「裏」は、必ず汚いのか。広告屋が想像する、「表のメディア論調、裏の事情」の関係。 高齢者ドライバー事故報道と、年金2000万円不足金融庁レポートの「表と裏」について。


 高齢者ドライバーによる交通事故が連日のように報じられ、先日、「高齢者専用免許」を「サポートカー限定免許」として検討している、というニュースが流れた。

高齢者ドライバーによる悲惨な事故、とりわけ幼い保育園児小学生などを巻き込む事故が連続して報じられると、「老人、はやく免許返納しろ、害悪」というような気分が世の中に広がっていく、

 「高齢者の事故は他年代に比較して本当に多いのか」「高齢者の事故は本当に増加しているのか」「高齢者の事故はドライバー人口あたり本当に多いのか」など、さまざま言われているが
① 10代とともに高齢者の死亡事故は多く、かつ、十代は原付含めバイク死亡事故が多いので、四輪車死亡事故は高齢者が多い。
② 高齢者の事故は件数としても増加中であり、
③ それは高齢者数が増えているからのでは?高齢者の事故はドライバーあたりの件数でも本当に多いのか?については
(ア) 他年齢に比較して高い
(イ) 高齢者人口あたりの事故数には多きな変化はない。
④ 「踏み間違い」がニュースになるが、踏み間違いが高齢者において特に多いのか、死亡事故原因に占める操作ミス比率が有意に多い。
⑤ 踏み間違い以外にも認知機能、反射神経など身体諸機能の低下で全体として高齢者の事故は増える

なので、高齢者事故を解決すべき社会問題として取り上げることに、特に不都合はない。むしろ今まで放置されてきたことが問題であり、今、より高齢者ドライバーが増加していく中で、多面的に対策を講じていく、それを社会的に受容しやすい世論形勢をしていくことは、行政、メディアが連携してキャンペーンを張っているとして、特に問題にすべきことではない。むしろ好ましいことである。

事実、欧米豪など、高齢者向けの限定免許、様々な工夫を各国しており、日本が対応遅れているのは事実。法令改正に向けた社会的合意形成のキャンペーンを政府、メディアがするのは特に不都合ではない。

というのが、「表」の理屈。

さて、これに、ニュースでは語られない、「裏」の理屈が当然ある。自動車産業の事情である。「高齢者に免許返納を促す」施策だと、国内の自動車販売は激減していく。だから、直近の、日本の対応策は「高齢者は運転支援システム付き自動車限定免許へ」というものである。つまり、高齢ドライバーに最新式の新車を買わせよう施策である。

中期的見通しとして、国内自動車販売が増加することはない。
① 少子高齢化の上に若者の車離れ(低所得層増加、携帯通信費との可処分所得の取り合い、コスパ意識、シェアエコノミーの拡大(必要な時にレンタカーを借りる人の増加、カーシェアリングの拡大)など原因はさまざま。若年層の自動車購入量は、確実に、どんどん減る。
② クルマの購入層の中心は、40~50代。若者向けに見えるSUVも、実際は50代が購入層の中心。この年齢層も、10年もすると「高齢者」になる。

また、短期的に、今秋の消費税増税で、販売に大打撃が予想されている。

こんな中、「高齢者は免許をはやく返納すべき」論だけが加速すると、自動車販売はさらに打撃を受ける。

もうひとつ、自動車技術の国際的開発競争
自動運転技術の開発は、既存の米欧巨大自動車メーカー間での競争だけでなく、グーグルなどIT巨人、中国の巨大企業が本格的に参入している。
米中は、「自動運転開発の専用都市をつくる」というスケールで自動運転技術開発に取り組んでおり、日本企業が太刀打ちできるか、瀬戸際の状況。

日本ではまだ「自動運転」への法的整備などハードルが高い。
が、「自動運転」ではなく「安全技術」と訴求すると社会的に受容されやすい。つまり、日本では「先進安全技術つきの車を社会的受容させることを先行し」→その高機能化を通じて、自動運転社会へと社会システムと国民意識全体をシフトしていくことが正しい世論形勢順序となる。

自動運転車の導入が、ボリューム層である団塊世代の運転能力低下(あともう5年ほどしか猶予がない)に間に合えば、高齢者も、免許を返納せず、自動運転車を購入・保有・使用する社会になる。
こうなれば、国内の自動車市場が急激に縮小することは避けられる。

中国も今後急激に高齢化社会化する中で、「高齢者向け安全技術の発展としての自動運転車」としての技術的優位を日本の自動車メーカーが確保することは、日本の国際競争力、輸出産業の核として極めて重要。


というような、「自動車産業、自動車メーカー」の、短期的業績、中期的競争力すべての観点から、高齢者向け先進安全技術者の販売と技術開発闘志につながる施策は必要。

こうした「裏事情」から、「高齢者踏み間違いの悲惨な事故」報道を、必ず取り上げる、大きく扱う、という方針が、政府要望としてメディア各社に要請されている、という可能性は否定できない。

こうした「裏要望」は正式な文書によるものというよりも、政治家からメディアトップなどの非公式なルートでおそらくなされているものと思われる。

さて「裏」にこういう、自動車産業への配慮があるとして、それは「裏だから悪」なのか、という点が、今日の論点。

表の論点で言えば、高齢者ドライバーの悲惨に事故は今後ますます増えそうだし、しかし地方では高齢者の生活の足、農村で言えば軽トラは仕事の足、道具でもあり、高齢者が70歳をさらに働き続けるためにも、高齢者は自動車を手放すわけにはいかない。

