言いたいことがそもそもないGTOと、岸辺の解像度が低い赤いスイートピー

白い巨塔を観てからなぜか文章が上手く書けなくなってしまった。書きたいことが見つからないというか引き出しの中が空っぽな感じがする。あれだけの壮大なテーマを目の前にして自分の中の小さな問題など全部どうでもよくなってしまったのかもしれない。物事へのこだわりを減らすことは私の目標でもあるので(その方が気楽に生きやすい)良いのだけど、こだわりをなくすと世の中の何も気にならなくなってしまうので文筆業にとっては致命傷でもある。気楽に生きたいのに運命が気楽に生きさせてくれないよ……!!

近頃の私は現状にも満足しているためなおさら言いたいことがない。取るに足らない日常に満足する力は幸せに生きるために必要不可欠だと思うし、それが身に付いてきたことは喜ばしいが、言いたいこともない物書きなんて言いたいことも言えないどころか言いたいことがそもそもないノーポイズンなGTO同然である。「毒を変えて薬と為す」とも言うし、多少の毒は体内に取っておいた方が良いのかもしれない。毎日すみっコぐらしと笑点火曜なつかし版ばかり眺めていては老けた小学生みたいになってしまう。楽太郎と歌丸の攻防はどうしてこんなに面白いのだろう。

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ところで『白い巨塔(2019)』に俳優の岸部さんが出ていた。解剖学の教授役で、私は「あ、岸部さんや。岸部さんといえば……こないだ西遊記に関西弁のカッパの役で出てたな。中国なのに関西弁て。どういうことや」と思ってそのまま観ていた。しばらくしてなんかちがうと思い調べると、白い巨塔に出ていたのは岸部一徳さんで、西遊記に出ていたのは岸部シローさんだった。同じ岸部でも大違いである。一人は大学病院の偉い教授、もう一人は関西弁のカッパ。私は己の岸部の解像度の低さを恥じた。岸部を見分ける能力が極端に低いのだ。

しかしそれもこれも全ては松田聖子さんの『赤いスイートピー』のせいである。サビの終わり、「心の岸辺に咲いた赤いスイートピー」のくだりで私は昔からどうしても岸部シローを思い出してしまうのだ。しかしある時期から岸部一徳も思い出すようになり、岸部がシローなんだか一徳なんだか、どっちがどっちかわからなくなってしまった。まあどっちの岸部だったとしても心の岸部というのもよく分からないし、心に飼うにしても虎とかライオンとかじゃなくて岸部というのもちょっとよく分からない。しかもスイートピーが咲いているので楽しげでもある。となると案外いいかもな、心の岸部。

白い巨塔と赤いスイートピー。紅白でおめでたい組み合わせではないか。私の頭の中も随分おめでたくなってきたようで、これは良いことである。おめでたいかおめでたくないかで言ったらおめでたい方が良いに決まっているのだ。私はこれからも赤いスイートピー片手におめでたい人として生きていきたい。

心の岸辺に咲いた赤いスイートピー。
あなたの岸辺は、どの岸部から?

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