渡来 徹 | 花道家

Watarai Toru いけばな教授者、花道家。鎌倉二階堂を拠点に活動中。 いけばな…

渡来 徹 | 花道家

Watarai Toru いけばな教授者、花道家。鎌倉二階堂を拠点に活動中。 いけばなを通じて思考の垢を落とす、五感のリハビリ。 いけばなという鏡を人前に置くのが私の役目。 インスタグラム@watara_ikebana

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カツカレーを素直によろこべない大人になっていやしないか。

子供の頃、とんかつやハンバーグにカレーがかかったプレートを前にすると、テンションが爆上がりしたものです。とんかつだけでもワクワクが止められないのに、ハンバーグだけでもよだれが口の中に溢れるのに。さらにカレーがかかっている、だなんて最高にもほどがある。好きなものと好きなものが一緒くたになって口に入ってくる。歓喜。パンケーキにアイスクリーム、ソーダフロート、苺大福、あたりも同じ範疇でしょうか。 さて、いけばなです(僕は花道家です)。 右手にお気に入りのうつわ、左手には大好きな旬

    • 保水キャップの花留め、或いは思考の余白

      市場で仕入れたアンスリューム。足元は一本一本丁寧に保水キャップがはめられ、仲卸のロゴが入ったフィルムでぐるりまとめられていた。 挿さっていたアンスリュームをいく本か使っていくうちに 「あれ、これそのまま具合の良い花留めになるのでは?」 なんて思えて、フィルムを適当な長さでカットしたのち、うつわに据えていけなおしてみました。当然ですが挿す位置によって表情が変わります。重心も変わる。 いい感じに収まっている気がするし、気のせいな気もする。 ここから、日常の当たり前の姿にも美

      • 意識をよそにそらすためのひと手間。

        12月のある日、美味しそうなパンを手に入れた。 写真に収めようとお手製のゆずジャム、ゴルゴンゾーラを用意するなど粋がったものの、パンの断面に対して皿が小さすぎるという初手からのミス。ジャムはすでに皿に盛られ、ゴルゴンゾーラに添えたはちみつはスプーンに溜まっている。引き返すことなどできない。パンを減らす? いや、気になっているのは断面のサイズ感。枚数を減らしたところで根本的な解決にはならない。 そこでふと、背景に季節の植物などおいて雰囲気を盛ればよいのでは、と思い立つ。クリス

        • SNS、スタートダッシュに失敗すると埋もれる。

          私のnoteは、ほとんど誰の目にも止まりません。なんせフォロワーさんはわずか75名。当然、リアクションをとってくださる方は片手で数えられるほど。 インサイトが確認できないとあってはこのわずかなフォロワーさんすら届いているのか疑問ですし、ましてやオススメに乗ることもなく、webのテクストゴミを作っているに過ぎないと、自覚せざるを得ません。ごめんなさい。 またnoteとの連携で相性が良いとされてきたexTwitter=Xのフォロワーさんは268名。2012年から10年以上続けて

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        • 今日のいけばな
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          生鮮品で嗜好品、花はフルーツと同じ。

          一部のゆとりのある人にしか手の届かないものになりつつあるのかもしれない。 今では市場で花を仕入れる機会はめっきり減ったけれど、行くたびにその値上がりっぷりには舌を巻きます。 これは主役に、これはボリュームつけにスパイスに、と選び分けるのが正直難しいほどどれもが値上がりしている。加えてこれから冬に向かってはハウスの燃料代なども乗っかってくるでしょうからいっそう手の出しずらい状況になりそうです。 売れ残った花は、花屋の店頭か仲卸でか、はたまた農家の畑でなのか、廃棄されること

          生鮮品で嗜好品、花はフルーツと同じ。

          "正確ないけばな"ってなんだろう? 知ることと分かることと出来ることはそれぞれ違う。

          ”正確ないけばなを知りたい”という雲を掴むような質問が来た。それはいけばな、Ikebanaと冠されていながら、SNSほかで目にするアウトプットが多種多様すぎるからだろう。 “正確ないけばな”を”真理”と置き換えて考えてみる。いけばなに限らず、書き記された真理は結構残っているし、私たちをそれを読むことができる。しかしそれで真理をわかった、得たことにはならない。真理は常に体験を伴ったその先にしか待っていない(得られるかどうかは別問題)。 いけばなのアウトプットの複雑さについて

          "正確ないけばな"ってなんだろう? 知ることと分かることと出来ることはそれぞれ違う。

          Gucciにみる永遠と循環と。

          表参道ヒルズに寄ると、地下で#GucciBambooSummerなるイベントが開催中。竹をハンドルに使ったハンドバッグにフォーカスしたインスタレーションです。暗闇に無数のライト、浮かび上がる青い地球、そして透明な球体に包まれたヴィンテージのバッグ、スペーシーな空間なぜに。 バンブーハンドルバッグは先の大戦後、物資不足を解決する手段として竹にフォーカスして開発されたそうですから7~80年近い歴史を持ちます。 使い込むほどに飴色の鈍い輝きを放つ竹は、花道家としては花材としての