この相矛盾する問題を止揚して解決するためには、安全技術専用免許から、その先に自動運転車で生涯運転可能な社会への移行というのは、必要。それ以外に解決策はない。

そうした生活者消費者側の「表」のニーズを満たすための、供給側メーカー、自動車産業側の「裏のニーズ」を満たすことが、利害一致するならば、このことに関して、大筋で批判すべきこと、というのは特にないのではないか。

 裏の、自動車産業側の事情を「悪」とみなす立場というのは、「新車購入促進するような手段ではなく、高齢者事故を防ぐ様々な施策を諸外国では行っているではないか。そういう努力をせず、メーカー利益を優先して、新車購入を促すような施策のみを導入するのはいかがなものか」というようなことになるだろうか。
 まあ、これも一理あるのだが、だからといって、明らかに事故減少効果のある先進技術搭載車購入促進を促す制度を否定する必要はない。低公害車への切り替えを強制するための税制、法規制は、諸外国でも、日本をよりずっと厳しくやっているわけで、世界に先駆けて日本がこうした制度を導入するのは別に悪くない。

 メディアで語られる「表(主に生活者消費者側の利益を考えての論調)の裏に、裏(主に大企業・業界側の利益・事情)が存在する」、というのは世の常で、広告屋の仕事をしていれば、そのような事例案件というのは、山ほど扱っている。
 そういう表と裏について、リベラル・左派というのは「「裏=悪」と、直結的に批判をするのだが、「裏=悪」の場合と、「裏もではあっても、正論で妥当」な場合がある、ということとして、この自動車事故の話は書いた。

 さて、このことと関連して、金融庁の、老後年金2000万円不足するレポートについて。

これについては、「年金問題」としてメディアは扱う。ので、生活者側も「年金が不足すると、年金では暮らせないと政府が認めた」問題として受け止めたわけだが、このレポートが書かれたそもそもの狙いは年金問題ではない。

 これは金融庁という役所が作ったものだ、ということを、みんな、ちゃんと意識して議論しよう。

 私は大手証券会社の広告の仕事も長くいろいろとしてきた。

企業というものは、自分のやっている仕事が、世の中に対して、何か、ポジティブな意味を持つものだと自己認識することがとても重要だ。証券会社というのは、その企業規模に比較して、社会的評価が(例えば銀行と比較して)ずっと低かった。「広告屋」と「株屋」は裏口から入れ、と言われてきた歴史があり、ビジネス社会の中での「影の、裏の」という立場だった。

そういう意味で、業界トップのあの証券会社と、電通とは、世間の中でのポジションが近い。社風も「軍隊的」で似ている。仕事をしていても、そういう共感が存在していた。

 電通が初めてCIをしたときに自社の事業価値を「広告」ではなく、「コミュニケーション・エクセレンス」と定義した、というのも、自分の会社の価値を、できるだけポジティブに語りたいという欲求からだ。

「広告屋」ではなく「コミュニケーション」の会社だ。こういった方が立派な会社に思えるというわけだ。

 証券会社の、「自分たちの仕事を立派に思わる」マジックワードは、「貯蓄から投資へ」というやつだ。銀行が「貯蓄」をして金を集めて、成長産業にまわす、「エリート意識の強い金融」だとすると、証券会社は「投資」という、仕組みを基本価値として持つ金融機関。

一人一人の欲望を、世の中の成長産業にお金を回していくという「資本主義の整流装置」としての機能。「貯蓄から投資へ」、貯蓄だと、銀行にお金が集まって、それをどのような産業の振興に使うかは、「銀行」というエリートのフィルターが入るわけだが、証券会社は、より民主化された「投資家一人一人の欲望が、社会全体の成長の原動力になる」という社会を目指すわけ。

 だから、金融庁の今回のレポートも、基本的には、お金について、漫然と考えも無しに生きていると大変だよ、なんとなく銀行に預けておいても、これからの世の中、備えとしては不十分だよ、様々な個人が老後に備えるための金融商品、仕組みが作られているから、そういうことをちゃんと考えて行こうね。(それは証券会社が開発して、販売しているんだよ。)ということを啓蒙していくレポートだったのだよね。作ろうとした意図は。

 このこと自体は、正論だ。だから、レポートを作った人は、正しいことを言った、という意識しかない。

せっかく、証券会社と政府が協力して、NISAやidecoの仕組みを作っても、なかなか自分と関係あると思ってくれる人が少ない。

そこで、そもそもそういうことについて低関与な人も振り向いてもらう、切り口、話の掴みとして「年金だけでは足りないよ、2000万円たりないよ」というのを持ってきた。ということ。あくまで「掴み」のネタだったわけ。

 年金が2000万円たりない試算の出どころは、当然、厚労省が出しているわけで、そのことで、なんで金融庁の僕たちが叩かれなきゃいけないのか、というのが、金融庁役人の言い分、気持ちだと思う。

 これは表も裏も「貯蓄するより投資をしよう。そのための仕組みいろいろあるよ」啓蒙レポートであり、その掴みとして、ちょっと刺激の強い「年金2000万円足りないよ」だったわけ。
 
表も裏も、金融庁と、証券各社はじめ金融機関の利益と、「貯蓄から投資へ」という、彼らの絶対正義の実現のための、レポートなんだもの。

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