選手の視野は、基本的に180度。自分のサイドから反対サイドまで。
中央に入ると、360度つまり全方位を見る必要がある。
サイドに居ることで敵陣の位置取りを把握しやすく、常に相手の脅威となるスポットを見抜くことができる。
もちろん簡単なことではない。
観察眼と想像力、(気がつけばそこにいる)侵入スピード。
筑波大では4年時トップ下で出場しゲームメイクも担っていた。
しかしプロ入り後はサイドに入り、常にJ1トップカテゴリーで躍動してきた。
リオ五輪世代では強化合宿にも招集されジョーカーとしても期待されていた。

話を戻す。レモスタでの鳥栖との直接対決、私は意を決してレモスタに訪れた。中野選手はフル出場。そのピッチには中野選手の良さがたくさん詰まっていた。

ありがたいことに、たくさんの湘南サポーターさんが私を歓迎してくださり、たくさんの中野選手のグッズを準備してくださっていた。

湘南は、多くの選手の個サポさんが集まり、そして尊重してくださる、個サポにとても優しいクラブだと思った。

最終節までもつれたが、なんとか、2018年のJ1リスタート以降最高順位で残留を果たした。
中野選手は契約を更新し2023シーズンを湘南でプレーすることに。遠くて観に行く機会は少ないけど、嫌でもない、むしろ掴んだ居場所でのプレーが叶い、サポさんにも歓迎されて、とても嬉しかった。

シーズンが始まり、近場でのアウェー試合は積極的に訪れ、レモスタ・国立とホーム戦も訪れた。出場は叶わなかったが、今となっては私は湘南の虜。出ても出てなくても変わらず応援できる、湘南ファンになっていた。もちろん、プレーは見たい。それでも出場が容易でないほどタレントが揃っていて、たのしい日々。
前述のポジショニング、象徴すべきシーンがある。ホームのG大阪戦の町野選手の4点目をアシストしたシーン。
石原選手からのクロスを町野選手が競り合い、阿部選手が体に当て、誰もいないペナ内ポケットにボールが流れる。そこに中野選手が現れ左足を一閃。シュート気味で町野選手が反応し押し込んだ。

8月の天皇杯準々決勝、アウェー福岡戦。ようやく中野選手の今シーズンのプレーを生で見られた。結果は悔しいものだが、それを度外視すればとても嬉しい幸せな1日となった。

この記事を書いている現在、リーグは残す所あと2試合。中野選手はリーグで10試合出場2アシスト、天皇杯では3試合出場3アシスト。メンバー争いは、実力者揃いのため常に熾烈。順位もまだ残留へ余談を許さない以上、新しいことにチャレンジするゆとりはない。
でもそれに不満なんて一切感じない。

試合に出れば嬉しい、現地でプレーを見られたら嬉しい、もし出てなくても、その試合に向けた準備にきっと関わっている。

試合に出られないぐらいで応援辞めるようなら、最初から応援してない。

いつだってそのチームごと、選手を応援していたいから。

湘南ベルマーレの応援を始めて、私はたくさんのサポーターさんに出会った。

ひとつ試合が終われば結果がどうであれ、すぐにまた次の試合に切り替える。

いつだって今を大事にする。

簡単なようでそうではない。
引きずったっておかしくないから。

自分は何したって失敗すればくよくよ、次もクソもなく自信もなくし引きずってきた。

彼らは違う。
いつだって次。次に向けて今からスタート。

いつしかそれに感化され、次、次、と前を向かせてくれるようになった。

よしくんの移籍で、チームの選手を知り、クラブを知り、クラブの歴史や文化を知り…やがてそのクラブを大好きになった。

1人の選手を通してこんなにもサッカー観人生観、あるいは交友関係が広がった。

1人の人がもたらす以上のものを私にもたらしてくれた。

中野嘉大選手は、私のヒーロー。

いつも本当にありがとうございます。

これからもずっと応援しています。

ラスト2試合、ひとつひとつ勝つよ。

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