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Message Soap, in timeの強い文脈、弱い文脈

強い文脈、弱い文脈」の枠組みを通して、前回は一冊だけの本屋、森岡書店のことを考えた。

文脈の強弱はあくまで相対的なものだ。次の例として、向田麻衣さんという人物の活動を取り上げ、その文脈の強弱を(私の解釈や想像も少し交えて)考える。なお別項にあるように、Takramは向田麻衣さん率いるLalitpurとともに「Message Soap, in time」というプロダクトを手がけている。石けんのなかから手紙が現れるというものだ。

■ Coffret ProjectとLalitpur ー 向田麻衣さんの取り組み
以下は向田さんから直接聞いたことやメディアで語られていることを元に簡単にまとめたものだ。高校生の時にある人物の講演を聞き、ネパールに興味を持ったという向田さんは、以来幾度となく現地を訪れている。最初は識字教育を行うNGO活動に携わってきたが、そのようななかある問題に危機感を抱いた。

ネパールでは人身売買が社会問題となっている。毎年数千人ともいわれる女性が売買される。多くがまだ十代の少女だ。被害者の女性たちは強制労働させられることもある。

ネパールには被害女性を保護するシェルターがある。行き場を失った女性のうち、運良くシェルターに匿われた人は、社会復帰の前にそこで時間を過ごす。向田さんは何かをしなければならない気持ちに動かされるがまま、シェルターに通った。最初は女性たちがシェルターを卒業した後の社会復帰支援のため、識字教育を念頭に置いた。しかし心身に傷を負った女性たちと気持ちを交わすのは容易ではない。

そんなときある女性が、向田さんが持ってきた化粧ポーチに手を伸ばした。その女性は数年間シェルターにいるが、トラウマからいつの間にか笑顔を忘れてしまっていた。ポーチのなかから化粧道具を見つけた女性は、向田さんに使っていい?と仕草で尋ねる。女性は口紅を塗る。そして手鏡で顔を見て、笑顔になった。

強制労働のあいだ、仕事のために化粧をすることはあっても、自らのために化粧をしたことはなかった。化粧は、社会での自らの尊厳を取り戻すような、女性としての自己を肯定するような力があるのかもしれない。その出来事を機に、向田さんは教育や識字率向上という考えを一度脇に置き、「化粧を通して女性が笑顔を取り戻す場をつくる」ことをテーマに、NPO法人としての活動を始めた。「Coffret Project」を設立し現地でワークショップを重ねた。

Coffret Projectは日本ではファンドレイジングや、要らなくなった化粧品の回収を行った。流行色に基づいて毎シーズン量産される化粧品には、廃棄されるものも少なくない。未開封の品物や試供品をメーカーから預かって、現地の女性に届け、ワークショップで使ってもらう。NPOの活動を支持してくれる日本の生活者からは、使ってみたものの合わなかった化粧品を回収し、アーティストのための画材として再利用する。制作された作品を元にファンドレイジングを行うためだ。向田さんは、国内では化粧品に関わる企業や個人、アーティストと協力した。また現地へ訪れては、現地のシェルターやメーキャップアーティストらと協力しながら、女性の自立支援を行った。

しばらく活動を重ねると、しかしNPO法人としての活動に限界を感じることになる。心のケアはできても、その後の社会復帰はままならない。他の職業経験がない女性たちは、シェルターを離れても働き口が少ない。向田さんは次に、女性たちの仕事を増やすべく、自ら化粧品会社を立ち上げる。

ヒマラヤなどの高山で知られるネパールには高山ハーブが原生している。また良質な脂質をたっぷり含んだヤクという動物のミルクが採れる。ネパールらしい良質な原材料を元につくる化粧品は、肌に優しく香りも良い。現地で職を作りながら製造し、日本で販売すれば、国境を越えて経済が循環する。

株式会社Lalitpurはそのような経緯で設立され、固形石鹸、固形シャンプーバー、バスソルトなどを生産した。百貨店やセレクトショップに置かれ販売されるほか、向田さんの行う講演活動などで直接求めることもできる。

