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失恋11日目~どん底でみた光

こんばんは、皆様週末の夜をいかがお過ごしでしょうか? すいれんです。

『どん底は何度でもやってくる』

生きている限り、どん底と思える状況には何度も遭うのでしょう。

  • 同僚から敵意をむき出しにされる

  • 密室に呼び出され、1時間吊るしあげられる

  • 唯一の味方だと思っていた先生は知人との約束を優先、なんの声掛けもなく帰った

まさに『弱り目に祟り目』

底ってどこ?

昨夜、どうしても一人でいたくなくてある方を飲みに誘ったら快諾してくれました。
この方は、わたしがどうしようもなく、死にたいほどに孤独だった時、言葉でわたしを支えてくれた方です。
今週末、先生に予定があることは偶然ながら知っていました。
誰と約束しているのか…とどうしようもない気持ちでたまらず、この方に会いに来てくれませんか?と尋ねたところ、これまた快諾してくれ、はじめてお会いすることができました。

お泊りのホテルにお迎えに行き、いざ行こう!ということになったのですが、
普段飲み歩くことのないわたしは、この街に暮らして4年目になるのに、いい感じの飲み屋も知らず、グーグルマップを見ながらうろうろしているところに地元の男性が「なにか探してるの?」と声をかけてくれました。
「軽く飲めるところを探している」と伝えると、地元の人のみぞ知るという風情のバーまで道案内してくれました。
『ありがたい』
どんなところにも神はいる。
棄てる神があれば、また救う神もいるものです。

『棄てる神に拾う神』

この言葉を書いている今、また涙が滲んできました。

そのバーは柔和なマスターと常連客が醸し出すやわらかな空間に満ちていました。

会いたくて会いたくて、何年越しで対面がかなったその方に、わたしは今の苦しい恋愛について話したいと思っていました。
でも言葉が出てきません。
話しても恋が実る気がしない…と諦めの気持ちが心の大半を占めていたからだと思います。
むしろ、詳しいことはなにも話さなくてもよいような気がしました。
それは、詳しい事情は当人の心の中ですでに答えが出ている問題のように思え、わたしがこの方に話すべきは、問題の詳細ではなく、問題の解決ができない自分のことについてのような気がしたからです。

「すいれんさんは声が変です。『芯』がない」
と言われました。
本当の声はもっと違うはずだと。

その通りだと思いました。
わたしは一日の大半、思っていることを話していません。
本当のことをなに一つ言っていないのです。

そして、先生が好きだということに対して「一回抱いてください!と言えばいいんじゃないですか」と提案されました。

もうそれでいいと思いました。
1か月後、必ず先生に言います、と約束しました。

当たる前に砕けるな。

諦めに染まったわたしの生き方は、恋愛までもダメにする、当たる前に砕けていると思い知りました。

なにも禁止されていないのに、自分で自分を禁止し、狭い世界で生きることを知らず知らずに選んでしまっていた。

その方との本当の約束は昨夜ではなく今日のランチでした。
今日のランチは地元で老舗の料亭を予約しておきました。
先生が明日のランチを予約しているとフレンチのマスターに話しているのを聞いたために、その日から心がざわついてたまらず、この方を利用して一緒に行ってもらったのです。
こんな最低なわたしですが、その方は「行きたいというところに行きます。利用してくれていいです」と言ってくれました。

ランチは…
さしておいしいとも思えず、空気も重く、『来なければよかった』と思いました。
たぶん二度と行きません。

その方も、食事中なにも話さないわたしに疲れたことでしょう。
しかし食事の途中、「すいれんさんは僕のブログのどこが好きだったんですか?」と訊かれました。
その言葉でわたしは数年前わたしに勇気をくれた言葉を思い出しました。

『生きている限り理不尽な目に遭うことはある。それでもなお、最後まで残された自由がある。環境は選べなくとも、その中で「どのような態度を取るか」は選べる』

坂爪圭吾様

この言葉を目にしたとき、わたしは全身に衝撃が走りました。

世の中理不尽に満ちています。

それまでわたしは、理不尽は許してはならない、的な思想でした。
理不尽な目に遭った時、それに気おされてしまってはやられっ放しになる、的な恐怖心もありました。

でも『やられる』って誰に?
抑々、勝ち負けなんだったっけ?

理不尽な場に自分が立たされたとて、自分は自分が美しいと思う行動をとりたい、と思った言葉であり、その後も続く理不尽な場面で、わたしは恐怖心を感じることがなくなりました。
なぜなら、『これは理不尽です!』『いま理不尽な目に遭っています!』と必死にアピールしなくても、わかる人にはわかるのだと知ったからです。
自分としても、他者が理不尽な目に遭っているとき、わからないかと訊かれれば、『必ずわかります』と言えるからです。

このことについてわたしは伝えました。

それからは重苦しい空気も軽くなり、その後は普段一人なら絶対に行かないであろうアンティークのお店や80年代からタイムスリップしたかのような喫茶店に行ってお別れしました。

別れ際「どうでしたか?」と訊かれました。

さみしさや傷ついた心は残ったままですが、全部引き連れて生きる覚悟をモテたように思えていたので、「一区切り、リセットできました」と答えました。

そしてこの街について、「せつない土地ですね。ここで一人になろうとしたり隠れようとすると病気にもっていかれるかもしれない。せつない場所だからこそ、誰かと一緒に生きることが大事だと思います」と言っていました。

まさにわたしは一人になろうとし、隠れていました。

誰かと一緒に生きる、それは先生がいいなぁと思います。

先生にとって恋になる日もくるかもしれない。

底力をわたしはまだ発動していない。

本気になろう。

自分には何もないとか言わず、やりたいことをやるだけの力が、既にあることを認めよう。
自分からブスになるような真似はしない。
誰かに何かをしてもらおうと思わない。
気持ちがブスになったら終わり。
自分には既に力があることを認めよう。

言葉を、勇気を、ありがとうございました。


恋を続けます…


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