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博多織が日常の当たり前になること 株式会社サヌイ織物 代表取締役 讃井勝彦さん

新天皇陛下即位の献上品や羽生選手が優勝した際にかけていた金メダルリボンにも使用されている、778年の伝統がある博多織。その先代から脈々と引き継がれている気持ちや思いを大切にしながら、時代のニーズに合わせて日常で使えるように、革新させ続けている讃井勝彦さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地: 福岡市
活動地域:博多織・サヌイ織物・讃井勝彦が求められる所
経歴:西南学院高校・西南学院大学卒 学生時代より㈱サヌイ織物へ大学卒業後正式に入社 2009年、代表取締役就任 博多織工業組合副理事長・777周年記念特別事業委員会委員長を歴任 現在、福岡県観光審議委員 福岡商工会議所議員
現在の職業および活動:博多織製造販売業の経営者・博多織をもっと身近に!
座右の銘:夢無き者に成功なし 夢無き者に理想無し、理想無き者に計画無し、計画無き者に実行無し、実行無き者に成功なし、かくして、夢無き者に成功なし!

「誠であること」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

讃井 勝彦さん(以下、讃井 敬称略):博多織が日常の当たり前になることです。街で歩く女性のポーチや電車に乗っている人のスマートフォンカバー、名刺入れなど、日常生活の中の一つに博多織が普通に使われる様になることです。電車に乗った時に、スマートフォンを見ている方が8割ほどいますが、その情景を見た時にまだまだだと思うんです。革のカバーが好きな方、ブランドのカバーが好きな方。それぞれあって良いと思いますが、その時の選択肢の一つに博多織も当たり前に入っている様にしたい。

博多織と聞くと、着物や帯を織るイメージをする方が多いのですが、それだけではありません。"伝統的工芸品産業の振興に関する法律"という法律があるのですが、その第1条が「日常必需品であること」と書かれています。産業なので、沢山生産して、販売して、雇用を生み、国に税金を払う。それが産業だと思いますし、商売として成り立たないといけないんです。「伝統工芸品はこうでなければならない」と言われる方がおりますが、その枠は誰が決めたのでしょうか。着物が売れていた時代はそれで良かったかもしれませんが、今は昔のように着物が売れる時代ではありません。時代は変化します。その変化についていかなければいけないと思いますし、博多織もその時代のニーズに合わせ、技術や製法もずっと変化して来た革新の連続の歴史でした。博多織とは、物質的な物ではなく、昔から育まれてきた開祖や先代たちの思いや気持ちが詰まった素晴らしい織物のことだと私は思います。
博多織にはとても深い思いが込められています。この博多織が日本に伝わるまでには壮絶なチャレンジや勇気、行動がありました。例えばこの独鈷柄(ドッコガラ)には、数々の偉人の逸話が込めれれていますし、身を守り、親が子を守り、子が親を慕う。子孫繁栄と言う思いや願いが込められています。その思いが詰まった博多織を日常生活の当たり前にしたいのです。

記者:博多織に込められた思いを聞き、その思いや気持ちを伝えていくことが博多織だと知った時にとても感動しました。ここではエピソードの一部しか書けませんでしたが、多くの方に知って貰いたいと思いました。

Q.「博多織が日常の当たり前になること」を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

讃井:当面は啓発活動やPRです。多くの方が「博多織って着物でしょ?私は着ないから」というのが常識でした。そこを「違うんです。こういう物もあります」と博多織を知って貰うことに力を入れています。
今はプロモーションビデオを作製したり、講演活動をしたりしています。昨年は博多織777周年ということもあり、マスコミや行政、一般のみなさまからも多くの応援を頂きました。777周年の特別委員会も発足し、その実行委員長を私がやらせて貰ったのですが、その中でPR用に作成したプロモーション動画「かたおりは」は見事金賞を頂きました。博多の話題が出た時に、めんたいこやラーメンもありますが、その一つに博多織も名前が上がる様にしていきます。

