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サナトリウム生活からコンテスト受賞までの1年間。 #noteでよかったこと

私事ではありますが、この度4月24日をもちまして無事、「外に出なくなって1年目♡記念日」を迎えることができました。「外に出なくなって」とは文字通りそのまんまで、なんとこの私、1年間、家から一歩も外に出ていないのです。そう、ただの一歩たりとも!!!!

1年も外気に触れないなんて、こんな経験なかなか出来るものではありません。

ここはサナトリウムか?隔離施設か?ジブリ映画の世界か?私は菜穂子か?もうすぐ死ぬのか?自分は今どこに生きていているのか?なんのために?

そんな、何がなんだかわからなくなる生活を1年も続け、時に笑い、時に涙し、やっと迎えた記念日です!別に明るい話題でもなんでもないですが、否が応でも始まったからには乗りかかった船!

私は自分を褒めてやりたい!!
よくぞ頑張ったと!!
よくぞここまで我慢したと!!

と、冒頭からおかしなテンションになりましたが、私が家の外に出ていないのは、何も奇抜なチャレンジのためではありません。引きこもりでもありません。

ちょうど一年前、謎の奇病に侵されていることが発覚した私は、あまりにも謎過ぎて入院するわけにもいかず、やむなく家での療養生活を始めることになりました。我が身に降り掛かったのは「全身が激しい痛みに蝕まれ、おまけに意識が混濁する」という悪質極まりない謎の奇病。地球の重力すらも痛みに変えるそのポテンシャルはとどまるところを知らず、もはや「珍病」の域に達していました。

珍病生活が始まり、なんやかんや言うてる間に二足歩行すらままならなくなった私。学生がロボコンとかで開発しているしょぼめのロボット(見た目のイメージは先行者)よりも足の性能が悪くなりました。この時私は思いました。「足ってめっちゃ便利やん」

そう、足はめちゃくちゃ便利なのです。人間界を生き抜くマストアイテム、それが足。私の場合、足はちゃんと付いているものの使い物にならないため、便利グッズ(足)に代わるアイテムとして、車輪の付いた便利な椅子に座ることになりました。日夜廊下をゴロゴロガラガラと押してもらうと、そこはまるで遊園地のアトラクションのよう。廊下を通りすがりに手を振る家族はまるで「イッツ・ア・スモール・ワールド(ディズニーランドの地味アトラクション)」の動く人形の如し。小さな障害物の真上を接触せずに乗り越えた時は、さながらアクション映画のようで、ギリギリセーフで列車に轢かれずに済んだシーンとシンクロし、面白すぎて箸が転んだように笑いました。

しかし、車輪付き便利椅子には大きな弱点がありました。それは段差。我が家は『劇的ビフォーアフター』に登場する珍物件と大差ないほどの段差数を誇る珍家屋。車輪の付いた椅子では越えることが出来ない壁、それが段差なのです。『SASUKE』のファーストステージ最後の関門である「そり立つ壁」並に、いやそれ以上に、越えられないもんは越えられない!車輪と段差、それすなわち水と油。

段差を前に黙っていても劇的な「アフター」が発生するわけもなく、ただただ「ビフォー」なだけの珍家屋での生活。そんなわけで、私にとっては「外出」など夢のまた夢。「塔の上のラプンツェル」ならぬ「塔の上の武田鉄矢」(鉄矢に似てるから)として、日々窓の外を眺めながら風変わりな暮らしを送ることになりました。

すると、なんということでしょう。だんだん、「外の世界」の存在があやふやになってきたではありませんか。私の視界に映るのは、「窓から見える一部の空」「テレビの中のざわついた世界」「スマホから見える人々の生活」、これら三つの世界のみです。

もしも私がいつのまにかSFの世界に飛んでいて、地球規模のドッキリで「テッテレー!実は家の外では地球が滅んでましたー!」と言われても否定のしようがないくらい、心底社会との接点がありません。もしかして私、実はパラレルワールドにいるのでは?ここはパラレルワールドなのではなかろうか?ここはパラレルワールドなのかもしれない……。

私が暮らすこの世界が、パラレルワールドではないという保証がどこにもないのです。皆さんにこの文章が届いているかどうかも確証が持てません。なぜならそれがパラレルワールドなのだから(私は何を言うてるのでしょうか?)。

話がややこしくなりましたが、さて、そんなパラレルワールド疑惑生活において登場するのは、家族(毎日)とお医者さん(月2回)だけです。家族は看病と仕事で死ぬほど忙しいので話す時間もほとんどなく、私が1日にと生身の人間と会話できるのはせいぜい15分程度でしょうか。それでは寂しいからと家族以外の人、たとえば友達と電話やチャットをしようにも、諸般の事情(珍病)により意識が朦朧とするのでそれも叶わず。もちろんお見舞いも無理で面会謝絶です。そもそも同世代の人たちはみんな忙しいし、仕事や子育てでてんやわんやしています。朝から晩までパラレルワールドでぼんやり過ごしている私に付き合っている場合ではないことは百も承知なのです。

