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顔面麻痺になった話。

狭いワンルームの部屋に引っ越して、部屋の更新を7回程した。

特に不満があるわけではなく、ただただ年齢とともに手狭に感じることが多くなった。
「住めば都」とはよく言ったもので、立地場所、家賃光熱費、交通の便など特に何も不満といえる不満はなかった。狭さ以外は。

マンションの裏には林というのか、山というのか。田舎と呼ぶには少し都会の雰囲気がある地域ではあったので、そこが少し不思議だった。
自然があるのは悪いことではないし、端の方の部屋でもなかったので、その時は何も感じなかった。

住んで数年は出てくる虫の多さに苦戦する毎日。
もともと虫が苦手なのに、ムカデは当たり前。カメムシも洗濯物に隠れていて。カマドウマなんか現実に目にするのは初めてだった。
玄関を開ければ目の前には手のひらより大きな蜘蛛。
ぴょんぴょんする蜘蛛しか見たことがなかった私は、すぐにあの大きな蜘蛛の種類を調べた。
アシダカグモというらしい。動きが速すぎて初めて見たときは悲鳴をあげた。
帰宅するとカマキリが玄関の前に居座っていたり。蛾もよく飛び回っている。
引っ越しを決意するには充分すぎる理由がたくさんあったが、どれも決定打には欠けるものであったことも事実。

初めの3年は、あの黒い彗星が1年に1匹は見た。
特に戦うのも嫌なので、水回りはとにかく念入りに掃除をしていたのに、視界に入った時は絶望だった。
どこから入ってきてるんだろう…と倒した後も疑問で仕方なかった。
黒い彗星の数よりもムカデの数の方が圧倒的に多かったが。

数えるのも忘れるくらいの回数の部屋の更新を申し出た直後に、日ごろの努力のおかげなのか何年も見てなかった黒い彗星が冷蔵庫を置いてる場所の壁に鎮座している。
マンションの住人も住んでる間に外国人留学生が増えたり、上の住人が時間にかまわず掃除機をかけたり。
深夜に怒鳴り声も聞こえるようになって、いよいよ引っ越しをまじめに考えるかと思っていた頃でもあったので、目の前のそれを見た瞬間に引っ越しを決意した。

更新が2年なので2年かけて準備した。
もう引っ越しをするものだと決意してからは住人の生活音など気にもならず。その間出てくる虫には相変わらず苦戦をしていたが。

更新の年になってからは断捨離の毎日。
夏に引っ越すと決めてもいたので、それに向けて準備をしていた。
今年(2022年)の4月に、我が部署に新人が入ってきて、それまで仕事に対して自覚はしていなかったストレスが少しずつ芽を出してくる。
今まで1人だったのに急に自由を奪われたとも感じた。
そして人を育てることは大変なことなんだと痛感する毎日。
家に帰ると引っ越しに向けての準備。
休みという休みは何かしらの予定を詰め込み、家でゆっくりするなんて時間は確かになかったかもしれない。

モンハンRISEの発売を皮切りに、Twitterで狩友を作り、ランクをあげ、モンスターにやられながらもいつも楽しい時間を過ごしていた。
引っ越し間近になってからは早々にswitchを箱に詰め、ゲームというゲームは箱の中に封印した。
それもそれでストレスだったかもしれない。ギリギリまで箱に詰めるのではなかった…と思った。ほんとに。

新人が部署にきたことにより、自分の好きなタイミングで引っ越しができなくなったので、お盆期間中を利用して引っ越すことを決意。
部屋探しも難航してたけど、縁がありとてもいい不動産屋さんを紹介してもらい、少し予算オーバー気味ではあったが、仕事を頑張る理由として新居を契約。
引っ越し業者も友人のツテでゲーム好きな引っ越し業者さんを紹介してもらった。

人の引っ越しはテンションがあがるものなのか、周りの友人がみんな快く荷造りから掃除から手伝いに来てくれた。
車を所有している友人は新居用の買い出しにも連れて行ってくれて、ほんとに引っ越しの準備はとんとん拍子だったように思える。
周りに恵まれたなと毎日みんなにありがたい気持ちでいっぱいだった。

おかしいと感じたのは引っ越しの前日。
左目から涙がずっとあふれてくる。拭っても拭っても、まばたきを2,3回したらまた涙。
その時はほんとに何も感じずに、ただただハウスダストアレルギーが爆発でもしてるのかと、さほど重大に感じなかった。

引っ越しの当日。
業者さんより午後になると連絡が入っていたので、午前中に役所、警察署に行って住所変更。
午後の引っ越しに向けて最後の片づけ、掃除を友人と。
その時すでにまばたきが半分は出来なくなっていた。涙もずっと流れていた。

