コンテクストデザインとは

見えない景色

良い映画は観たもの全員を語り部にする。人は作品に描かれている世界を語り、描かれていない風景をも語る。解釈をぶつけあう。このとき解釈の正否というものはほとんど意味をなさない。議論する人は皆同じ作品を語り合いつつも、異なる景色を見つめている。美しい同床異夢。ときにそれは通じ合う。

作品はいかに「語られる」のか。

ある歌人は、短歌はドーナツであるという。本当に大事なことは言葉にせず、あえてその周縁をみそひともじに込める。ある小説家は、書かれた言葉は書かれなかった言葉の影であるという。言葉を与えることは、言葉の外にあるものを排除することになりかねない。小説は、つまりそこに書かれた言葉は、つねに書かれなかった言葉とともにある。

映画、短歌や小説は「作品」と呼ばれる。デザインされたものも作品と呼ばれることがあるが、それを嫌うデザイナーもいる。機能を果たす日用品たるデザインオブジェクトは裏方に徹するべきで、目立たず生活に馴染み、溶け込むべきである、それを作品と呼ぶのはデザイナーのエゴだ、という向き。ここにはデザイナーの役割をわきまえる姿勢がある。当然これもひとつの考え方だ。

デザインされたプロダクトやサービスなどが作品であるかは一度脇に置く。考えたいのは、「作品のように語られる」デザインは可能か、ということだ。あらゆる人の解釈や誤読こそを礼賛するようなデザインは、果たして可能なのだろうか。描かれていない風景に思いを馳せるためのデザイン。人がそれぞれ自らの解釈を持ち、語り、伝え継ぐデザイン。いやむしろ、語りそのものを主に据え、あくまでその補助線を引くという役割を担うデザイン。


語り直すこと

作品は「時をあけて」語り直される。これは遅効的なもの。人は美術館のあとカフェで語り合い、夜にバーの隣席と映画について議論する。かつて読んだ本のことをソーシャルメディアに書き込む。このとき語られるのは往往にして、作品の背後にある自身の話だ。生活のこと、仕事のこと、自らの思想を、投影し回想する。それはあくまで個人的な解釈であり、おそらく誤読ですらある。でも人は誤読を恐れない。

自らの読解を語るとき、他者による作品と自身による解釈は一体化する。この「語り」によって、読み手はコンテントとの関わりを結ぶ、単なる即時的「消費」を越えて。その瞬間に読み手は書き手に入れ替わる。結果生じるのは作品との主体的な関わりと多義的な解釈だ。作者や批評家が込めた「強い文脈」をきっかけにしつつも、読み手一人ひとりの「弱い文脈」が主役になる。この弱い文脈の表出こそを意図したデザインの活動が、世のなかに不足している。

illustration: Maki Ota (Takram)


一般的なデザイン

もともと現代的なデザインは産業革命や大量生産を背景として成長してきた。それはまた、特定の使い手を一意に想定し、特定の問題を解決するためのものだ。例えば「左利きの人のための枝切り鋏」はターゲットも解決されるべき問題も自明だ。

デザインはふつう、正しい使い手に、正しい使い方で、正しい価値を提供することを目的とする。明確に言語化された、比較可能な価値を定め、選んでもらう。赤色が数百揃っている口紅や、加速力のあるEVカー、加工が綺麗な写真アプリ…。これらはマーケットに必要だ。でもこのような条件に乗らない活動があってもいい。価値そのものの定義が使い手の側に委ねられている活動があってもいい。

コンテクストデザインは、完成したものの使用による意図通りの価値提供を目的としない。むしろ未完成のものの使用によって、意図した価値提供を超え、デザイナーが気づきもしない先にものがたりを波及させることを目的とする。

コンテクストデザインは弱い文脈の礼賛という側面を持つ。結果的に使い手に委ねられる部分が多々ある。解釈を委ね、使い方を委ねる。使い手に主体性をもってもらいたい。つくることの一部すらも、使い手に委ねる行為と言ってもいい。

ただしこれはデザイナー自身のつくる行為を放棄することとは異なる。よいコンテクストデザインには弱い文脈と強い文脈の釣り合いが生じるはずだ。当然、強い文脈は介在する。正確なデザイン無くしては、有効な補助線無くしては弱い文脈は花開かないからだ。弱い文脈の発露が容易になるように、つまり何のためらいもなく自らの解釈を人が抱き交換できるように、デザインはなされるべきだ。

それに適した場をしつらえる必要がある。


コンテクストデザインとは

コンテクストデザインとは、一人ひとりの小さな「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みを指す。換言するならば、読み手の主体的な関わりとそれによる多義的な解釈の表出を、書き手が意図した創作活動だ。



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この連載は僕だけでなく編集の西條くん、イラストの太田さんと三人で取り組んでいます。西條くんは以前『ストーリー・ウィーヴィング』を読んで、太田さんは「森岡書店」に訪れて、それぞれTakramに参加してくれました。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。サポートいただけると三人で喜びます!

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コンテクストデザイン

コンテクストとデザインについて考えています。まだ途中ですが、これはその断片です。
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コメント1件

『読み手一人ひとりの「弱い文脈」』のチカラに関する考察がとてもとても興味深いです。書籍の出版楽しみにしてます!
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