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アイスランドの朝焼けと、いつもの部屋の夕焼けと。

世の中にはありとあらゆる楽しいものや綺麗なものが溢れているけど、空ほど面白いものはないと思う。ふと見上げた空の美しさにもハッとさせられるけど、「さあ空でも見るかな」と腰を据えて何十分もじっくり眺めると、これはもう何物にも変えがたい見応えがある。

雲は流れたり止まったりして姿形を変えて、太陽は少しずつ傾いていつの間にか朝は昼になり、昼は夕方になり、夕方は夜になっている。そのうち月が現れて、「今日はどんな形かな」と眺めてみると昨日より少しふっくらしていて、そんな毎日を繰り返すうちに気が付けば満月になっている。

私が観測している空はずっと同じ西側の窓から見える空たった一つで、なのにこんなにも変化している。たった一箇所の同じ場所から切り取られた景色を見つめ続けているからこそ、より細かな変化を感じるのかもしれない。私のお尻の下では確実に地球がゆっくりゆっくり回っていて地球はやっぱり丸かったのだなぁと思う。太陽がどんどん落ちて行って、鶏ささみフライみたいな形の雲の下側に光を当てている。

真っ赤な空を見るといつも23歳の時に見たアイスランドの朝焼けを思い出す。あれは12月のことで、太陽が出ている時間がほとんどない北欧の冬、自然地帯の観光のため早朝に集合した私たちは、観光用の貸し切りバスに揺られて北へ北へと向かっていた。進行方向右側の席に座った私はイヤフォンでシガーロスを聴きながら、果てしなく続く真っ白な雪原をただただ眺めていた。

あれは10時頃だっただろうか、東の空に太陽が現れて、あたり一面雪と木しかない世界を見たこともないオレンジ色に染めていった。雪の白に太陽の光が反射してキラキラと輝きながら、地平線の上も下もすべてを太陽の色が満たしていた。人生最初で最後の圧倒的に美しい朝焼けだった。私はイヤフォンから流れるシガーロスを聴きながらどうしてこの国でこの音楽が生まれるのかを理解した。

その後バスが到着した場所には大きな大きなクレーターがあって、窪んだ地形の縁が丘上に盛り上がっていた。私はその丘の上から視界が足りないくらいにいっぱいに広がった朝焼けを見つめて、生まれて初めて自然のあまりの美しさに勝手に涙が出た。

あの頃は何もかもが分かっていなくて、私は愚かで、だけどあれでも精一杯生きていた。あれから8年という驚くべき年月が経って、今この部屋から私が見つめている太陽は、8年前と同じ太陽だ。私たちは美しい朝焼けや夕焼けを見にあちらこちらに移動するけれど、結局目の中に捉えているのはたった1個体の太陽なのだと思うと、幸せというのはどこにもないようで目の前にあるのだという気がする。

あの頃の私と今の私どちらが幸せに生きているかといえば断然今の私だ。幸せは砂金取りのようなもので、本当は最初から手の中にあるはずなのに、たったひと粒を探し出すのが難しくて諦めてしまいそうになるらしい。私の心は今、単純な夕日を見て楽しめるほどに豊かになった。私が見ている空は世の中が見ている空よりずっと小さくて限られたもので、かつての私ならきっと他の空や太陽を探しに行ってしまっていたようなものだ。それでも今の私があの頃の私より幸せなのだとしたら、きっと幸せは状況が作るものではなく自分の心が作るものなのだと思う。

あの時のアイスランドの朝焼けも、今この部屋からみる西窓の夕焼けも、私はそのどちらも本当に美しいと思う。生きていることは素晴らしいのだ。こんなにも美しい地球に生まれたのだから。



5/21 この部屋の西窓より撮影




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綿生しあの

諸般の事情により関西ほのぼの村でゆっくり暮らしています。たまに長めの記事や地味な日記を投稿します。面白いのとかわいいのと美味しいのでごきげんを保つスタイル🌞note×KIRIN「紅茶のある風景コンテスト」準グランプリ https://pomu.me/wataseshiano/

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コメント2件

美しい。これは叙情的な文章と美しい写真数葉から成る、一編の詩だと思います。
しあのさんの窓から見える空、素敵ですね😉そろそろ、いわし雲が見える季節になりますね。
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