私は元々文章を書くのが好きでした。しかし文学部や芸術系の学校出身ではないため、周囲には文章で何かを表現するという文化がなく、私のパラレル生活記録を読んでくれる奇特な趣味の人などそうそういるはずもありません。たまに文章を書いたとしても発表する場もなく、読んでくれる人もおらず、話し相手もおらず、パラレルワールド疑惑はますます深まるばかり。このままではいつ地球が滅んでも、本当に私は気づかないかもしれないーー。

そんな時ーー
私はーー
noteにーー
出会ったーー。
(各自でウルルン滞在記のナレーションを入れてください)

すみません、張り切りすぎて前振りが長くなりましたが、ここからが本題です。昨年の春、私はいろんな意味でフレッシュでした。珍病にも、サナトリウム環境にも、何もかもに不慣れで、救いを求め必死であがいていた。あえて真面目な風に言うと、「こんな思いをする人がこれ以上増えてはいけない」と心底本気で真剣に思い、インターネット上で執筆活動をすることに決めました。そのフィールドに選んだのが、noteだったのです。

啓発活動と称して、珍病の紹介記事を初めて投稿したのは昨年6月のこと。この記事は自分が想像していたよりもずっと多く、たくさんの方々に読んでいただけました(内容的に未熟だったため現在削除済み)。応援の声を掛けてもらったり、病気について理解を示してもらったり、コメントを交わして交流し行ったり。そこで初めて、私は「自分の声が世界に届いた」と感じることができたのです。

noteの雰囲気はとにかく温かかったです。殺伐としがちなインターネットにおいて、まだこんなほのぼのとした空間が作れるなんて。言い方が少し資本主義社会に毒されたビジネスマンみたいになりますが、ユーザーや情報など、あらゆる「質の良さ」を感じました。実名のユーザーも数多く在籍していて、自分の発言に責任を持った人たちの存在は信頼感がありました(私は珍病の都合でペンネームにしていますが、情報の正確性には気を付けてきます)。匿名社会になりがちのインターネットにおいて、実在する人とコミュニケーションが取れている実感が生まれました。

今までの人間関係とは違う、新たな人との出会い。パラレルワールドにいては、既存の友人関係の維持はできても、新たな出会いなど到底得ることができません。noteは私にとって「外の世界」「社会との接点」となりました。

もしもnoteがなかったら?今の私はどうなっていたでしょうか。あくまで想像に過ぎませんが、きっと1年前と同じように、寂しくて悲しくて惨めで、毎日泣いて暮らしていたかもしれません。もちろん起きなかった未来を推測することはできませんが、noteとピースオブケイクの皆様には本当に感謝しかありません。

病気の啓発のために始めたnoteでしたが、文章を書き続けるうちに、自分の中で「書くこと」の目的が変わっていきました。言いたいことや訴えたいことを書き尽くしてスッキリしたのか、私の中から「病気の私」が少しずつ消えていって、「本来の私」が顔を出し始めました。

「本来の私」は冗談が好きで、人を楽しませたいとか人を笑わせたいという思いが強い人間です。今は人とのリアル会話は難しいけど、文章でならそれに近いことができるかもしれない。いろんな人の創作を見るにつれ、私もまた、自分が好きだったものや楽しいと感じるもののことを思い出しました。そして、人を楽しませる文章が書きたい、「表現」がしたいと思うようになりました。

病気でもそれ以外でも、世の中にはきっとたくさん苦しんでいる人がいて、だけど私にはそれらを治すことも減らすこともできない。それでも、当初の活動動機であった「こんな思いをする人がこれ以上増えてはいけない」に対して、文章で行動が起こすことができる。私が生み出したもので人が笑ってくれたら。少しでも楽しい気持ちになってくれたら。そんなに嬉しいことはありません。

note編集部さんが新しい作家の発掘にも力を入れていることも、大きな「書く動機」へと繋がりました。私もいつか元気になったら、今の活動が将来の仕事に繋がるように、それまでは文章力を身につけたい、いろんな人との繋がりを作りたい。そう思うようになりました。実際、自分の体が今後どうなっていくかはわかりません。だけど、不安でいっぱいで将来の希望なんてひとつもなかった私の生活に、noteは夢を与えてくれました。

人は「夢」がないと心がしんでしまう生きもののようです。叶わない夢でも、叶うかもしれないと思うから、今日も明日も生きようと思える。サナトリウム生活において大切な生きる源を、noteは与えてくれました。

そうして本当の書く動機を見付けた私は、自分の日常生活や過去の思い出話をエッセイとして書くようになりました。基本的にはおもしろおかしく、時にはド根暗涼子な一面が顔を出してセンチメンタルな作風にもなりました。本当に書きたいことを書くのは楽しいことでしたが、一方で、奇病をテーマにしていた頃ほど閲覧数は伸びなくなり、スキも減ってしまったことが悩みの種になりました。「私って……奇病ネタがないと才能ない!?」そう思うには順当な流れです。

