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読み、聞かせるということ。


国語の授業で、音読を当てられるのが好きな子供でした。
紙の匂いが好き。声を出す事が好き。情景を思い浮かべるのが好き。登場人物がその時どんな気持ちだったのか考えるのが好き。読んでいる間は、自分ではない誰かになれるのが好きでした。

あれこれと考えながら話す癖があり、言葉を選び出すまでに時間がかかる為返答がワンテンポ遅れてしまうので、それを理解してくれる人達以外との会話がまぁ苦手で。
思考がある程度まとまらないと感情の起伏も起こらないので、カッとなって怒ったり咄嗟に言い返したりする事が出来ず、後になってゆっくりじわじわモヤモヤしてしまう。
(時折X上でぐちぐち爆発している時ありますね?あの状態に至るまで大体1ヵ月半近くかかっています。これでも早くなったと思いたい)

のんきだよね、悩んだりしたことなさそうだよね、と言われるのが子供の頃一番の悩みだったりしました。
次第に悩みは膨らんで、言動にラグが起きる故にその時同じ気持ちになってあげられないもどかしさ、相手が欲しい言葉を返せない申し訳なさ、それがのろくて疎い自分へのコンプレックスに変貌し、嫌いな自分ではない誰かになれることへの憧れを強めていきました。

音読は楽しくて楽なんです。物語の中で誰かになれるし、言動も感情も結末も決まっていて、それがどういった場面だったのか事前に読むことで考えておけて、全部自分だけで完結できるから。
顔色を窺わなくていい、言葉を選ばなくていい。好きだからやる、自分の為の娯楽時間でした。

ある日、関西弁の登場人物がいるお話が題材の授業があって。
ほぼ標準語圏の出身なのですが、同じ意味なのに言い方読み方が違うって面白い!と当時方弁にハマっていて、独学ながらおそらくこんなイントネーションだろうとそのお話を読みました。
授業が終わってすぐの休み時間です、普段さほど話したりしないクラスメイトがわざわざ席までやってきて。

「さっきの凄かったね!ほんとに関西の人かと思った、ラジオドラマみたいだった!」

自分の楽しさの為にやっていた事が、他の人も楽しませる事があるんだと知った。びっくりしてうまくありがとうも言えなかったけど、喜んでもらえるならこれからも聞かせたい。授業の中でひっそりと、誰かの為の音読を始めた日でした。

子供会の人形劇に混ざったり、演劇部に入ってみたり、友人とお遊びでラジオ番組のような掛け合いを録音してみたり。
いつしか将来の夢に、「声の仕事がしたい」と書くようになりました。

結果それは今、叶っていないけれど。
夢を追いかけて劇団研究生になり、本格的な群像劇と朗読を学び、それでほんの何回かだけでも、ちゃんとお金をもらったこと。今でも自己肯定の基盤になっているし、やってみて良かったと思っています。
誰かになる為には誰かのことをよく知らなくてはいけなくて、人を知るには人と触れ合って、対話して、観察する必要がある。上手くなりたいから、自分の為に、以前より積極的に苦手だった会話を試みるようになって。人が、好きになりました。
朗読に限らずですが、何かを内側から発することは「伝える」こと。伝えるにはどうしたって受取り手が不可欠で。
「わたし」がやりたいことには「あなた」が必要なのだと、発した言葉の先にいる存在を明確に意識できるようになりました。


朗読が好きです。
今でも上手いとは思えないけれど。
幸いのんびりしているので、聞いているとなんだか眠くなる声らしいですし。少しでもチルタイムのお手伝いになっているなら、良かったなと思えます。
仕事には出来なかったけど、いつかはまた趣味でやりたいなぁと漠然と思ったまま気付けば結婚して子供が産まれ、仕事も忙しくなりばたばたと時は過ぎ。
一昨年、私の中で唐突に大きく育ったもったいないおばけが、遂にきっかけを見つけてきてくれました。

とはいえ好きなだけで続けば世話はなく。
集いに参加し続けて1年越えられたことには本当に驚きを隠せず、どうして続いたのかってそりゃあもう書物に親しむ定例会の存在と、Skyというゲームと、聞いてくれていたみんなのおかげでしかなくて心底ありがたさしかない……何度でも伝えちゃう要素です。

まず月一開催というのが本当にありがたくて!2週間置きもしくは隔月とかだったら絶対に続いてない。次への準備期間がとれて、でもやる気が途切れない非常にナイスな頻度です。助かってる……
あとはね。これスペースでもX上でも言ってますが、本当に本当にこれがやる気のメインエンジンなので。文拓。←
当時、もったいないおばけと一緒に色々やりたかったことはなんでもやってみよう!と動き出してまだ間もなく、でも朗読をやりたい気持ちは秋からずっとあって。年を越したら、来年こそは!と。断られたらすっぱり諦めて別の事にシフト!めげない、しょげない、やれーー!!と緊張しっぱなしで半ば勢いだけで送りつけた書庫番さんへの「しょもしたに朗読で参加する事は可能ですか?」という質問マシュマロ。
ものすごく丁寧な了承のお返事を即日いただき、もう既にそこで浮き足立っていたわけですが、やらせてもらうからにはご迷惑をおかけすまいと集いのサイトを上から下まで読み返していた時に、見つけてしまった主催者さんの
「すげー!おもしれー!!やりな!!!」
ノックアウトでした。そんなシンプルな全肯定。うなぎ登り着いた先はお花畑ですよあんなの、未だに思い返してにっこにこになれます。
「一朝一夕ではない朗読」と褒めてくれたことも、劇団の私はまだちゃんと私の中にいるんだなぁと嬉しくて。
ちょっと落ち着いて地上が見えるあたりまで降りてきた頃にまた浮かれるような発言をなさるので、朗読参加初日から今までずっと浮かれています。どれだけ浮かれさせてたのかお分かりいただけたら幸いです。そういうところですよ(突然の空リプ感)

Skyというゲームならではだなと思うものもあって。人間なので、そればかりではない事もちゃんと目にして耳にして実際関わって、分かっています。
それでも、素直な「好き」を伝えてくれる人がたくさんいること。いざやろうと思うと案外難しいことです、大体恥ずかしさや自尊心が勝るので。私も苦手でした。
でも受け止めてくれた人がいたので。伝えてくれた人がいたので。ああ、私もやっていいんだと勇気が出せた。Leoさんといつか話したやりたいのきっかけのSkyは、ゲームのコンセプトに則り優しさを届けようとしてくれる人がいること、挑戦を許してもらえる土壌がそこにあるからだと常々思います。

結局私の優しさも誰かからもらった優しさなので。先人にならって、後へと紡いでいきたいね。
みんなでやりたいことやってみましょう。私の朗読が誰かのゆったり時間になれたら。そこからうまれた余裕で、その人がまた新たな挑戦が出来る…そんな土台になれますように。大それてるな。まぁいいよね!
(あわよくば後続が出ないかなとこっそり期待しています。合同朗読とかしたいよね。欲深……)

今年も毎月、楽しんで読みます!懲りずお付き合いいただけましたら、しあわせ。
これからもよろしくどうぞ(*ˊᵕˋ*)


🍀📖 𓂃𓈒 𓂂𓏸



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