【歌詞考察】Aimer hollow-mas メメント・モリと流した血の輝き

■はじめに

ここではAimerさんの曲「hollow-mas」がどんな曲か考えていこうと思います。いつも通りですが、私がこう思ったという話である事ご承知ください。
歌詞はこちらです。


この曲はハロウマス(諸聖人の日)(11月1日)という祝祭をテーマにした曲です。また同時期に開かれるケルトのお祭りサウィン(10月31日~11月1日)の考え方も反映されているかと思います。とどちらも冬の入口の時期の行事です。

どちらも死者と向き合う意味合いのあるお祭りです。

また、サウィンというお祭りには、ヨーロッパの冬の厳しさに対する備えをしつつ、来る本格的な冬(闇の季節)を覚悟するという意味合いがありました。
なので、この曲にも、アルバムWalpurgisにおいて、光から闇への転換点の曲、という意味合いがあります。


その辺に詳しくないと、この考察は意味が分かりにくいかもしれませんので、ご承知ください。可能だったら以下リンクの「サウィン」と「ハロウマス」の欄を先にご確認ください。

この曲の解釈は、私は↓の2パターンはあると思っています。
①サウィンの考え方で解釈する
②アルケミストレナトスで解釈する

ただ、以下のような考え方もどちらの解釈も同じです。
・死を忘れるな(メメント・モリ)
・流した血(削られた命)には意味がある

あと、この話は最終的にWalpurgisの別の曲「季路」の解釈に繋がります。

それでは、考察していきます。

■①サウィンの考え方で解釈する

・死を忘れるな(メメント・モリ)

これはサウィンのように、死者が冬という死の季節が始まる時期に警告してくれているイメージです。

Do you treat me like real heart ? (本物の心として扱ってくれますか?)
Do you treat me like real hurt ? (本物の痛みとして扱ってくれますか?)
Do you treat me like real life ? (本物の命として扱ってくれますか?)
※以降、英訳私であってるか割とアレなので生ぬるい目で

これはおそらく死者から生者への問いかけです。
ハロウィンの「トリック・オア・トリート」の「treat 」には、死者を「もてなす」というニュアンスがあります。なので、ここも死者から生者に「もてなして供養してくれますか?」と言っているようにも見えます。

死者をもてなす事は、いつか辿る自身の死(そして現在の生)を見つめる事です。
なので、「本物の命として扱ってくれますか?」は、死者からの生者への問いかけでありながら、「死者を見つめる事で自分の死を見つめ、自分の生を、本物として扱えていますか?」というある種自分に跳ね返ってくる問いかけなのです。自問自答と言ってもいいかもしれません。

少し飛んで、

I'm bleeding, you see ? (私が出血しているのがわかりますか?)
命の灯 問いかける 終わりの日

も死者から生者への問いかけです。
死者の生が削られた痛み(出血)に共感できているか聞かれているようです。

そして、これも同じように死者の死を見つめる事で、自分の死を見つめる事になるので、自分に跳ね返ります。「自分自身が出血しているのもわかりますか?」と。
つまり、「時間を経過するごとに、自分自身の命が、着実に削られていっているのがわかりますか?」という事です。
そして、次の歌詞に繋がります。「命の灯 問いかける 終わりの日」は、
「自分が死ぬ日を問いかけている」という事です。

hollow-masは全体的に、「自分の死を見つめよ」と言っているのです。(メメント・モリ)

The winter is coming on there… (冬がそこまで来ていますよ…)

これも、闇の季節、死の季節の冬がやってくるよ。という警告です。
ヨーロッパの冬には、ワイルドハントという亡霊が飛び交って、人々を死に追いやっていた、という伝説があります。
その厳しい冬がやってくるという警告です。

そして、アルバムWalpurgisでは、ここから季路→春はゆく、と重い曲が続きます。正に光から闇への転換点なのです。

・流した血の輝き

hollow-masは、全体的に「死を忘れるな」と警告しており、その命が削られていく様子を「bleeding」(出血)と表現しています。(私の考えでは)

ですが、同時に命を削る事の輝きについても歌っています。
歌詞が前後しますが、以下の歌詞です。


物語を綴れば 空の杯も輝く

これは、イエス・キリストの聖杯の話をしています。聖杯とは、磔に処されたイエスの血を受けた杯の事です。
奇跡を起こすとされ、様々な物語で登場します。

この聖杯のように、懸命に生きる事(物語を綴る)で、削られる命(流される血)には、ただの器を聖杯に変えてしまうような、そんな尊い価値があるのだと言っているようです。

