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「あらー、可哀想に。」

エレベーターに乗り合わせたご婦人が、わたしに突然言った言葉。

「事故で車椅子になったの?」
正直初めての出来事ではない。27年間車椅子やってれば結構ある。笑
正直またか。ってかんじ。いい気はしない。
事故じゃないけど、「まぁはい。」とかテキトーな返しをした。
すると間髪入れずにこう言った。
「可哀想にぃぃぃ」
(いや、こんなにエコーはかかってない。)

「はー??🤪あのねー!!🤩😱」
なんてブチギレそうなのを堪えて、「あ、いや、生まれつきです笑」って言ってみた。

そしたらもっと悲しそうな雰囲気を漂わせて
「可哀想ねぇぇ」
可哀想パート2はじまった。

そのうちにエレベーターのドアが開き、お開きとなった。

おそらく、そのご婦人にとってみれば、車椅子な事が可哀想というのと、流行病にでもかかって、災難だわねー。という意味の
「あらー、可哀想ねー!」
どちらも同じ意味で可哀想という言葉を使ったのだろう。
だけど、言われる側からしたら
それとこれとは別で可哀想には、哀れみの可哀想と、今日は災難だったね。の意味の2種類あると感じる。

哀れみver.と災難ver.との違いは文脈や雰囲気、表情ですぐ感じる。多分他のことでも、あ、いい意味で言ったんじゃないな。とか感じることあるじゃん?同じ感じ。

今回のは車椅子なことは今日限定じゃない事が相手にも伝わっているこの状況で、車椅子なことが可哀想とのことなので哀れみver.だと感じた。

わたしにとっては車椅子の、わたし。がデフォルトであって、大切なアイデンティティだ。
そりゃあ、もちろん、時にそうやって思えない時だってあるけれど、わたしは車椅子なことに可哀想と言われると、わたし自体が可哀想と言われたように感じて不快だ。てか普通に考えて哀れまれても特に何か変わるわけでもないよな?

誰得ですか?って話。

例えばほくろ。
ほくろって何にも特別じゃないよね?ある人もない人もいる。それがデフォルト。
で、もっと言えば

ほくろが1つそこにある。

だから可哀想なんて思わないよね?
本人は時にそのほくろがコンプレックスな時もあるかもしれないけど、だからって
ほくろがあるから可哀想ですねって言われたら嫌じゃない?(嫌じゃないならごめんけど笑)
それと同じ。
そのくらいわたしにとって車椅子はデフォルトなの。標準装備的な。

だからもし可哀想と思っても、一旦考えてほしい。思うのは自由だからそれを飲み込んどいてほしい。それだけ。

最後まで読んでくれてありがとう。🎉

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