『HHhH (プラハ、1942年) 』ローラン・ビネ著 読んだ。歴史小説の方法と、描かれた事件と。

『HHhH (プラハ、1942年) 』
(海外文学セレクション) 単行本 – 2013/6/29
ローラン・ビネ (著), 高橋 啓 (翻訳)

Amazon内容紹介
「内容紹介
ノーベル賞受賞作家マリオ・バルガス・リョサを驚嘆せしめたゴンクール賞最優秀新人賞受賞作。金髪の野獣と呼ばれたナチのユダヤ人大量虐殺の責任者ハイドリヒと彼の暗殺者であ『HHhH (プラハ、1942年) 』る二人の青年をノンフィクション的手法で描き読者を慄然させる傑作。」

ここから僕の感想。
 作者は、歴史小説の、資料に基づく事実と作者の想像による小説的描写がごちゃまぜになった、描写、表現手法に批判的で、徹底的にそうした「想像に基づく文学的創作」を排除しようとする。そのプロセスをいちいち執拗に書いていく。この事件を扱った、先行する小説や映画などに対しても、途中で引用しながら、批判したり「これには負ける」と思ったり、そんな様子をいちいち書いていく。
 日本で言えば、司馬遼太郎の歴史小説の、「見てきたような描写」「やたらと魅力的な主人公の人物像」を通して、司馬小説があたかも歴史的事実であったかのように受け取ってしまう、昨今。、問題視されている「司馬史観」問題がある。作者は、そういう、歴史小説や歴史映画、そういうものの「かなりの部分、ツクリモノ、作者の想像の産物なのに、それが事実のように語られることの罪深さ」への嫌悪、そうであるならば、どのように書きうるのかということを試行錯誤しながら、この小説は進む。
 そうやって、文学的創作を排除しようと苦闘し、この事件にとりつかれたようにこの小説を書こうとする、そのプロセスについての小説でもある。(それでも書こうとしているのは、ドキュメンタリーでもノンフィクションでもなく、小説なところが面白い。)

 この小説については、ふたつ、論じることが可能だ。
ひとつは、この、「歴史的事実に基づいて小説を書くこと自体を小説にする」という、文学的試みとしての価値。
もうひとつは、そのような手法を持って語られた、この事件、チェコとスロバキアの二人の青年による、ナチ最高幹部暗殺、その周辺で、その影響で起きた様々な事件について。

 ひとつめの論点で言えば、小説というフィクション、嘘と、「語り手」と、作者の関係について。歴史小説、モデルのいる事実に基づく小説でないときは、それほど深刻に考えず、読んでしまうけれど、歴史ものの場合は、書こうとする作者は、みなこの点に非常に苦労し工夫する。この前読んだ『通訳 ダニエル・シュタイン』もそうだったし、思い出せば、『サラミスの兵士たち』 ハビエル セルカス (著),も、歴史的事実(スペイン内戦)に対して、取材しながら事実を追いかけていく、そのプロセス自体を小説化した傑作だったな。面白いことに、『HHhH』も『サラミスの兵士たち』も、バルガス・リョサが絶賛、って、Amazon内容紹介に書いてあるんだよな。リョサは、この問題、歴史的事実と小説の関係について、問題意識を持っているっていうことなのかな。しむちょん、教えてくれると嬉しいな。

 そして、ふたつめの視点、この事件自体について。チェコスロバキアの歴史についても、「チェコ」と「スロバキア」の関係についても、第二次大戦中、ナチスドイツとの関係で二つの国がどんなだったかも、この本で初めて知った。その上で地図を見ると、たしかにチェコはドイツとオーストリアにすっぽり挟まれていて、明らかにドイツとの関係が深く、スロバキアはハンガリーにべったり接していて、ポーランドとハンガリーという、スロバキアと較べれば「強国・大国」である国との関係が深い。なるほどなあ。そして、チェコは、ナチスに占領されてしまうが、スロバキアは傀儡国家ではあるが、なんとか独立を保ち続ける。ちゃんと勉強しないと、いい歳して、チェコとスロバキアのことなんて、全然、知らなかった。恥ずかしい。周辺の国、ポーランドやウクライナでのナチスの恐るべき蛮行の数々も、知らないことがたくさん。バビ・ヤールの谷のことなんて、知らなかった。
 

 このチェコとスロバキアのことを、フランス人作家が、このように書く、という、そのことも、フランスのヴィシー政権のこと、ドゴールの亡命政権のことと相似形の形で理解されたりするので、本当に勉強になりました。

 そして、この「資料で確認された事実に基づいて、想像を極力排して、しかし、小説としてこのことを書こう」という努力に基づいて書かれたこの小説。初めは、神経質すぎる作者の独白描写をうっとうしく感じつつ、その積み重ねの果てに描かれる、事実としてのこの事件の重さが、その前後に展開されるナチスの蛮行の数々が、そして二人の主人公と、それを助けた多くの人たちの勇気が、小説的想像の描写を排しても、それでも、いやそうであるがゆえに、深く伝わってくるのでした。

 ちなみに2014年の本屋大賞 翻訳小説部門第一位、ということで、ややこしいこと考えなくても、戦争スパイ実録小説、として面白い、ということで、ひろく、お勧めします。

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