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71日間地球ひとまわり(29)ボスニア・ヘルツェゴビナ 14年ぶりのサラエヴォへ(前編)

14年前の夏のはじめにサラエヴォを訪れた。
今回と同じく、モスタルからバスに乗ってのサラエヴォ入りだった。
到着したのは鉄道駅に隣接したバスターミナル。

前回訪れた時は、バスターミナル近くにある観光案内所で宿泊先をあっせんしてもらった。
そしてよくわからぬままに、紹介された部屋のある旧市街に向かうトラムに乗った。
今回はネットで宿を予約。場所は前回と同じく旧市街。
しかし部屋貸し(いわゆるairBみたいな感じ)じゃなくて、ホステル。
トラムに乗るために大通りに向かった。
鉄道駅は新しくなっていたが、周辺の道路は工事中。

トラムの通る大きな通りに出ると、14年前とは雰囲気がだいぶ変わっていた。
街に活気が戻ってきたように感じた。
トラムは新市街を抜けて、旧市街に入った。
バシュチャルシヤと呼ばれる広場の前でトラムを降りた。

今回はこの広場を見落ろす町中にある。
宿にチェックインを済ませてから町を歩いた。

バシチャルシアのシンボル水飲み場の前を通り過ぎてから、
ある建物に向かった。

写真左側にある縞模様の建物である。

ここは現在のサラエヴォ市庁舎。

1990年代の内戦前は国立図書館だった。
しかし、92年の内戦時にセルビア軍に砲撃を受けて蔵書は燃えてしまった。そして14年前に訪れた時は、その爪痕を残した建物が残っていた。

現在、サラエヴォ市庁舎に入ることができる(有料)。
この日、宿に到着したのは夕方。
既に閉館していたので、日を改めて出直すことにした。

そのかわりに、川べりの道を歩いた。

町を横切るように流れるミリャツカ川の袂で1900年代初頭に世界史を揺るがす出来事が起こった。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたのである。
これが引き金となり、第一次世界大戦がはじまった。

この橋が舞台となったラテン橋。

橋の袂には博物館がある。

当時の写真が博物館の窓に展示されていた。

ここで橋を渡り橋の向こう側にある地区に行った。
この地区に行くのは今回が初めてである。

橋を渡すとすぐに公園があった。
公園の中には不思議な形の建物があり、その建物を取り巻くようにカフェがある。
建物に近づくと、ハプスブルグ時代に建てられたものようだ。

公園を抜けて歩き続けると、モスクが見えてきた。

モスクの先にはユダヤ教の寺院(シナゴーグ)がある。


その近くにはイスラム風のデザインをモチーフにした集合住宅がある。


更に方向転換して進むと、ヨーロッパ風の古い建築物が並ぶ。
どうもお役所のようだ。

そして橋を渡り、再びバシュチャルシヤと呼ばれる地区に戻った。

この辺りに来るとヨーロッパというよりもトルコにいるような気がする。


改めてサラエヴォの町は様々な宗教や民族の住む町だったことを実感する。
お腹がすいたなと思い、時計を見ると19時前。
ホステルのオーナーに教えてもらった、ボスニアの郷土料理が食べられる店に向かった。

まずはビールを注文。
銘柄は、サラエヴスコ(サラエボのビール)。

ケバブチチと呼ばれるひき肉を棒状に焼いたものを勧められたが、
ボサンスキロナッツ(野菜と肉のシチューのような料理。壺に入れて供されることもある)を注文。

まさか、鍋で出てくるとは思わなかった。
まるで日本のビーフシチューみたい。

見た目以上においしくて満足して宿に戻った。

明日は、サラエヴォ市庁舎に行く予定である。
(続く)

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