この血の話は、アルバムWalpurgisでの次の曲、季路に繋がるのですが、先に「アルケミストレナトス」での解釈の方を話します。

②アルケミストレナトスで解釈する

こちらはhollow-masのタイアップ先である、音楽朗読劇アルケミストレナトスでの解釈の仕方です。ここはケルトや行事はあまり関係ないです。

アルケミストレナトスは、人の手によって作られた人間、ホムンクルスの物語でした。
物語では、ホムンクルスの兄弟たちが、異端の存在として教会に命を狙われながらも、自身の創造主を探し、懸命に生きる姿が描かれています。
また、ホムンクルスの兄弟達の絆がとても美しく描かれています。


Do you treat me like real heart ? (本物の心として扱ってくれますか?)
Do you treat me like real hurt ? (本物の痛みとして扱ってくれますか?)
Do you treat me like real life ? (本物の命として扱ってくれますか?)

ここではホムンクルスから人間(創造主)への問いかけのようにとれます。「作られた命であっても本当の命として扱いますか?」と言うように。


I'm bleeding, you see ? (私が出血しているのがわかりますか?)
命の灯 問いかける 終わりの日

ここについても、「作られた命であっても、赤い血が流れる生命なのだ」と訴えているようです。
また、うろ覚えなのですが、彼らは何らかの薬品がなければ生きられない様な身体であったので、常に自身の死と向き合ってもいました。

「物語を綴れば 空の杯も輝く」の歌詞については解釈は一緒です。懸命に生きる事によって、削られる命(流される血)には尊い価値があるのだという事です。

また、こっちだけの解釈もあります。
人間とホムンクルスは、創造主と被創造物の関係でした。
そして、アルバム内の別の曲Walpurgisで、創造主である神と被創造物である人の関係性がでてきてます。

なので、hollow-masでホムンクルスの懸命に生きる姿に想いを馳せたのであれば、Walpurgisを聴く事でそれを自分自身(人間)に当てはめて、考える事ができるのです。

■季節の帰路

さて、ここからは季路とhollow-masの物語が繋がる、という話をします。
歌詞へのリンクも置いておきますね。


さっき言ったように、懸命に生きる事で流された血には、ただの器を聖杯に変えてしまうような、そんな尊い価値があります。

それがなぜ季路に関係あるのでしょうか。
実は季路にも血が流れる描写があるのです。


閉ざした世界に落とした紅色が導く 季節の帰路

ここのドラムって心臓の鼓動のように聴こえませんか?
この「紅色」が、流された血を意味しています。削られた命、負った痛みともとっていいかもしれません。
その流した血、削った命、負った痛みこそが、ある季節への帰り道だと言っています。

基本的に重たい季路には、一瞬だけ幸せな時間があったような描写があります。


灰色 曇り空 溶けない白さは 愛した二月の色
重ねる時間は 解けない魔法で 失くした季節を知った

「愛した二月」という幸せな時間があり、「失くした季節」というようにそれが失われた事がわかりますね。
この季節への帰り道です。

流した血が幸せだった季節への帰り道なのです。
季路 = 帰路なのです。

Aimerファン的には、「愛した二月」、「失くした季節」には思い当たる節があります。
それは、コロナ禍がちょうど始まるころの、2020年2月23日。Aimerさんのライブツアー"rouge de bleu"の最終公演がありました。
そして、Aimerさんは、それ以降オンラインライブなどはあったのですが、有観客のライブを1年以上できていません。(2021年5月1日現在)

2020年からは予定していたライブが諸々なくなりました。
春のJAPAN JAM、夏のROCK IN JAPAN FESTIVAL、FGO Fes 2020、YKL(梶浦由記さんのライブ)、秋からのツアーAimer Acoustic Tour 2020、年を越して冬のAimer Live in YOKOHAMA ARENA 2021 “hiver deux”。筆者が行こうとしてたのだけでもこれだけなくなってます。コロナ禍なので悲しみそれだけではないのですが、ライブの観点で見ただけでもこんな感じでした。

季路という曲に描かれる冬の重みは、コロナ禍をそのまま表したものなです。そして、いつか失くした季節に戻り、また花(歌)を届けるために、痛みに血を流しながら、涙にぬれた蕾を抱きしめて待っているのです。


コロナ禍で、負った痛み、流した血には、意味があるのだと、もとの幸せな季節に帰るための道しるべなのだと、季路も、hollow-masも訴えているのでした。

-おわり-

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