記者:博多織について、私も「知ってる」程度の知識でしたが、讃井さんの思いや博多織に込められた思いを聞き、もっと深く知りたくなりました。

Q.「博多織が日常の当たり前になること」に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

讃井:誠であることです。妥協をしない、嘘をつかない。「サヌイ織物がこんな物作ってる」と言われない様に、偽りのない物づくりをしています。今は材料の原価や人件費も上がり、昔と同じ考えでは経営していけません。でも妥協をしていたら、博多織の名に傷がつきます。何のためにやるのかを考えた時に、お金儲けの為ではありません。この博多織という素晴らしい伝統や気持ちを守り、後世にちゃんと残して1000年を迎えられる様にしていきます。

記者:
この変化が激しい時代の中でも、妥協せずに知恵を出して博多織というスーパーブランドを守っている讃井さんの在り方が本当に素敵だと思いました。

Q.そもそも「博多織が日常の当たり前になること」と思う様になったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

讃井:私は学生時代から丁稚奉公で下積みとして働き、営業やデザイン、店長などを経験していきました。周りも私もサヌイ織物を引き継ぐものだと思っていましたし、それが私の使命だとも思っていました。そして、父が70歳の2008年にリーマンショックが起こりました。博多織もその影響を大きく受け、物がどんどん売れなくなりました。その時、経営者である父が「なぜ物が売れんとかいな?」と言う新しい方向性を示せない姿をみてここが代わり目だと思いました。廃業寸前くらい業績も悪く、プレッシャーもありましたが、博多織を伝えていきたい思いが強く、父に話し、喧嘩もしましたが、そこから引き継いで経営することになりました。それからは、時代のニーズや市場を調べ上げ、色んなチャレンジをしながら乗り越えてきました。

記者:大事件をきっかけに、覚悟を決め自分の大切な博多織を守るために決断されたストーリーはとても勇気を貰いました。

Q.「博多織を伝えていきたい思い」を持つ様になった背景には、何があったのですか?

讃井:幼稚園のお誕生会の時に「サヌイ織物を継ぐ」と言っていたそうです。それくらい、家業を継ぐのは当たり前だと思っていました。小さい頃から、遊び場は工場でしたし、父はすごい人だと思っていました。父はとても変わった人でした。先々代のおじいさんが亡くなり、父が代を引き継いだ時、着物や帯を織るのが売上げの8割位を占め、時代も着物が流行り、商売は右肩上がり。でも父は「織りたい物が織れないのがおもしろくもない」と、すっぱりと着物や帯を織るのをやめてしまったんです。当時は問屋が支配しており、問屋が言った物を織るのが当たり前の時代でした。それが父は気に入らなかったんです。
そこから「博多織の技術を使って新しい物を作っていこう」と小物織やギフト製品織が始まったんです。その話を聞いた時に、父がすごくかっこよく思いました。それもあってか、人と同じことはやってはいけない。オリジナリティーを追求することが当たり前だと思うようになっていきました。

記者:お父さんの影響もあり、今の発想力溢れる讃井さんがあることが繋がりました。

Q.読者の方に向けて一言お願いします。

讃井:時代は少しずつ変わるので、取り残されない様についていかないといけません。博多織も懸命についていっています。坂本龍馬は、「今日の俺と昨日の俺は違う」と言っていますよね、それと同じだと思います。松下幸之助も同じ意味のことを言っています。昨日と今日は違う。みんな少しずつ変わっています。その変化に気づくか気づかないかだと思います。その変化に気づいて実践していくことが大事だと思います。

記者:ここでしか聞けなかった、博多織の秘話や込められた思いを聞き、博多織に関する認識が変わりました。そしてそれをやられている、讃井さんの決断や使命感の強さが今の博多織を支えているのだと思いました。
貴重なお話ありがとうございました。

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【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知、木村、梅津です。
博多織の気持ちや思いを大切にしながら、時代やお客さんの求めているニーズを徹底的に調べ、妥協せずに、変化に対応しながら取り組む。その讃井さんの姿勢が本当に素敵だと思いました。これだけの思いが込められて作られている博多織、日常の中に当たり前になって欲しいと思いました。
讃井さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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