向田さんはネパールと日本を行き来する。現地で工場や材料の生産地に出向く。時々講演会で、彼女自身がiPhoneで撮影した映像を映すことがある。そこに流れるのは、今にも崖から落下しそうになりつつ山中を高速で走るマイクロバス、ヤクミルク農園に至るまでのジャングル(ヒルがたくさん出るそうだ)、現地で働く女性たちの笑顔、毎日計画停電のあるカトマンズでの静かな夜、酷暑のなか人や交通の動きが遅くなり、時間が止まったように見える景色だ。そこにあるのは「社会的な大義」というよりも、日々の生活そのものだった。

■新たな文脈
向田さんと私は、実は大学時代からの友人だ。彼女がNPO法人を設立する前から活躍を見てきた。私個人に関しては、ネパールへの思い入れはないし、女性たちに直接会ったこともない。彼女のように「なにかしなければならない」という義務感に駆られているわけではなかった。でも意思に突き動かされている向田さんを見て、常々何かの形で応援したいと思っていた。

2015年のある日、私は彼女から仕事の依頼を受けた。Lalitpurの化粧品はギフトの需要が高いという。それに応えるため、ギフトボックスをデザインしてくれないか、という相談だった。私は即答せずに考え始めた。箱をデザインすることはできる。でもそれだけでは、Lalitpurの活動やビジネスの幅を広げることはできないのではないか──。それが最初の印象だった。

Lalitpurの化粧品の品質は確かで、肌に優しく使い心地もいい。しかしそれは使ってみないとわからないこと。いま購買を支えているのは、どうやら向田麻衣という人物に魅力を見出している方が多くいるようだった。活動をいかようにか支えたい、という思いだ。Lalitpurの創業と前後して、彼女の取り組みはテレビドキュメンタリー番組に取り上げられた。その他、エッセーをまとめた書籍の刊行も相まって認知度が上がり、少しずつ事業は軌道に乗り始めているようだった。メディアで彼女を知った人には、現状の商品や新たな化粧箱でもアピールすることができる。でももしTakramが何かをつくって協力するのであれば、「たまたまお店で商品を見かけた人」にもアプローチできるようなものをつくりたい。

すでにLalitpurのファンとなっている人は、おそらく第一に向田麻衣さんのファンであるはずだ。加えて、女性の自立支援やソーシャルアントレナーシップ、オーガニックな化粧品、ネパールという国、といったキーワードに共鳴している。これらとは異質のキーワードが必要だった。Lalitpurのプロダクトを、新しい価値軸の上に位置付けられないか。新たな文脈を纏わせられないか。

そのような考えを背景に生まれたのが「Message Soap, in time」だった。

■社会という書き手による「強い文脈」──Lalitpurの場合
ここでLalitpurにおける「強い文脈」と「弱い文脈」を考える。これまでの定義では、作者である向田さんの思いが「強い文脈」を構成していた。そしてLalitpurのオーディエンス、つまりその活動に触れる人が「弱い文脈」を構成する。

でもその前にひとつ段階を踏みたい。向田さんという個人は作者となる前、社会という大きな書物の読み手であった。いま社会という仮想的で大きな「書き手」を想定する。

向田さんはネパールの女性たちの自立支援を行うために、現地でのビジネスの立ち上げを検討する。ネパール特有の高山ハーブやヤクミルクというった原料を活用したソープを軸に化粧品を生産することに決める。このとき、「社会」という仮想的な書き手は強い文脈として、ソーシャル・アントレプレナーシップ、オーガニック、コスメティック、女性の自立支援、ネパールといったキーワードを付与するかもしれない。

ただし向田さん自身はそれらの「強い文脈」自体には興味が無いようだった。私は何回も彼女の講演会に参加したり対談を共にしたが、その言葉を踏まえるとむしろ、彼女が高校生の頃に出会ったとある人物、その後の最初のネパール旅行、険しい山中を登った先にあるヤクのミルク牧場や高山植物農園、計画停電がある暮らし、人々の遅刻や交通遅延にも必ず理由があるという事実、ゆっくりとした生活に対して向田さん自身が向ける眼差し…そういった個人的な思い出こそが、彼女の言葉にならないモチベーションの大半を構成しているように思われた。

Lalitpurに至る以前のCoffret Projectでも「識字率向上」といった社会の強い文脈からしばし距離を置き、もっと個人的なリアリティのある「化粧によって笑顔を取り戻す」という弱い文脈に注意を払った。社会の規定する強い文脈を自己に取り入れるより先に、この個人的な思い出がきっかけとなっている。