「なんか、目がおかしいよ?」と友人から指摘を受け、わかってると返して作業。
その時も引っ越しが落ち着いたら治まるでしょ、と楽天的だった。
しかし、その日の夜、歯磨き時に口をゆすぐと口の端から水がこぼれていく量があきらかにおかしいとさすがに違和感を感じた。

引っ越し日翌日。会社の後輩が荷ほどきの手伝いに来てくれた。
あきらかに顔の違和感を自分自身も鏡で目にした。
左側の顔がなんとなく下がっていて、まばたきは完全に出来てない。
でも本人は頭ではまばたきをしている。
口角も頭で考えてるよりも明らかに動いていない。
眉毛の位置も、右の眉毛より明らかに下にいる。
眉毛も口角もまぶたもすでにこの時動かなかった。

言うかどうかすごく迷ったと思う。
後輩が「あの…、それはウインクを私にしてきてるんですか?」と突然。
何の話だろうと思って聞き返すと、「まばたきのタイミングだと思うんですけど、こっち(左の目を指さして)側の目、白目むいてますよ?」

その発言を聞いて、自分ではまばたきが不自然ながらもできていると思っていたのに、はっきりと言われてしまうとそんなにもまぶたが動いてないのかとショックを受けた。
もしかしてこれって顔面麻痺というやつなのでは…と初めてその単語が頭に浮かんだのを覚えている。


顔面麻痺とは、自分の意志に筋肉が反応していない状態のことなのか。
動かそうと思っても動く気配がない。
世間がお盆休みとあって、もちろん病院も開いてるわけもない。
左の顔面が動かないまま(あとついでにガスも通ってないまま)、お盆を過ごした。
民間療法で顔のマッサージがいいと書いていたので、スキンケアをするタイミングでマッサージをする。
気持ち的になんとなくマシになったように思えたけど、そんなことはなかったのかもしれない。
自己暗示で顔面麻痺という現実から逃れようとしていたのか。

幸いにも弊社のお盆休みが世間のお盆休みより長いので、すぐに病院に行ってきた。
過去に真珠種性中耳炎で入院していた時に、同室に顔面麻痺の大学生が入院してきたこともあって、顔面麻痺の受診は耳鼻咽喉科だということは知識としてあった。
念のため病院に電話をして、午前中は患者さんが多いので午後からの方がいいのではとの答えだったので、午後から受診。
この時にはもう眼帯をしなければならないくらいに涙がとまらず、空気による刺激で目が激痛だった。
眼帯をすると、空気による刺激が遮断されるためか、かなり楽になった。
平衡感覚と遠近感はなかったけど。

医師の先生の前で自覚している病状の説明。
軽く顔を動かすテストみたいなのをさせられ、医師の口から出た言葉は

「間違いなく顔面麻痺ですね。顔面神経麻痺といいます」

あー、やっぱりか。
なってしまったからか、ショックよりも正確に今自分が罹患しているものがはっきりとわかったからなのか、安心の方が強かった。
何が原因でそうなっているのかを調べるために、血液検査をする。
町医者の病院なので、検査結果が出るころにまた来てくださいと言われ、きっとおそらくウイルス性だと思うのでその薬を出しておきますとのこと。
処方してもらった薬を調剤薬局で出してもらうと、今まで出されたことない量の薬で驚いた。

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これを毎食後に飲むのか…ステロイド剤…とは…
この量を見て自分は病気なんだなと実感。

仕事は出勤し続けた。新人がいるとはいえ、もともと私1人の部署。
私しかできないことがまだ多すぎる。
もちろん片目で不便ではあったけど、デスクワークの仕事をする上では、目の疲れがひどいだけで支障は思っていたほどなかった。

いよいよ1週間が経ち、血液検査の結果を聞きに受診。
血液検査の結果、帯状疱疹ウイルスによる顔面神経麻痺。
帯状疱疹ウイルスの基準値は正常で「2」。
当時の私は「32」の数値をたたき出していた。
「この数値での顔面麻痺となると、「ハント症候群」という病名がつきます」

耳を疑った。聞いたことがなかったから。そして「症候群」という名前が付くほどの症状だったのかと。
まあ罹患してしまったものは仕方がない、どううまく付き合っていくかだな。
無理やりにでも前向きに考えた。
とにかく顔を触るなと医師からも薬剤師からも注意を受けた。
なぜかと聞くと、顔面神経が壊れてるから起こる病気になっているのに、外からの刺激をさらに加えるともっと神経が壊れるとの説明を受け、それからは極力顔を動かさないように毎日を過ごした。

