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フィッシュアンドチップスの日 〜イギリス料理のおもいで〜

今日の晩ごはんはフィッシュアンドチップスだった。いろいろと偶然が重なり、さらには私のわがままを聞いてもらった結果訪れた幸運である。幸運の女神はこういう思いがけない場面で突然微笑んでくるのだ。私は突然の微笑みに心躍らせながら買い出しから母が帰って来るのを待っていた。今日はフィッシュアンドチップスだ!

フィッシュアンドチップスとはイギリス好き的には言わずと知れたブリティッシュソウルフードで、どんな食べ物かというと白身魚(基本はタラ)をフリッターのような衣で揚げた料理と縦切りカットのフライドポテトの抱き合わせメニューである。イギリスではフライドポテトのことを「チップス」と呼ぶのだ。ちなみにポテトチップスのことは「クリスプス」と呼ぶ。ポテチといえばサクサクとクリスピーなので覚えやすい名付けだと思う。

で、問題のフィッシュアンドチップスが心湧き踊るほどにそこまで美味しいのかというと、正直それほどのものでもない。なにせ魚の揚げたやつとフライドポテトなのだから、美味しいは美味しいけど飛び上がるほど美味しいということはない。でもそれで良いのだ。フィッシュアンドチップス最大の役目は郷愁をなぞるためにある。せいぜい一年しかいたごとがないイギリスへの想いを馳せるために食べるのだ、そして食べたくなるのだ。



私が初めてフィッシュアンドチップスと面と向かって対峙したのはイギリス留学中のことだった。留学で最初の4ヶ月だけ滞在したケンブリッジのホームステイ先では、月に1度、専門店で買ってきたフィッシュアンドチップスを夕食に出してもらうのが習慣化していた。

「ホームステイ」なんて言葉を使うとなんだか素敵な人情話が始まりそうだけど、申し訳ないがそういうエピソードは一切なく、私のホストファミリーは完全にビジネスで自宅の間貸しと食事の提供を行っていた。なので特に心温まる想い出というのはないのだが、このことに一番がっかりしたのは当の本人の私である。「ホームステイ」「ホストファミリー」という言葉から、どんな素敵な第二の家族が待っているのかと期待に胸を膨らませて渡英したのだから、がっかりもがっかり、まあでもこんなもんだよな、と自分を納得させるしかなかった。

もちろん食事や寝所を提供してもらえるのはありがたいことで感謝の気持ちもあるが、向こうも商売でやっていて、こちらも滞在費用を払っているので、過剰に美化することも貶す必要もない。学校で聞いた話だと、間貸しビジネスはイギリスではありふれたことらしい。だから私の滞在も、他の人同様に月並みだった。



月に1度のフィッシュアンドチップスの日は、ご夫婦の(特にワイフの)骨休めの日として機能していたようで、ここのご家庭はイギリスにしては珍しくそこそこ料理をなさるので、たまには何も作らない日を設けようという趣旨だったのだろう。休日に近くの専門店まで行って、テイクアウトして、それを持ち帰って自宅で食べるという習わしだった。私を含む数名の留学生はいつもご夫婦と同じ物を出してもらっていたので(食事の時間はご夫婦と分けられているので私たち留学生が一緒に食べることはない)、フィッシュアンドチップスの日はやはり私たちもフィッシュアンドチップスを食べることとなっていた。

初めてのフィッシュアンドチップスの日は、それはもうワクワクした。「専門店で買ってきてくるからポテトはフライかローストかどっちがいい?」とかなんとか聞かれ、自室で夕方が来るのをソワソワ待ち、帰ってきたホストマザーに紙箱を手渡された時の「あれ?」感は忘れられない。あれ、お皿で食べへんのや。え、これどこで食べるんやろう、そうか部屋か……。留学1〜2ヶ月で「一緒に食べた方が楽しいかもよ」と提案する力もご夫婦の長年の経営スタイルを変える力も私にはなく、しょぼしょぼと部屋に戻り、ベッドに腰掛けて目の前のデスクに紙箱を置き、「こんなもんかぁ……」と思ったものだ。

あちらのテイクアウト商品の多くは紙箱(マクドナルドのチキンナゲットのイメージだ)に入れられていることが多い。まだ日の長い夏のイギリスの夕方、私は一人自室に籠もり、フィッシュアンドチップスの紙箱に対峙した。油のにおいがして、蓋を開けて、ああこれがフィッシュアンドチップスか、と思った。あの瞬間の「ああこれが」感は今でも覚えている。

でーんと大きなタラのフライ一つと、縦切りにしたフライドポテトがドババッと入っていて、仕切りもなくあちこちに芋が散らばっている。マヨネーズのようなソースとグリーンピースを潰したソース、モルトビネガーと塩が小さなケースや袋に入っていて、「薬味は自分の好みで調整して食べてね」というメッセージが読み取れる。それがイギリスでは一般的なのだ。

日本で洋風の揚げ物というとフライ類をイメージするが、フィッシュアンドチップスの衣にはパン粉は使われておらずかなり天ぷら寄りで、衣はビールを入れるらしくフワフワかつサクサクしている。「余ったビールを入れてみたらサクサクになった」とか、そんな感じの誕生秘話が想像できるのもまた、パブ文化とビール文化が盛んなイギリスならではといえよう。



さて、その店のフィッシュアンドチップスが美味しかったかというと、特別そういうわけでもなかった。別添え薬味の例でもわかるように、イギリス料理の多くには下味という概念が存在しておらず、とにかく味に奥行きとか深みというものがないのだ。フィッシュアンドチップスの魚にも下味が付いていないためどこか物足りなかったし、フライドポテトにも塩が馴染んでいないため無味乾燥としていて、後から塩をかけようがソースをつけようがベースの物足りなさを補うことは難しかった。