そんな折、note×KIRIN午後の紅茶主催のコンテストが開催されました。「#紅茶のある風景コンテスト」という企画で、イギリスと紅茶が大好きだった私には参加しない理由などありません。書きたいことがいくらでも出てくる、ぴったりのテーマでした。

珍病に冒された私は、スマホを触れば触るほど、文章を書けば書くほど手足や全身が痛くなります。音声入力を使っても体への負担は大きいし、正直、今この文章を書いている瞬間もめちゃくちゃ痛いです。これは普通の人よりハンデを背負っているということで、同じ文章を書き上げるのに、100m走でスタートしても、私のコースにだけ剣山がみっしり敷き詰めてあるような状態です(謎の例え)。走れば走るほど痛くなるし、たまに転んで全身ズタズタ、全然前にも進めません。句読点一つ打つにも必死です。決死の100m走には痛みと時間が伴います。

それでも私は書きたかった。人よりハンデがある分、時間を掛けて毎日少しずつ書いていきました。タイトルは『イギリス紅茶実習』。イギリス留学と紅茶にまつわる思い出エッセイで、当時は普通の元気な若者だったので、当然病気の話題も出てきません。このエッセイを書いている間だけは、珍病のことも何もかも忘れて、あの頃の、「本当の自分」に戻ることができました。ユーモアもたくさん盛り込んで、もう直すところがないくらい「てにをは」のレベルでも気をつけて、何日もかけて書き上げたエッセイは、自分でも大満足の出来になりました。

そして訪れた去年の年末。結果発表の結果……(ここでドラムロールが鳴り響く)。私は「準グランプリ」をいただくことができました。グランプリ受賞作は漫画だったので、実質、応募された文章作品の中では「一番」に選んでもらえたということです。

私、人生で一度も賞とか貰ったことがないんです。この時は本当に、ただただ嬉しくて、信じられない想いでいっぱいでした。確かにすごく頑張ったけど、だからといってまさか賞がもらえるとは思っていなかった。本当に本当に嬉しかったし、「努力って報われるんだ……!」と強く思いました。前述の通り、応募エッセイには病気のことは一切書かなかったので、ということは、これは温情でもなんでもなく、本当に自分の実力と努力で勝ち取った賞なのだと思いました。普通の時ですら賞を貰ったことがなかったのに、こんなにハンデがあっても、努力を重ねて勝ち取ることができた。

本当の自分を見てもらえた。
努力が実った。
嬉しい、嬉しい、嬉しい……!!

コンテストの規模は小さなものかもしれないけれど、私にとってこの賞は本当に大きな自信につながりました。今も文章が思うように書けない時や、自信をなくして挫けそうになった時、「でも、準グランプリもらえたやん!」そう思うことで、強く強く、励まされるのです。形にはないトロフィーが、私の心の中で永遠に光輝き続けているのです。

受賞から4ヶ月が過ぎて、春になり、私は今も文章を書き続けています。執筆に慣れるとだんだん想像力がついてきて、近頃は架空のお話を考えるようになりました。身体的になかなか文章を書くのが難しい時でも、目を瞑って、物語を考えて、頭の中にもう一つの世界を作って、楽しむようになりました。これが「想像の翼を広げる」ということだったのか。

想像の翼を得た私は、去年とは比べものにならないくらい楽しい生活が送れています。サナトリウム生活でだって、目を閉じるだけで、夢を見ることができるのだと、教えてもらったから。

あの時の受賞作品ほど時間を掛けた文章を書くのは、やっぱり今の身体ではなかなか難しいです。だけど一週間に何度か、簡単な文章なら書くことができる。そんな生活の隙間から産まれたような文章であっても、「あ、これちょっと面白いかも」とか「更新されてる!」とか、そんな風に楽しみにして読んでくれる人がいたら。私もまた書くのが楽しみになるし、生きるのも楽しみになってきます。

「書くこと」には意味があると感じています。苦しいときほど冗談を言いたくなったり夢を見たくなるのは、はたして私の性分なのか、それとも人間の性なのか。どっちかは分かりませんが、きっと同じような人がこの日本にはきっとたくさんいるのだと思います。そんな見えない仲間たちが楽しめるような、明るい気持ちになるような、パッと視界が開けるような、夢に溢れた文章をこれからも書いていきたいです。

最後に好きな言葉を紹介します。

"Take your broken heart, make It into art"
「傷ついた心を芸術に昇華しよう」

メリルストリープさんの言葉です。

冗談を交えて軽く書くつもりがすっかり長くなってしまいました。熱が入りすぎてユーモアの部分がスベッてたらごめんなさい(修行します)!

こんなにも長い文章を、最後まで読んで下さってありがとうございました。画面の向こうの、外の世界に暮らすあなたへ、私の想いが届くことを願って、この文章を投稿します。


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もっと良い文章書くぞ〜!



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