ステロイド剤による投薬は2週間続いた。
薬の効きがいいのか、最初に見た時より自分の顔が自分に戻ってきている気がする。
ステロイド剤の投薬が終わってからは、顔を触る許可をもらい、お風呂に入ってる時間に顔を動かしていた。

ステロイド剤の投薬が終わると、一緒に出ていたビタミン剤の処方のみになる。
しかし、ここからは筋肉が今まで動かせてないので、神経の修復は薬で補助ができるけど、筋肉は外からでないとどうしようもない。
あとは自分の力でどこまで戻せるか。1か月か2か月か。
2か月は覚悟しておいた方がいいと思います。そう医師に言われ、そのころの私はもう後遺症として残らなければもうなんでもいいと思っていた。

「顔面麻痺」で調べると、何年も顔が戻ってない人の記事や私と同じように現在闘病中の人など、さまざまだった。
顔出ししている人は眼帯をしていたので、やはりなってしまうと考えることは同じようになるんだなーなんて呑気に見ていた。
何年も戻ってない人の記事を見てると、自分はどうなるんだろうと少し憂鬱になったりもしたし、でも現実半分くらいは動くようになってるしそんなことない!と強気で考えていたり。
でも明日のことなんて誰にも分らないから今考えたって、卑屈になったって、自分は違うと思ったってしょうがないよな、なんて思う毎日。
でも明日起きた時の自分の顔の回復を見るのもある種ひとつの楽しみになってもいた。
時間は戻せないから、なってしまった今をどう過ごすかを考える方が、ストレスにならないことに気が付いたのだ。

顔面麻痺と診断され、3週間ほどで眼帯を外した。
両目が使えるありがたさで胸がいっぱいだった。
ビタミン剤の処方は続いていたけど、周りの反応もまずまずだった。
言われないとわからないよ。そう言ってもらえる回数が増えた。

先日、ビタミン剤がなくなるころだったのでまた病院を受診。
そこでまた顔面を動かす簡易テストみたいなことをする。
「もうほとんどわかりません。あまり見たことないくらい早い回復ですよ」
診断されてから、1か月で治療終了の言葉をもらえた。
私自身もこんなに早く治療が終わると思ってもいなかった。
優秀な回復ですとも言われ、最後のビタミン剤をもらって、快気祝いのお酒を飲んだ。
ステロイド剤をを飲み終えたころに飲んでるんだけど((笑

Twitterで、顔面麻痺で今悩んでる人からちらちら連絡をもらっている。
中には点滴を1週間した人もいて、症状と治療法はそれぞれ違うことを知った。
病院に行った方がいいですか?とも別の人からも聞かれたけど、それは間違いなく行った方がいい。
ネットにあふれている顔面麻痺の民間療法なんて信じないで、違和感を感じたらすぐに行くべき。
もちろん私は私の体験談でしか話せないが、顔面神経麻痺の原因がすべて同じとは限らず、私は帯状疱疹ウイルスによるもの。
ストレスや疲労が知らぬうちに溜まっていたようで、診断されてからはとにかくゆっくりお風呂に入る、何もしない、しっかり寝る、この3点はなるべく守った。
それがよかったかどうかはわからないけど、何もしないに関しては、「何もできない」が正しい表現かもしれない。
その期間は掃除と料理しかすることがなかったのもきつかった。
性格的に何もしない時間を過ごすことが、「時間がもったいない」と感じてしまうので、そこは自分との葛藤でもあった。
時間は有限。なのに何もできない。ストレスがよくないと言われていても、今何もできないことがすでにストレス!
顔面麻痺とはしばらく付き合う覚悟も準備していたが、杞憂に終わった。

会社の人、友人、Twitterでのつながりあるみんながとても気遣ってくれてそれも助けになっていた。
ゲーム復帰してからも、休憩を挟めばできるので、休憩を挟んでもらったり、その日の目の調子が良くない時は別日にずらしてもらったり。
仕事も残業している時なんだけど、疲れがよくないのなら残業はしなくてもいいとのことで、免除してもらっていた(今は残業しています)。

治療終了はしたけど、本人としてはまだ違和感はなくなってはいない。
この違和感はずっと続くものなのか、きちんと完治するものなのか、それとも慣れが先に勝つのか。
それは今からの生活でしか答えは出ないだろうと思う。
ならなくてもいい病気ではあるけど、私は経験出来てよかったと思う。


この体験が誰かの何かに役立てばいいなと思い、まとめてみました。
あまり文章を書くのは得意ではないので読みにくいかもしれないけど、ここまで読んでくれて感謝しかありません。


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