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さざなみダイアリー⑤

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喫茶店をしていて嬉しいなあと思うのはやっぱり「おいしかった」と言ってもらえる時。まあ社交辞令かもしれないけれど、そんな一言があるとそわそわする心も少しは落ち着くのだ。だけど、いつでも「おいしい」が手放しに嬉しいかというとそういうわけでもない。

11月の青い鳥ハモニカでの滞在制作期間にご飯を担当することになった時のこと。海太郎さんとトウヤマさんは普段どんな生活をしてるんだろうか。店のメニューと冷蔵庫、それから味付けのリズムに練習中に食べやすいもの...、あれこれ考えながら食事を作る。できるだけ趣向を凝らしつつも、できればこの際冷蔵庫の整理もしてしまいたい、そんなよこしまな気持ちも抱きつつ。
日々の食事に対して、海太郎さんはいつも「おいしい」と言ってくれた。しかも、どこの何々が、とディテールをしっかりと伝えてくれる。その度、私はほっと安心して「よし次はこんな風にしよう」とか、褒められた子供みたいに頑張ろうと思うのだった。

その中で特に喜んでもらえたのは、おにぎり。お米の固さと塩加減を妙に気に入ってくれたのだ。うちの店にはお茶碗がないので、ランチでも塩にぎりを出しているし、合宿中いつでも食べやすいと思ったので昼と夜はそうしていた。演奏会の前日、二人は最後の調整に本腰を入れるため、昼食も練習場で食べることに。どんな食事がいいか悩んだ私は、軽いおかずと鮭と梅の入ったおにぎりを渡すことにした。

すると、このおにぎりがどうやら二人の予想を裏切ったらしい。なんせ塩むすびと思って食べたら、具がしっかり入っていたのだから。このおむすびのおかげで私は海太郎さんから滞在中で一番の「おいしい」をいただいた。あ〜よかったなあって喜びも束の間、あることに気づく。「もしかして、もう塩むすびは出せないのでは…?」心地よい言葉と共に、グーンとハードルを上げられてしまっていたのだった。

あの時は驚いたなあ。「おいしい」がスパルタな呪文に変わってしまうのだから。今でも相変わらず、他人に食事を出すのは慣れないけれど、色んな人の「おいしい」でどうにかこうにか頑張ってしまう私は褒められ上手だと思うのだ。
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「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。