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『手当たり日記 86』 はちみつきな粉餅とぜんざい 2024年2月3日

昨夜、家に着いて荷物を下ろすと、自然と「やっと週末だ」とひとりごちてしまった。今夜はゆっくり寝られると思うだけで、体の緊張が少しぼぐれた。前の晩、風呂を洗ったのに、結局湯船に湯が溜まるのを待てずにシャワーで済ませてしまっていた。だから、今日はそのまま「風呂自動」ボタンを押して少し待てば風呂に浸かれる。昨日の自分ありがとう、と思った。ジップロックに入れたスマホを風呂に持ち込み、音楽を流しながら長めに浸かった。風呂から出て、寝る支度をしていたら、2時になっていた。アラームをかけずに就寝。疲労感が溜まりすぎて、軽い金縛りのようなものがあったが、じきに眠りに落ちた。

翌朝は10過ぎに起床。寒い朝。ロバートの秋山さんのラジオをポッドキャストで聞きながら、何を食べるか迷った挙句、餅を三つトースターに入れて焼き始める。醤油餅にしようと思い、皿を手にするが、数日前大学芋を作った時に砂糖を使い切っていたことを思い出した。ストックの砂糖はない。しまった。もちはもう膨らみ始めているので、後戻りはできない。砂糖がなくても、甘い餅を食べる方法はないか、とグーグル検索してみると、はちみつきな粉なる、餅の味付けレシピが出てきた。助かった。友人の結婚式でもらった引き出物のはちみつをたっぷり使って、食べた。

昼過ぎまで動き出す気分になれず、ダラダラしてしまった。今日は実家に帰る日。結局家を出たのは14時くらいになってしまった。途中、家の近くのうどん屋にでも寄って何か食べていこうかとか、実家にコーヒー豆でも買って行こうか、とか思ったが、遅くなっては良くないかと思い先を急いだ。電車には、休日にどこかに遊びに行こう、という男女のペアや家族が何組もいる。実家の最寄駅がある電車の線に乗って揺られる。高校の部活の同期が今住む家のある駅を通過すると、その友人含め、彼らと、ふと会いたくなる。去年の年末にうちに遊びにきてくれた友人たちだが、そのころとは状況が変わってしまった。本来、今日は彼らと東京で会って過ごすつもりだったが、家族との時間を優先すべき状況になり、不参加を申し出ていた。

実家の門を通ろうとすると、後ろから新聞配達のバイクが停車する音が聞こえた。振り向くと、若い配達員が新聞を持ってこちらに向かってきていた。僕は「もらいます、ありがとうございます。」と言って手を伸ばすと、彼は「恐れ入ります」とかなんとか言って夕刊を手渡してくれた。彼にとっては、うちの駐車場の抜けて郵便受けまで歩いて行く手間が省けた程度のハナシだが、僕は、自分がまだこの家の人間と認識されたような気がして嬉しい。ついでに他の郵便物も郵便受けから取り出す。その中に、祖父宛のものがあった。ツアー会社からの分厚いDMだ。もう、おそらく、僕の祖父がここにのるようなツアーに参加できるくらい体調が回復することはないだろう。そう思うと胸が少し痛む。そんな状況とはつゆ知らず、DMの裏表紙には、元気でポップなデザインで、日本各地の観光地が並ぶ。そのギャップに耐えられなくなり、目を背けた。

実家のドアを開けて中に入ると、奥のリビングから母の声が聞こえる。靴を抜いて玄関に上がり、すぐ横にある祖父母の部屋を覗くと、祖父は寝息を立てて寝ていた。まだ手も洗っていないし、うがいもしていないので、中に入らず、首を突っ込んで、何度か息を吸った。祖父がここにいる時の匂いを覚えていたかった。この匂いも、祖父である気がした。母と祖母に挨拶をする。母はこのあと夕方に外で用事があり、母の弟、僕の叔父と彼の中高生の娘息子も来るらしい。叔父たちが来るまでの間、何度か祖父が呼び鈴を鳴らして、身の回りの手伝いをする。朝10時くらいに少し食事をしたらしいが、それから何も食べていないらしい。体が弱ってきて、食欲もなくなってきている。何度か、何か食べるかと聞くが、いい返事は返ってこなかった。栄養素が入った飲み物だけは飲ませた。

夕食には、この間作ってみて味をしめた、豚肉と野菜の塩麹酒蒸しと、味噌汁。その他惣菜などを、叔父が買ってきてくれた。食事前、祖父が起きたので、僕の従兄弟たちも祖父に挨拶に行く。珍しい人がきたので、祖父も少し頑張って、起きて少し会話をした。

僕が中学1年生のころ、父方の祖父が膵臓ガンで亡くなったのだが、末期ガンが見つかった後、一気に体調が悪くなり急遽、僕ら家族は父の田舎へ行った。病院に入院していた祖父は、もう口も聞けなくなっていて、薬の影響か、顔が腫れていた。一年に一度くらいしか会わなくなっていた祖父が、前に会ったころから大きく変わってしまっていて、戸惑った。その時の僕は中学生とはいえ、まだこころが幼く、その姿が怖くて、なにも声がかけられなかった。掛け布団から覗く左手をじっと見つめ、結局、触れられなかった。それが心残りだった。こちらに帰ってきた日の夜、夢にその祖父が出てきた。天国に行ってしまう前に、何かを伝えに来てくれたのかと思ったのだが、祖父は何も言わなかった。何も言わず僕を見ていた。僕は夢の中で祖父に向かって、全く戸惑うことなく、「おじいちゃんをがっかりさせないように生きていきます」、と言った。そんなことを思い出した。

従兄弟たちは、弱りきった祖父を見て、どう思ったのだろう。正月に、彼らが祖父にあった時にはまだ会話ができたのに、急な変化だ。後悔しないように、手に触りたかったら触ればいいし、声をかけたかったらかけたらいい。何をすればいいかわからなかったら、寝ているその顔を飽きるまで見ていればいい、とか思った。いずれにせよ、なにをしたって、後悔は絶対にするから。

寝室で寝ている祖父を抜いたみんなで食事をした後、母が帰ってきた。まだ祖父が何も食べていない、と聞くと、今からでも起こして何か食べさせたいと言い出す。母と叔父と僕で、いろいろお盆に乗せて持って寝室に行き、祖父を起こして食べたいものを聞き出すと、ぜんざいなら食べると言った。僕は切り餅を餅を四つに割って焼き、ぜんざいを温めて2切れの餅と混ぜた。結局祖父は、よそったぜんざいの汁半分くらいと、餅ひと切れ分しか口にしなかった。もう寝る、というので、洋服を寝巻きに着替えさせる。母と叔父が姉弟で協力しながら、祖父の脱ぎ着をなれない手つきで手伝っている様子を、僕はこっそり写真に撮った。着替えが終わった後、僕は温めたタオルで、祖父の顔や首を拭いてやり、髪をゆっくり撫でで整えた。手を片方ずつとり、拭くと、祖父が僕の手を握り返してくる。僕も、離そうとしていた祖父の右手を握り直した。しみもシワも増えた祖父の顔が、こころなしか穏やかに微笑んでいるように見えて、僕の気持ちも和らいだ。

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