          Gucciにみる永遠と循環と。

          植物は切られてもすぐには死なない。

          3ヶ月経ってなお生命力残るスカビオサ  写真のスカビオサは2023年2月2日に撮影したものです。伝票を確認すると仕入れたのは2022年11月5日ですからまるっと3ヶ月経ってる。その間、水を入れたガラス瓶に挿して日当たりの良い軒先に放置してありました。雨に吹かれ風に揺れ、1月は氷点下で霜が降りる日、氷が張る日も数日ありましたがお構いなし。  淡いベージュ色だった花びらはさすがに日に焼け寒さに焼けてますが、中に除くシードポットは青々としてわずかに膨らんですらいます。いまだ上向い

          植物は切られてもすぐには死なない。

          一人歩きする言葉。例えば『陰翳礼讃』。

          個展最終日、皆さんがお帰りになってから名残のはなを撮影しました。 さて、作家 谷崎潤一郎は著書『陰翳礼讃』を以下のように締め括っています。 “われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見えすぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電灯を消してみることだ。” 陰翳とはある種のあい

          有料
          200

          一人歩きする言葉。例えば『陰翳礼讃』。

          Inside Outside

          来る個展に向けて花材の準備をする日々です。先日は薮に入って立ち枯れた竹を切り出し拙宅前で下拵え。5~7mの枯れ竹の表面にみっちりついたあれやこれを洗い流して拭いて乾かして、と繰り返しているうちにInside Outsideなんてフレーズが浮かんできました。昭和初期に建てられた日本家屋に鎌倉の竹藪を持ち込み設ることで共生を可視化するイメージです。 このフレーズ、COMME des GARCONS HOMME PLUSのコレクションテーマにあった好きな響き。調べてみると98AW

          葉は光を浴びるために上を向く。

          キウイ。気ままに線を描く蔓。どれだけ行ったり来たりしたとて葉っぱが向くのはいつも上。重力と逆の方向に向かって萌える。 うつわの上でも同様の姿でいける。

          葉は光を浴びるために上を向く。

          先生への感謝と流派の行末と自然描写。

          今日は久しぶりに親先生のところへ。先日神戸で行われた授与式で授かったお免状と土産を持参しました。小原流の技術資格としては最高位に当たる一級家元教授者、21年目でようようの一区切りにして、スタート地点。 「わざわざ持ってきてくれたの、まぁ」と、喜んでくださって何より。お世話になった人の笑顔は嬉しいものです。 私の先生は技術的に優れ知識も豊富。そうした先生は少なからずいらっしゃいますが、出色は花の捉え方です、実にうまい。いきいきとした姿でうつわの上に現れる。花への愛情だと言って

          先生への感謝と流派の行末と自然描写。

          花道家、PRADA MODEへ行く。

          旧知のお招きで5/12、13の2日間、東京都庭園美術館で開催されたPRADA MODEに行きました。ファッションを扱う編集者時代の名残で送られてきたであろう招待メールながら、この時期の庭園美術館を愉しむよい機会。トークセッションやワークショップなどのプログラムも興味深く12日に行ってきました。 とはいえ、ファッションや建築、公共事業の持続可能性の模索、そのいずれにもコメントできる立場にありませんので、ひとまずリンクを以下にぺたり。 "東京都生活文化スポーツ局文化振興部長の

          花道家、PRADA MODEへ行く。

          Green guy in our garden in Kamakura.

          バッグデザイナーからフローリストへ転身されたフェルナンドさん。プライベートレッスンのためにブルックリンから鎌倉の稽古場を訪ねてくださいました。通訳は日本人の旦那さん。二人とも無茶苦茶穏やかで優しくて丁寧で嬉しそうにそこにいてくださって。こうした空気はこちらにも伝播します。時折小雨ぱらつく雲行きの怪しい午前中でしたが、山歩きで自然観察をしたのち、手土産のお茶菓子をいただきながら対話、そののち庭の草花を採ってお稽古をしました。 なぜ、僕なんだろう。 いけばなを教える先生はNY

          Green guy in our garden in Kamakura.

          いけばなWS、参加者のコメント備忘録

          ILLUMS青山にて、店頭に並んだニューノルディックデザインのフラワーベースに枝をいけるワークショップを行いました。 いけばなの魅力を多くの方に感じてもらうべく、参加者の声を共有します。 「一本の枝にこんなに向き合うの初めて」 「コントロールしたいという欲を捨てて植物の生きる姿そのものを感じ取る」 「作為的なものではなく自然そのままの姿にまず答えがある」 「手直ししてもらった花は美しく形を整えるのではなく、まさにありありと命を吹き返すって感じでした」 「"いける"とはデザイ

          いけばなWS、参加者のコメント備忘録

          『粧紙-mekashi-』創刊号α

          節分の今日、メイキャッパーUDAさんが手がけた『粧紙 α』が届きました。私も一杯のいけばなととともに寄稿しています。出版物はいいですね。構想時から聞いていたUDAさんのおもいが五感を通じて私の中に入ってきます。  出版物には紙とインク、印刷方法に判型など視覚情報に直接的に影響する組み合わせが無数に存在します。作り手は己のイメージに適う組み合わせをその中から探し出し選ぶのです。  そうして具現化された作り手のおもいや意図は、手にした時の重さ、ページに触れた時の厚みや張り、擦

          『粧紙-mekashi-』創刊号α