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読書リスト3『雪を作る話』と、天ぷらの語源。

2017年初夏のころロンドンにいた。日曜日だったけど仕事が残っていた。午後三時まえ、中庭が見えるバーカウンターに席を取った。曇ったり日が差したりする、空の深呼吸を眺める。晴れ間はまさに呼気という感じで、徐々に強まる光を受けるたび、水面や菖蒲、苔が生き生きする。

photo by Kotaro Watanabe

何冊かのうちのひとつに、中谷宇吉郎の随筆を携えてきた。雪の結晶の研究で知られる中谷はあるとき、天保時代に書かれた『雪華図説』を探していたそうだ。『雪華図説』には、虫目金で観察した86種類の雪の結晶の模写があり、同時代の欧州の研究よりも優れていたとのこと。ただ稀書でなかなか見当たらない。代わりにその模写の多くが転載されている『北越雪譜』を見つけたらしい。中谷の文を引用すると、

早速教室の図書室で買ってもらうことにした。(中略)初めの方は雪の結晶の説明やらいろいろの雪の現象の観測談やらがあって大変都合が良いのであるが、後の方になると雪女の話とか雪国の民俗的行事の話とかになってどうも「科学」とは大分縁が遠いものになってしまう。しまいには天ぷらの語源まで出てくる始末で、これには少々閉口した。さすがに著者の鈴木牧之も天ぷらが雪と関係の薄いことは認めて、初めてこれを売り出した天竺浪人が越後の藩の者なので「雪にゆかりあるものなれが之を記す」と断り書がしてある。昔の人はずいぶん呑気だったものと感心した。もっとも雪の結晶と天ぷらの語源とを学問の別の区分と考えるのは、現代の西洋風の学問ではと断る必要があるのかもしれない。

まず稀書を図書室に買ってもらうところがなんとも大学の人という感じがして良いが、なによりこの『北越雪譜』の扱う内容が素晴らしい。むしろ今の時代には、「西洋風の学問」を越えた本が求められている。科学と、雪女の話、雪国の民俗的行事の話、加えて天ぷらの語源の話を合わせて論じてくれる本こそが必要だ。文脈棚に並ぶ数冊が全て一冊になったような素晴らしい編集の手腕。むしろ、そんな本を真っ先に読みたい。コンテクストデザインによって達成されるべきはもしかするとこのような本かもしれない。

さて僕は二、三年ほど前だったか、春先に軽井沢から東京に戻る電車のなか、天ぷらの語源について調べていた。Wikipediaで引いただけだが、temperarというポルトガル語の動詞(味をつけるとか調理するの意)、 témporasというスペイン語の名詞(天上の日の意)が有力だそうだが、かなり望み薄な候補として、日本語の「天火揺らり」から来ているという説があるという。圧倒的にこの説を推したい。もちろん裏づけはない。その響きの詩情による。

天ぷらという食べ物が、熱い火を必要とするその料理が、天の火がゆらりと揺れることで形作られている。そう想像するだけで、歯ざわりや味わいが倍増する、愛おしくなる。

語源というのは不思議だ。やっぱり天ぷらという言葉をずっと知っていて使っていて、その料理を食べて味を知っていて、事後的に意外な語源を知るからこそ魔法的になる。

語源といえば、季節の冬、春について、冬は「殖ゆ」から来ているという説がある。一見葉が落ちて森が痩せる冬は、減っているのではなく、木々は内なる力を宿している。だから殖ゆ。そして春になると、その力がついに外に表出する。新芽や花を出すためにエネルギーが放たれる。つぼみは「張る」。それで春、という説。これにも異説がいくつかあるとのこと。

記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。