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『手当たり日記 97』 記録の暴力と喪失のはざま 2024年2月14日

昨日、2月13日の日記。天気は晴れ。

朝6時半にアラームが鳴る。アラームを止める。眠すぎる。もう少し寝てしまおうか迷う。資料の準備なんて多少手を抜いてしまってもいい、と一瞬思うが、邪念を振り払い眠い体を起こした。着替えて顔を洗い、キッチンでコーヒーを淹れてボトルに注ぎ、朝ごはんを食べる。1時間半ほどで資料の準備を終わらせて、8時15分ごろに家を出て会社に向かう。

アシスタントとして働かされている時には、自分自身があまり状況を理解していなくてもどうにかなったが、ディレクターとしてはそうはいかない。自分が納得できていないことがあると、自分が困るだけでなく、結局は取材相手や同僚に無用な迷惑をかける。議論の中で、違和感があったり、引っかかることがあったので臆せず聞いた。人によっては簡単なことも、別の人にはえらく難しいことはたくさんある。会議の場で、変な遠慮をしてやり過ごしてしまわなくなっただけでも、自分はちゃんと少しずつ成長しているんだな、と呑気に思う。9時からの会議が終わったら、間髪入れず別の打ち合わせに入る。結局、オフラインの会議が全て終わったのは14時半。その頃には、空腹で腹が鳴り続けていた。15時から取材先とのオンライン打ち合わせがあったので、急いで近くのパン屋に駆け込みサンドイッチなどを買い、会社に戻って会議室で貪り食った。その後、事務的な業務をやって、今日は、例の先輩に現場を任せることにして早めに上がった。青山ブックセンターに寄ろうかと、少し思ったが、浪費する金はない。きっと今日がバタバタと忙しすぎて、充実感が得られていないのだ。この充実感を、金銭で解決する余裕などないので、早く家に帰って、しっかり料理をすることで不足感を埋めようと決めた。

帰り道で家の最寄りのオオゼキに寄る。精肉コーナーのバレンタインデーに乗じたポップが目に入る。その下には、いつものパックの中で、バレンタイン仕様としてハート型に折りたたまれ豚肉の細切れが律儀に収まっていた。つい、「豚からしたらこんなん、たまったもんじゃねーな」などと思う。鰤カマが安くなっていたので、咄嗟にカゴに放り込む。里芋の旬ももう直ぐ終わるだろうから、今のうちに買っておこう。家に、ダイコンがあったので、ぶり大根を作り、里芋とイカで煮物も作った。味噌汁には、粉末だが鰹節と煮干し出汁を使い、お揚げとじゃがいもとわかめを入れる。味噌は火を止めてから入れると美味い、ということを最近知った。ごちそうさまでした。

日記を書いて、風呂に入り、寝る準備もできたころ、ふと思い立ち、去年何回実家に帰って、何回祖父母と顔を合わせのだろうと気になった。スマホで撮影した写真を見返して数えようとしたのだが、思ったよりも、一緒に撮った写真は少なかった。祖父母とは関係のない写真と写真の間に、祖父母とは関係のない日と日の間に、写真に収められなかった時間があって、確かにあった日々が存在している。それは間違いがない。だけれど、その記録されなかった日々に、僕が祖父母に会っていたとしても、僕が思い出せない限り、その日がなかったことになってしまうような気がした。こんな不安を感じたのは、初めてだ。日記を書き始めて、毎日会ったことをかいつまんで記録し始めたから感じるようになった戸惑いなのだろうか。記録してしまう暴力性と、記録できなかった喪失感のはざまに押し込まれる。

スマホに残されている祖母と祖父の写真を順ぐりに見ていく。コロナ禍始まってすぐ、祖母と僕と3人で近所の桜を見に行った時の写真。まだ歩けなかった頃の僕の姪を抱く祖父の写真。杖をつきながらだが、一緒に熱海や金沢に行って外を歩いていた祖父の写真を見て、寂しさを覚えた。最近撮った動画や写真ですら、すでに辛くて見られない。実家に帰って、祖父に相対している時は、その顔をまじまじと眺められるのに、写真や動画だと辛くなる。祖父の容体はこれから、どんどん悪くなっていくのは間違い無くて、1日でも前の日の方が、たとえその時もうベッドから立って歩けなくなっていたとしても、今よりは良い。もうかつての祖父に会えないと思うと、気が滅入って憂鬱な気分になる。そんなことを考えていたら、ますます苦しくなってきて、心臓の少し下あたりがギューっと痛くなって、目頭からじわっと涙が出てきた。泣かないように目をパチパチさせると、直ぐに目は乾いた。目が乾くと、僕は何をこんなにメソメソしているんだろう、と急に冷静になる。

もうどうしようもうないことなのに。
そうだ、もうどうしようもないのだ。
もう僕にはどうしようもない。
会える時に会うことしかできない。
それしかできない。
鼻の先がツンとしてまた涙が出た。

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