大行列

Twitterの無い生活

時計の針は午前1時40分を指している。正直眠い。
でも、この覚悟を今書かねば、と思ってキーボードを叩く。

私はつい1時間ほど前、『しばらくTwitterをお休みします』と宣言した。

直前のツイート↓

ツイートでも触れているけれど、最近メンタルを削られるようなニュースが多い。それに加え、今まであまり遭遇しなかったショッキングな画像や不快なコンテンツ(例の炎上商法)が立て続けに流れてきて、「もう、無理…」となってしまったのだ。

少し前から、そろそろかな〜という気はしていた。
戸田真琴さんの『Twitterをやめます。』を読んだ時から、私の中で「Twitterとの関わり方」(大げさ?)を考え始めていた。

あなたの完ぺきな1日はどんなもの?』(今の自分が考える「最高の一日」を綴ったもの)でも、SNSと距離を置いた描写をしているし、つい先日書いた『「自分の機嫌を自分で取る方法」と「ご機嫌に過ごせる習慣」について考える。』でも【ご機嫌に過ごせる習慣】で「◆Twitterを開きっぱなしにしない」と書いている。

実は、私がTwitterをしばらく休もう、と考えた理由は他にもある。

【Twitterを休む理由】
◆見たくないものを見てしまった時の精神的ダメージが大きい
◆所属するコミュニティがTwitterしか無い
◆イラストを描く→Twitter→イラストを描く→Twitterのループ
◆情報収集をTwitterに頼りがち


◆見たくないものを見てしまった時の精神的ダメージが大きい

仮に正しい主張をしているとして、正しい主張のためならばどんなグロテスクな画像を拡散してもいいのか、グロテスクなものを目撃する心の準備のない人にも急に目に入るように表示してもいいのか、とも思えませんでした。
引用元:Twitterをやめます。

戸田真琴さんがnoteに書いていた内容↑
私も昨日、「さすがにこれは…」と思う画像を目にした。それは中絶の残酷さを呼びかけるツイートで、未成熟の赤ちゃんがどうやって母体から取り出されるのかをイラストで紹介したものだった。

私はグロ耐性が低いためイラストでも十分ショックで、”正しい主張”だとわかるものの、「なぜ急にこれを見せられるのか…」と複雑な思いだった。
そして今日も、また別の画像にショックを受けた。

見たくないツイートがあれば、ミュートしたりブロックしたりすればいい。でも、それだけでは防ぎきれない部分が多すぎるのだ(画像にしろ文章にしろ)。

また、憤りを感じるような不快なコンテンツが流れてきたとして、それ自体は頑張って”見なかった”ことにもできる。でも、フォロワーさんがその件についてツイートしたりすると(これは個人の自由なので悪くない)、結果的に何度も目にすることになり忘れられない。
しかも、その内容が感情的で罵っているような内容だと「この人こんなこと言うんだ…」と、違うところでダメージを受けたりする。

こうなると、メンタルよわよわな私は「見たくなければ見なければいい」を実行するしかないのだ。


◆所属するコミュニティがTwitterしか無い

私は今フリーランスで働いていて、ほとんど毎日家で過ごしている。
しかも、パートナーの勤務地に越してきたため周りに友達はおらず、定期的に通っているような趣味のコミュニティもない(和太鼓を習っているが、引越しで遠くなり不定期に…)。

だから圧倒的に”人との触れ合い”が足りておらず、パートナー以外の人との日常的なやり取りはほぼTwitterのみ、と言える。

これは結構やばい。
「フリーランスで働く場合、取引先は分散させた方がいい」と言われるが、複数の企業とやり取りしていた方が、どれかがダメになっても影響が少ないからだ。

これを人間関係に置き換えた場合、例えば「家族・職場・習いごと・ボランティア」の4つのコミュニティを持っている人は、職場が最悪になっても他の3つのコミュニティでいい関係が築ければ(拘束時間にもよるが)精神的ダメージはそれより少ない人よりマシだろう。

