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『手当たり日記 94』 祖父の兄妹 2024年2月11日 (4000文字)

昨日、2月10日の日記。

実家に行く日。昨日飲んだ疲労回復のことばのおかげか、クエン酸の働きのおかげか、寝起きがあまり辛くない。とはいえ、9時過ぎくらいまで寝ていた。ゆっくり起きてコーヒーを淹れて、ラジオを聴きながら朝食を食べた。ラジコで空気階段の踊り場を聴きながら、陽を浴びながらぼーっと過ごした。できるだけ早く実家に行ってしまった方が、親は助かるのだろうが、なかなか身体が動かない。平日の疲れを言い訳にして、午前中は陽当たりのいいソファーで過ごした。12時過ぎに家を出て駅に向かって歩く。そういえば今日から3日間は3連休だ。2泊分くらいのスーツケースを転がして僕を追い越して行く人が、何人かいた。彼らはどこに向かうのだろうか。実家に帰る人はいるだろうか。あるいは、少し遠くに、ひとと旅行に行くのだろうか。

天気が良くて、気持ちいいが、分厚いダウンを着てきてしまい、電車に乗っていると暑くなってきた。家までの坂を登るとさらに暑くて、上着を脱ぎたくなる。汗もかいてきた。今日は実家に、祖父の兄妹が来ている。実家の玄関に上がって、上着やリュックを階段脇に置く。祖父が寝ている寝室を除くと、ベッドに見慣れない点滴がぶら下がっていて、そのチューブが腕につながっていたいた。入って、メガネをしている顔を覗き込んだ後、点滴の袋をみると、「ブドウ糖加酢酸リンゲル液」と書いてある。きっと、先週より食事や飲み物を摂取できなくなってきているのだろう。息を整えてリビングに入ると、僕の両親と祖母、そして祖父の兄妹らしき人たちが、ダイニングテーブルを囲んで昼食をとっていた。僕に気付き、みな口々に何か言う。祖父の兄妹とは、物心ついてからは、おそらく全く会っておらず、最後に会ったのはちょうど27年前、僕がまだ生後4、5ヶ月くらいの時だったらしい。ほとんど初めましてだ。実際に、僕が名乗ろうとしたら、向こうから始めまして、と言われてしまった。来ていたのは、東京の西の方に住む祖父の妹、京都に住む祖父の弟夫婦とその息子の4人だった。簡単に挨拶をしてから、僕も食卓に加わった。彼らは、午前中から僕の実家に来ていて、僕と母で正月のあいだに簡単に整理した、祖父の水彩画作品の一部を品定めして。欲しいものをピックアップする作業をしていたらしい。祖父の兄妹は、祖父にそっくり、というわけではないが、鼻や目が似ていて、つい、顔をまじまじと見てしまう。この歳になって、ほとんと始めましての親戚に会うのは不思議な気分になる。この人たちとも、共有している遺伝子があるのか、と思うと、彼らの顔をじっとのぞいていても、自分のことを鏡で見ているような気持ちになってきた。祖父の弟、大叔父は軽度認知症があり、祖父より8歳年下だが、足取りもゆっくりで、歩くのにも周りのひとの手助けが必要だった。一方、祖父の妹、大叔母は、とても社交的でおしゃべりな性格。明るくて、冗談も言うタイプだった。前に、彼女の性格については何度か祖母や母から聞いたことがあったが、実際会ってみると、祖父との性格の違いに驚いた。祖父も歳をとるにつれ、丸くなってすこし冗談を言うようにはなったが、元々は子育てなどに関しては厳しいタイプ。どちらかと言えば、真面目な人だった。僕の祖母が、しきりに、祖父の妹は人懐っこくてみんなに可愛がられてきた、と何度も言っていて面白かった。

大叔父家族は、京都まで帰らなくてはならないため、新幹線の時間が決まっている。昼食を済ませてしばらく談笑した後、帰る支度をし始めた。テーブルから立ち上がるとき、大叔父の手伝いをするため、脇を支えた。今の祖父のように、痩せ細ってはおらず、少し肉厚な背中や脇に触れると、前の祖父を思い出した。大叔父は、振り返りながら、他人行儀に「すみません、ありがとうございます」と言う。距離を感じることばに、少し寂しさを覚えた。いや、なにしろ、ほとんど始めましてなのだ。祖父が衰弱してきて、別れが近くなってきて、僕が勝手に祖父の兄妹にも祖父の影を探そうとしているだけだ。きっと、僕がひとりで感傷的になっているだけなのだ。

大叔父たちと、大叔母が祖父の寝室に言って挨拶をする。僕は持ってきたカメラで、彼らの様子を撮った。兄妹が手を握り合う様子。顔を近づけあって、また会いに来るからね、と言う様子。そして、祖父を囲んで、みんなで集合写真を撮った。別れ際、祖父が声を振り絞って、兄妹たちに「また会いにきて」と言ってた。かすれて、大勢が集まって音をだしている状況で、うっかりすると聞き逃してしまいそうな声だった。大叔母が、力強く返事をして、祖父のシワとシミだらけの手を握る。