社会を仮想的な書き手とする場合の「強い文脈」を考える際は、(マス)メディアによる典型的な分類やタグ付けをイメージするのがわかりやすいだろう。対してここでの読み手である向田さんは、内在するモチベーションとして、自身の思い入れ=弱い文脈を心に宿す。そして起業を決意する。

現状の社会のあり方に僅かな違和感を感じること。自分が取り組むべき課題を発見し、自発的にスタートすることの意義を改めてここに記しておきたい。例えば起業する、本を書く、作曲するなど。社会の「強い文脈」に対する自身の「弱い文脈」は、つまり社会を誤読するということだ。誤読にはエネルギーが要る。世間一般の価値観や常識から離れて自己を信じる必要がある。このような社会の誤読を経て、初めて新たな取り組みが始まる。リスクを取って挑戦を行うこと、作品に自らの体重を載せること。

夢を持ち追う人は誰しも社会を誤読している。誤読をこっそり心のうちに宿したまま生活をすることもできる。でもそれを抑えきれなくなった人はなにかをスタートする。今の社会のあらゆる取り組みのすべては、ひとりの誤読として始まったはずだ。ついえたものも多くある。そのなかで生き残った取り組みは、多くの隠れた共感を得て、次第に社会の共有財産・共通認識となっていったのだろう。

■向田さんという書き手による「強い文脈」 ー Lalitpurの場合
次に彼女の取り組みが世の中に触れることとなる(多くの場合はメディアを介して)。この時点で書き手のペンは社会から向田さんに手渡される。彼女の意思が「強い文脈」にとって代わるのだ。ここからは、向田さんが書き手、Lalitpurのオーディエンス(=雑誌読者、テレビ視聴者、製品の購買者)が読み手となる。

雑誌やテレビによって取り上げられた向田氏の活動は、ときにソーシャルアントレプレナーシップの文脈から、ときに女性の自立の文脈から、ときに彼女の生い立ちという文脈から語られる。その上でどのような読解をするかが、それぞれの読み手に開かれている。

まず向田さんによる社会の誤読があった。次に時を経て、一般的読み手による向田さんの活動の誤読が重なる。

二度、もしくはそれ以上の誤読が重なることで、社会は豊かになるのだ。

「ソーシャルアントレプレナーシップ」という大づかみな、社会を書き手とする「強い文脈」そのものに興味をもつ読み手は、確率的にいる。しかしその読み手にとっても、大きなキーワードに興味を持つための、あくまで個人的な理由がある。それが「弱い文脈」に相当する。向田さんがある人物の講演でネパールに興味を持ったように。

個人的には、彼女が真に伝えたいことはソーシャルアントレプレナーシップや女性の自立支援そのものにはないと思っている。むしろ世界を見る眼差し、自分の意志では止められず異国へ誘われてしまう得体の知れない力や情熱、現地の人々との絆.... そのような形のないものを伝えるために活動しているのではないか。彼女は社会によって規定される強い文脈との同期を自ら拒み、弱い文脈を弱いまま保とうとしている。それすらも人に伝えようとしているように思えてならない。

「Message Soap, in time」という、静かで思いやりに満ちた商品(≒商業的な成功からは一見遠く見える商品)の開発・生産に同意し、時間やお金を投資することにした気概に、何よりそれが現れている。

Lalitpur社への投資家の一人であった孫泰蔵さんは、「向田さんは、向田さんらしく世界に心を開いて愛を伝える仕事をしてください」と言ったそうだ。これは彼女自身が社会から読み取った弱い文脈を礼賛する応援のように響く。

振り返ろう。

強い文脈は、カテゴリーに過ぎない。事象の一面でしかない。個人的な思いを託したり、人に伝達するためには情報が足りない。実際は、弱い文脈こそが根源的な動機を構成している。

メディアによる強い文脈は、それだけでは弱い。
そして弱い文脈は、本当は強い。でもそのままではやはり弱い。

作者は、両方の文脈が届けられるようにしつらえる必要がある。

コンテクストデザイナーの仕事は、強弱両方の文脈を設計し、世に放つことだ。

強い文脈と弱い文脈の総体が始めて人の心に届く。

記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。