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君たちはどう生きるか感想

宮崎駿による「君たちはどう生きるか」というタイトルの映画が公開され、ツイッターでも話題になっている。良識あるツイッター民のお陰で、筆者は現段階では内容の詳細はほとんど把握しておらず、元ネタである吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」も未読なため、「君たちはどう生きるか」の知識は一切無いが、あえてその状態で同タイトルについてのみの感想を書きたいと思う。

原作の同著は昭和12年(1937年)に吉野源三郎が37か38歳の頃に書いた児童向けの小説である。吉野源三郎は明治32年(1899年)生まれであることを考えると、当時としては十分高齢者、高齢者とまでは行かなくても、中高年後半の、人生の折返しを半分くらい走り抜けている年齢とは間違いなく言える(明治32年生まれの男性平均余命は40代前半)。要はオッサンもしくはジジイである。

これもまた筆者の憶測だが、昭和12年というと、五一五事件や二二六事件が発生し、軍部の権力が強まり、その後の日本は悲惨な太平洋戦争に向かっていく過渡期で、国内の世論、国民の考え方が大きく変わっていった激動の時期であったと推察される。先立って発生した世界恐慌によって、多大な損害を被った一般市民たちは、大日本帝国は欧米諸国に倣ってブロック経済圏を作り、国内の経済を安定させるべきであろうと考えたのではないかと思いを馳せている。特にこの時代の若者、10代、20代は30代、40代以上の人達とは価値観が大きく異なっていたのではないだろうか。

ちなみにこれは歴史に疎い筆者の憶測で、真実はまた異なるのかもしれないが、中高生時代の歴史の教科書読めばそんなに間違ったことは言っていないはずだ。

そのような歴史の転換期に出版された本著は、先だって発生した世界恐慌、五一五事件、二二六事件の影響は少なからず受けているだろう。特に両事件が若手将校らが深く関わっていたり、中心人物であったことについて、なにか思うことがあったのかもしれない。

こういった推論をすると、吉野源三郎は若者を啓蒙したかったのではないだろうかと予想ができる。若者を導きたかったのでは。そう考えると、タイトルがやけに説教臭いのも頷ける。

内容は原作とは大きく異なるらしいが、宮崎駿が同タイトルを拝借して映画を制作したのは、きっと吉野源三郎と同じ思いがあったのではなかろうか。
宮崎駿はたびたび若者に対して苦言を呈する姿が見受けられる。

繰り返すが、筆者は「君たちはどう生きるか」という書籍・漫画・映画を一切見ていない。なので実際に読んだり見たりすれば、全く異なる感想を抱くかもしれないが、本稿はあくまで読む・見る前の感想である。その上で、強く思ったことがある。

宮崎駿よ、あなたはもう82歳だ。老い先はもう見えている。そして時代も大きく変わった。あなたが考えるべきことは、若者に対してどう生きるかを示すことではなく、人はどのように最期を迎えるべきかということだ。

高度成長期から21世紀一歩手前くらいまでの日本では、たくさん勉強していい大学に入って大きい会社に就職して、結婚して、子育てして…といった理想のレールが世間には敷かれていた。だから「生き方」について若者を啓蒙することに意味はあったかもしれない。しかし、時代は変わった。

東大に入っても過労死するし、高卒で建設現場で働いても熱中症や過労で死ぬし、国立大学を出てもアルバイトくらいしか仕事がなかったり、世間の移り変わりが激しすぎて、もはや一般的な親では子供の将来について正しい助言をすることは不可能になっている。そんな現代を生きる若者に対して老人が「生き方の啓蒙」をすることは、格ゲーをやったことのないゆるふわゲーマーが格ゲーの指導をするようなものである。

老人は現代日本において大きなお荷物であることは疑う余地はない。そしてそのお荷物を背負っているのは、宮崎駿が説教したくてたまらない若者なのである。

穿った見方かもしれないが、自分をおぶってもらうために若者を自分好みに変えてやろうという魂胆が(無いかもしれないけど)見えてしまう。

老人なら老人らしく、終活を始めて欲しい。
あなた方老人の時代は終わった。終わらせるべきだ。

今どきの若者は、Apexとか若者はマイクラで海外のプレーヤーと繋がって英語がペラペラだったり、天才的な絵や思いなどを書いて書籍を販売したり、まぁ勝手に現代社会をサバイブしています。

いいたいのはこれだけです。
「世間知らずな老人ごときが若者の人生に口を挟むな」

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