親戚たちが帰った後、皿を洗って、コーヒーを淹れて、僕らは一息ついた。母は、午後から歌のレッスンがあるらしく、足早に出ていった。僕は、昨日までの疲れもあり、自分の部屋のベッドに横になって、昼寝をする。アラームを15分後になるようにセットしておいたのに、目が覚めたら外が暗くなっていた。頭がぼーっとした。夕飯の支度をしないといけないと思い、勢いよくベッドから立ち上がると眩暈がした。1階に降りて、キッチンをうろうろする祖母に、「夕飯作るよ」と声をかけると、「なにをすればいいかわからないから、なんでも指示をしてほしい」と言われる。まだ目が覚めきってないみたいで、僕もなにをすればいいのかわからなかった。冷蔵庫を開けたり閉めたりして、古そうな野菜を使った中華あんかけ風の炒め物を作ることに決めた。

料理をしている間、祖父から呼び鈴で呼び出しがかかる。身の回りの手伝いをすることもあれば、夢や幻視を見ていて、うわごとのようなことを言うこともあった。祖父が安心できるように、答えたり手伝いをする。食事を作り終えて、父と祖母と3人で食事をとる。母は帰りが遅くなるらしい。

僕らの食事が済むと、祖父の呼び鈴。何か食べたいらしい。お盆に、あれやこれやを乗せ、寝室まで持って行く。あれもあるし、これもあるし、何が食べたい?と聞くと、どら焼きがいい、という。さっき来ていた大叔父家族がお土産で持ってきてくれた、近江八幡のたねやという和菓子屋のものだ。半分に手で割って、ひとくちずつ手渡しすると、ゆっくり自分で食べた。オレンジジュースを120mlくらいも飲んだ。すこし調子がいいようで、新聞も見たいと言うので、リビングから持ってきて手元に置く。祖父は黙って1面を見て、ページの隅をすこし触って、それからぼーっとして、閉じた。僕は、その様子をスマホで動画に撮る。しばらくすると、祖父がまた何かいい始める。顔を近づけて、聞き返すと、リビングに行きたいと言っている。でも、もう2週間くらい自分で立って歩いていないので、無理だろう。車椅子なら、と思い家中を探すが、前に母が介護用にレンタルしていたものは、もう立ち上がったり家の中を移動することはないと思い、返却してしまっていたようだ。ケアマネさんに、もう返して良いのでは、と言われたのかもしれない。おじいちゃんに、車椅子がないから今日は難しいかも、と謝る。一度は、分かった、と頷いたものの、向こうに行きたいと言って、起きあがろうとする。もう皮と骨だけになった足は、見るからに立てそうにない。祖父をベッドの縁に座らせてから、手を取って一緒に立ちあがろうとするが、足に全く力が入らず、結局立てなかった。なんとかして、祖父のやりたいことをやらせてあげたいと思うが、もう祖父の足は歩くための力を持っていなかった。僕は汗びっしょりになっていた。2階にいる父を呼び、ふたりで祖父をベッドに寝かせる。祖父は立ったり歩いたわけでもないが、立ちあがろうと、踏ん張ったからか、疲れてしまったようだ。横になると「気持ちがいい」と言って目を閉じた。そうだよね、疲れたよね、ごめんね。

夜11時過ぎ、母が帰ってきた。母がいない間何があったか説明すると、母は驚いていた。祖父は今日、3日ぶりに固形物を食べたらしい。それまでも、食べれるものはほんの少しだけだったが、昨日までの3日間は、声をかけても起きず、水も飲まなくなってしまっていたらしい。母は、心配になったのもあり、祖父の兄妹や、僕の姉家族がこれから祖父に会いに来るので、まだ意識を保っていて欲しい、と医者に伝えたところ、毎朝点滴を打って水分と栄養を補給するのがひとつの手だ、と提案されたらしい。金曜日の朝から点滴を打ち始め、今日は2日目。そのおかげがあるようだ。それに、今日は、祖父の兄妹が、もしかしたら10年超ぶりに顔を合わせた。それで、少し持ち直したのかもしれないということだった。それから、医者によると、祖父の癌はどんどん進行していて、喉と腹部に大きなリンパの腫れがあるらしい。それもあり、声が出しづらかったり、食べ物や飲み物が飲み込みづらくなっているのかもしれない。そういった状況はあれど、祖父の衰弱の一番の原因はやはり老衰で、おそかれ早かれ、お別れが週単位で近づいているのは間違いないらしい。母と話していると、もうすぐ88歳になる祖父が老衰で弱って行くのは仕方がないとはいえ、やるせない気持ちになり、なにか僕にできることはないだろうか、あるいは何をすればいいだろうか、何かできないか、と掴みどころのない焦燥感が溢れてきてしまう。

1時半ごろ。祖父の呼び鈴が鳴った。父と2階のリビングで話していたが、ソファから飛び起きて1階へ降りる。祖父の寝室に入り、部屋の電気をつけた。明るさに、隣で寝ている祖母が起きてしまうかと思ったが、顔を覗き込むと、寝息を立ててすやすや寝ていた。あたたかい布団に包まれて、頬が赤らんでいて、可愛らしいなと思った。祖父の身の回りの手伝いを済ませ、「おやすみ」と言って寝室を出た。手を洗っている時に、ふと我に返り、自分がここまでひとに尽くせていることに気づく。祖父がこういう状況になってから、頭で考えることなく、反射ですぐに対応してきた。今振り返るととても短絡的なのだが、手を洗い終えて鏡に映る自分を見て、これは愛だ、と思った。

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