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歌のリハビリ

人はこれをスランプと呼ぶのだろうか。聴きたい曲も歌いたい歌もなくなってしまった。心が枯れてしまったのかな。

物心つく前から私の人生は音楽と共にあった。子供の頃の記憶はほとんど無いけど、5歳の時にピアノを始めて、気がつけばずっと音楽と一緒。高校の部活は吹奏楽に入ったし、大学のサークルは軽音だった。

本当はずっと小さな頃から歌が歌いたかった。だけど歌を歌いたいだなんていうのは馬鹿にされそうで恥ずかしくて、私の心の中の一番大事なところに閉まってあった。

大学生になってもうすぐ二十歳になろうかという頃に歌を始めて、歌を歌うのは楽しかった。私は水を得た魚のように、ぱくぱくぱくぱく、歌いまくった。

あの頃の高揚感が今はただ懐かしい。気がつけば十年も経ってしまった。大学を出て、みんなで演奏することもなくなって、それでも細々と一人で歌うことを続けてきた。けど、ここにきて、なんでだろう、あんまり歌が歌えなくなった。

下手なりに歌詞を書き始めたことも大きいかもしれない。自分で書いた歌詞には当然、その時々の自分の気持ちが丸裸に反映されている。だけど人の書いた歌はどうにも自分の気持ちと遠くって、歌詞が心と繋がらない。意味を求めすぎるようになってしまった。

音楽は聴くのも好きだから、本来の私であれば、次から次へと新しい曲を一日中聴いて回ったりする。そうすれば自分の気持ちにしっくりくる曲を見つけることもできるのだろうけど、今は奇病の症状で聴覚過敏があって、音が脳みそに刺さる感じがするから、あんまり音楽も聴けなくなってしまった。

音楽、好きなのになぁ。

音楽って素晴らしくって、その時の感情ともリンクするけど、イヤフォンを付けて聴きながら歩くと街並みがぱぁっと明るくなる。散歩道が楽しくなったり、夜のネオンがイケイケになったり、寂しい帰り道に涙を流させてくれたり。

だから音楽を諦めたくないのだけど、今の私の身体では思い通りにできないことが多くって。楽器を弾こうにも色々模索したけどやっぱりあんまりうまくいかないし、アカペラじゃ面白くもないし。

そんなこんなで、ふと思い出して「Sing!」というスマホのアプリで歌ってみました。

いのちの記憶/二階堂和美

原曲通りのシンプルなピアノ伴奏で、イヤホンマイクをつけて歌ったのだけど、ずいぶん気持ちを込めて歌うことができました。最後にはちゃんと涙が出てきて、歌を歌って泣くなんていつぶりだろうと嬉しくなった。

いまのすべては
過去のすべて
必ず また会える
懐かしい場所で

いまのすべては
未来の希望
必ず 憶えてる
いのちの記憶で

久々に歌ったからあんまり上手くないけど、上手くない分、ここの歌詞は特に気をつけて歌いました。いまのすべては未来の希望なんだーって思ったら救われる気持ちがしたし、聴いてくれる人にも届きますようにと願った。

基本的に寝たきりなので肺活量やら腹筋やら色々と低下してどんどんへたくそになっていく一方だけど、また少しずつ歌っていきたいなと思った。歌のリハビリ、第一歩。

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