おまけにフィッシュアンドチップスは油まみれの炭水化物料理で、野菜もお気持ち程度の豆ソースくらいしか入っていない。おまけにイギリスでは食事をこれ一つで済ませることも珍しくなく、こりゃいくらなんでも栄養バランスが悪すぎるなと胃が弱ってきた現在なら思うのだけど、当時はまだ22歳だったので特に気にならなかった。

ホストファミリーは年齢は聞いたことがないものの見た目の印象は還暦くらいで、毎月こんな油ギッシュメニューを食べられるなんて胃が強いにもほどがある。イギリス人の身体の丈夫さには食事以外にもフェス会場の疲れ知らずっぷりなどで散々感心し倒してきたが、私は心底イギリス人の肉体と伊袋が羨ましくて仕方がない。

ステイ先での夕食はその他にもハンバーガーにポテトとか、とにかく何かとポテトで、無類の芋好きだったはずの私も流石にもうポテトはいいですと思ったほどだ。今ですら揚げ物を食べるとちょっと胃がもたれるのに、還暦になって毎日ポテトが食べられるとは到底思えない。いやむしろ、還暦になっても食べられるように今から訓練していくべきなのだろうか。



イギリス料理について真正面から正直に語ってきたが、こんな書き方をしているとイギリス料理批判のように見えるかもしれない。しかしそんなことはない。これは立派なイギリス愛だ。私はイギリス料理が好きなのだ。イギリス料理を愛する者はだいたいこういうイギリス料理の愛し方をしていると私は見ている。

留学や仕事などでイギリスに滞在し、長期間にわたり口に合わない料理を食べ続けているうちに、だんだんと口が慣れ、舌が適合し、味覚の門が開かれる。という不思議体験を経てやむなく帰国の日を迎えると、どうしたことかみんなイギリス料理が忘れられず、好きで好きでたまらなくなるのだ。

人間の味覚というものは本当に信用ならない。何が美味しいとか不味いとか、全ては習慣なのだ。だから私はどこの国の料理は不味いとか、そういうことは言わないようにしている。イギリス料理は美味しいのだ。舌が適合しさえすれば、イギリスはおいしい(林望さんの『イギリスはおいしい』にもこんな話が書いてあったような気がするけど気のせいかもしれない)。



その後の話はというと、ホームステイを4ヶ月で終え、シェアハウス(みなさんがイメージするテラスハウスのようなものではない)に移り住んだり、ロンドンの語学学校に転校してまた新たなお宅に下宿したりしたのだが、思えばきちんとフィッシュアンドチップスを食べたのはあのホームステイの一人部屋でだけだった。

イギリス南西の海辺の町に旅した時にも魚は食べたが、イギリスには珍しく新鮮な魚が食べられるのだから揚げてしまってはもったいないと、ソテーにした白身魚を頼んだ。イギリスは島国の割に魚の流通が全然良くなくて、新鮮な魚を食べられる機会はほとんどない(だからこそフィッシュアンドチップスという揚げ料理が主流になったのかもしれない)。

日本でいうところのイオンとかイトーヨーカドーみたいなスーパーにも魚はあるにはあるが、なんと真空パックされていて日本人にとっては割と驚愕のパッケージだった。おまけにサーモンとタラくらいしかなく、それ以外の魚は貴重品でもあった。ちょっとした市場やスーパーのカウンターではもうちょっといろんな選択肢があったが、氷の上に並べられた捌かれる前の魚たちは目の色が透き通ってはおらず、おまけに切り身もダイレクトに置かれていたため、なんだか不安であまり買えなかった。

そんな背景もあって海辺の町で食べた魚のソテーはなおさら美味しく感じたのだけど、もしもフィッシュアンドチップスとして食べていたらきっと美味しかっただろうし、「これぞイギリス」な想い出が一つ増えていたのだろうなぁ。




留学から日本に帰って数年後、デパートで「大英国展」なるものをやっていて、ただのイギリスファンと化した私は行かないわけがないのだけど、そこで食べたフィッシュアンドチップスは揚げたてサクサクでたいそう美味しかった。なんとイギリス北部の離島にある専門店がわざわざ食材ごと来日しての実演販売で、この店はフィッシュアンドチップスのコンテストで上位を取ったらしい。もはやどこのフィッシュアンドチップスを食べているんだか分からなかったけど、私の「まあこんなもんかぁ……」な記憶はここで更新された。イギリスのフィッシュアンドチップスは、ちゃんとしたところが作ればちゃんと美味しいのだ。

だいたいなんだってそうで、美味しいものは美味しい。たとえば珍味系苦手食材の類だって(ウニとかイクラとか)、美味しいやつは美味しいし、まずいやつはまずい。最初にまずいやつに出会えばずっとまずいイメージが付いて回るし、最初に美味しいやつに出会えばずっと美味しいイメージが付いて回る。それはフィッシュアンドチップスも同じだ。美味しいのは美味しいし、まずいのはまずい。



そうしてあらゆる過去の郷愁に浸りながら食べた今日のフィッシュアンドチップスはとても美味しかった。今日のは「美味しいやつ」だったのだ。




※写真はイメージです

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綿生しあの

諸般の事情により関西ほのぼの村でゆっくり暮らしています。たまに長めの記事や地味な日記を投稿します。面白いのとかわいいのと美味しいのでごきげんを保つスタイル🌞note×KIRIN「紅茶のある風景コンテスト」準グランプリ https://pomu.me/wataseshiano/

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