私はというと、「パートナー・Twitter」この2つしかない(家族仲は良く、たまにやり取りするが)。

Twitterでのコミュニケーションはとても楽しいけれど、それ以外の理由で慎重にならざるを得なくなった。遅かれ早かれこうなっていたと思うから、この機会に他のコミュニティ(できればリアルの)を探したい。

ほったらかしにしていたこのnoteやインスタグラムも見直すつもりだ。


◆イラストを描く→Twitter→イラストを描く→Twitterのループ

私はフリーランスのイラストレーター(デザインも少し)をやっているため、頻繁にイラストを投稿していた。
※そもそもイラストレーターになったきっかけがTwitter

イラストを見てもらえること、いいねをもらえることが嬉しくて「時間をかけて完成させた絵」よりも「思いつきでパッと描いた絵」をあげることの方が多かった(時間をかけた絵がいい絵かというとそうも言い切れないけれど)。

当然、投稿すればその反応が気になり、いいねやコメントが付くのを待ってずーーーっとTwitterに張り付く。そして、またイラストを描いては投稿し、Twitterを眺める…その繰り返しだった。

その時間を、もっとイラストのクオリティを上げることや勉強に当てられたはずなのに…と考えると、「時間を無駄にしてしまった」と後悔する。
私なりに努力しているつもりではあるけれど、正直もっと努力できると思う。それを自覚しているからこそずっとモヤモヤしていた。

「思いつきでパッと描いた絵」の代償は大きく、「これから営業活動を頑張ろう!」という段階にきて「載せられる作品がない!」という事態に…。
今はポートフォリオに載せるための絵を”考えて描く”ことに専念するつもりだ。


◆情報収集をTwitterに頼りがち

Twitterを始める前は、人から「今時はなんでもTwitterで検索するよ」と聞いても???だった(本当に全くSNSをやらない人間だった)。

そんな私が、今はほとんどニュースも見ず、開きっぱなしのTwitterでなんでも検索している。ネット検索する時は制作のサンプル探しやソフトの使い方など仕事の実用的な部分のみになり、”情報を検索する”ことは著しく減った。

Twitterは情報鮮度は高いが内容が薄い場合もある。でも、上辺だけの情報を流れてくる圧倒的な量でカバーすることによって「情報を取得できている」と錯覚している気がするのだ(本のあらすじや目次だけを読んでわかった気になっている感じ?)。

しかも、”短い文章で早く手に入る”ことに慣れきってしまったため、Twitter上でnoteに飛んだりブログを開いたり、動画を再生することすら面倒に感じるようになった。

「情報は本で仕入れる」がベースだった私がここまで変化したのは恐ろしいし、Twitterしかコミュニティがない上に情報収拾さえもTwitter頼みになるのは流石にマズい。

すごい人が流してくれる有益な情報は、その人独自のルートやコミュニティ、読んだ本などから仕入れたものである可能性が高いから、綺麗に要約されたものだけを読んで自分が賢くなったと錯覚するのは怖いことだ

そういえば、最近は実用書(ビジネス)を読むことが極端に減った。
ビジネス書でもエッセイでもイラスト関連の専門書でも、仲介された情報ではなく、自分が大元の情報を直接吸収するスタンスでいたい。(とは言っても、情報鮮度はやはりTwitterの方が上回るので、この期間に程よい距離の取り方を考える)


Twitterの無い生活でどれだけ変われるか

今、時計の針は3時40分を指している。ちょうど2時間経った。
そろそろ本当に眠いけれど、今この勢いで振り返ってよかった。これは決意表明だ。

notoを書いて再確認したけれど、私がTwitterを休む理由は、「精神的ダメージ」よりも「反省」の要素が強い。

だから、ここで変わらなければ意味がない。
Twitterのある生活に慣れ、ダレてしまった部分を矯正するつもりで頑張りたい!



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