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コンテクストデザインとは、それに触れた一人ひとりからそれぞれの「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みや現象を指す。換言するならば、読み手の主体的な関わりと多義的な解釈が表出することを、書き手が意図した創作活動だ。

もともと現代的なデザインは産業革命以降の大量生産・大量消費を背景に成長してきた。それは、特定の使い手を一意に想定し、特定の問題を解決するためのものだ。

デザインはふつう、正しい使い手に、正しい使い方で、正しい価値を提供することを目的とする。明確に言語化された比較可能な価値を定め選んでもらう。たとえば数百の「赤」がそろっている口紅、高解像度のカメラを備えたスマートフォン、加工が綺麗な写真アプリ……。これらはマーケットの要請に応えるために必要だ。でもこのような条件を前提としないデザイン活動があってもいい。価値そのものの定義が使い手の側に委ねられているデザインがあってもいい。

コンテクストデザインは、完成されたものの使用による意図通りの価値提供を目的としない。むしろ未完成のものの使用によって、意図した価値提供を超え、デザイナーの想像の先へとものがたりを波及させることを目的とする。

見えない景色

良い映画は観たもの全員を語り部にする。人は作品に描かれている世界を語り、描かれていない風景をも語る。解釈をぶつけあう。しかしこのとき解釈の正否というものはほとんど意味をなさない。議論する人はみな同じ作品を語りあいながら、異なる景色を見つめている。美しい同床異夢。にもかかわらず、ときにそれは通じあう。

作品はいかに「語られる」のか。

ある歌人は、短歌はドーナツであるという。本当に大事なことは言葉にせず、あえてその周縁を三十一字(みそひともじ)に込める。ある小説家は、書かれた言葉は書かれなかった言葉の影であるという。小説は、つねに書かれなかった言葉とともにある。

映画、短歌や小説は「作品」と呼ばれる。デザインされたものも作品と呼ばれることがあるが、それを嫌うデザイナーもいる。機能を果たす日用品たるデザインオブジェクトは裏方に徹するべきで、目立たず生活に馴染み、溶け込むべきである、それを作品と呼ぶのはデザイナーのエゴだ、という向き。ここにはデザイナーの役割をわきまえる姿勢がある。当然これもひとつの考え方だ。

デザインされたプロダクトやサービスなどが作品であるかどうかは一度脇に置く。考えたいのは、「作品のように語られる」デザインは可能か、ということだ。映画や短歌や小説は、それに触れた人によってさまざまに語られるし、また作品を語ること自体がそもそも可能だ。同じように、あらゆる人による多種多様な解釈をこそ礼賛するようなデザインは、果たして可能なのだろうか。描かれていない風景に思いを馳せるデザイン。人がそれぞれ自らの解釈を持ち、語り、伝え継ぐデザイン。いやむしろ語りそのものを中心に据え、あくまでその補助線を引くための役割を担うデザイン。

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語り直すこと

作品は「時をあけて」語り直される。これは遅効的なもの。人は美術館のあとカフェで語りあい、夜にバーの隣席と映画について議論し、かつて読んだ本のことをソーシャルメディアに書き込む。そこで語られるのは往々にして、自分自身のエピソードだ。生活のこと、仕事のこと、自らの思想を、作品に投影し解釈する。それはあくまで個人的なものであり、ときには誤読ですらある。

でもその作品について真に語りたい欲求があるとき、人は誤読を恐れない。そこでは他者による作品と自身による解釈は一体化する。この「語り」によって、たんなる即時的「消費」を越えて、読み手は作品とあらたな関わりを結ぶ。そして、その瞬間に読み手は書き手に入れ替わる。結果生じるのは作品との主体的な関わりと多義的な解釈だ。作者が作品に込めたメッセージやテーマ=「強い文脈」をきっかけに、読み手一人ひとりの解釈や読み解き=「弱い文脈」が主役になる。この弱い文脈の表出こそを意図したデザイン活動が、世のなかに不足している。コンテクストデザインは個々の弱い文脈の表出を促す。それは読み手を書き手に、消費者を創作者に変えることを企図するデザインだ。

- 本ノートは、2019年10月に発刊された書籍『コンテクストデザイン』の内容にあわせて、2020年5月4日時点で一部内容を更新しています。

- 本書は一般の書店には流通させておらず、著者がトークイベントを行なった場所などに限定して販売しておりましたが、新型コロナウイルスの流行をうけ、書店に足を運ばずともお求めいただけるようにと、オンラインストアでの販売を開始しました。


記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。